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哲学いろいろ

(1)『音楽の起源と規則』論

【Q:エクシメーノ:音楽美と数学(音程比)とは無関係か】
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ホアキン・M・ベニテズ( Joaquin M. Benitez 1940- ):十八世紀音楽思想の一断面――エクシメーノの『音楽の起源と規則』の場合―― in 今道友信編 『精神と音楽の交響 西洋音楽美学の流れ』 1997

( p.250 )
一七六七年四月二日 スペイン王カルロス三世は イエズス会士追放の勅令を下した。その結果 多数のイエズス会士が 母国スペインを逃れてイタリアに移り住むことになる。そして こうした亡命者の内の少なからぬ人びとが やがて一八世紀末期のイタリア思想界に大きく貢献することになったのである。彼らは 広範な分野にわたって多くの著作を残し 音楽に関するものも少なくなかった。


アントニオ・エクシメーノ・イ・プハーデス( Antonio Eximeno y Pujades, 1729-1808 )は そうした亡命イエズス会士のひとりであった。イタリア亡命以前のエクシメーノは 主に数学と哲学に関心をもち 全ヨーロッパにその名を知られた数学者であった。ローマに移り住んでそれまでの活動を継続できなくなった彼は そのとき初めて音楽に関心をもつ。すなわち エクシメーノが正式に音楽を学び始めたのは 一七六八年 彼が三九歳のときであった。彼は数学者であり 音楽の根拠は数学にあると信じていたから 彼にとって作曲法と音楽理論の習得は容易なことのように思えた。しかし エクシメーノはすぐに 《数学の理論は音楽の実践にはまったく役立たない》ことに気づく。そして 数年間のためらいの後に 当時の音楽理論への反駁をめざして 熱心に音楽を学ぶ決意をしたのである。


( p.251 ) 本論は 一七七四年に出版されたエクシメーノのイタリア語の著作『音楽の起源と規則 その進歩 退歩と改革の歴史について』の内容を検討することによって そうした彼の音楽思想を明らかにしようとする試みである。ただし この『音楽の起源と規則』が当時の思想界に惹起した論争 あるいは エクシメーノの他の著作といった点については 本論の範囲を越えるので ここでは取り扱わない。


エクシメーノの『音楽の起源と規則』の内容の重要性と独自性を充分に理解するためには まず 一八世紀に出版された音楽に関する書物の一般的な傾向を把握しておかねばならない。当時の音楽書の内容には 一般に 三つの傾向をみてとることができる。その第一の傾向は 音楽に関する哲学的思索である。なかでも フランスの啓蒙主義者による著作は 西欧全体に広範な影響を及ぼした。第二は 一八世紀中葉に 音楽歴史学――ほぼこの言葉の今日の意味で――が誕生することである。すなわち 一七五七年から一八〇一年の時期に マルティーニ ゲルベルト バーニー ホーキンズ フォルケルがそれぞれの音楽史を出版したのである。そして第三に 古代以来の音楽理論書の長い伝統もまだ命脈を保っていたのだった。それらのなかには 単なる教則本の域を出ないものも見られるが 非常に広範な内容を扱った著作も含まれている。そうした著作は 抽象的な思索から経験論的な分析や記譜法の具体的問題までを含み そして 音の数学的 物理学的側面から実践的な作曲法の問題にまで及んでいる。この種の理論書に共通しているのは 数学との関連において音楽の現象を考えるという姿勢であって この伝統の起源は 古代ギリシャにまで遡れる。


 一八世紀イタリアの音楽思想界は フランスの強い影響下にあった。この時代のイタリアでは オペラ改革の諸問題を中心とした多くの研究がなされ そうした著作では 詩と音楽との関係が論じられたが その美学的視点には フランスの百科全書家からの著しい影響が表れている。あるいはまた 近代的な音楽歴史学創始者のひとりであるマルティーニ神父は 同時に ラモー的な立場の理論書を著わしたが それに対して理論家としてのエクシメーノは フビーニも指摘しているように イタリアにおけるフランス啓蒙主義――殊にルソーの思想――の最も忠実な唱道者であった。



( p.252 )
エクシメーノの『音楽の起源と規則』には このようにフランスの影響が認められる。しかし そこには 多くの独自性も見出される。この著作の内容構成は 前述の一八世紀の音楽著作の三傾向――美学的 歴史的 理論的――をすべて含んでおり それらのなかでは 歴史的な論点を扱った部分(第二部 第一-三巻)は最も独自性を欠いている。また 音楽理論を扱った部分(第一部 第三-四巻)は 当時の作曲法に関する他の多くの理論書に類似したものである。それに対して 彼の思索の真の独自性は 彼の美学的考え方を説明する部分 すなわち その著書の第一部第一巻 第二巻に見られる。


エクシメーノの研究者の多くが 長い間 彼を一九世紀ロマン派の音楽における民族主義の思想の先駆者と見なしてきた。それは誤った見解ではあるが 彼の思想が当時として非常に斬新なものであったのは事実である。エクシメーノ自身 彼の著作が まだピュタゴラス的伝統に固執していた当時の一般の理論家たちからの大きな反駁を招くだろうことを予期していたようだ。多分 それを意識して エクシメーノは 彼がそれをどのような読者のために著わしたかを 序文に明記している。《理論については哲学者のために そして実践については若い音楽愛好家のために》。つまり彼は 意図的に音楽理論家の読者を排除し 彼らに対して皮肉を込めて次のように書いている。《この理論書を読まないことが最も賢明である。彼らはただ苛立つ以外になんの利益も得ないだろう》。


エクシメーノの音楽美学の基礎
エクシメーノは 彼の思考を 否定命題の上に基礎づけている。すなわちそれは 音楽と数学とは関係がない という命題である。この命題を設定した後に初めて 彼は 音楽の他の起源の探究に移る。彼は きわめて一八世紀的な思考に基づき 音楽の起源を他の単純な原理に求めた。そしてこの場合には その原理は自然の簡明さに関連したものである。《自然(ナトゥーラ)の秩序に完全に符合するこの簡明性(セムプリチター)こそが 音楽の起源についての私たちの探究の指標とならねばならない。なぜなら 音楽とは 人生の煩いを和らげるために自然が調えてくれたひとつの快感に外ならないのだから》。( p.253 )音楽は 鼓膜を振動させ 神経を刺激し 脳に達して 快感をもたらす。エクシメーノによれば 哲学者の最大の誤りは この感覚作用を数学と物理学を介して説明しようとしたことである。そして彼は 彼の書物の最終的な目的を 次のように述べている。《音楽を 自然に相応すると共に実践するにも心地好いような簡明性に還元し それによって 音楽が話すこと(パルラーレ)とほぼ同じ根拠をもつひとつの純粋言語であることを立証すること》。しかしこれを立証するためには まず 当時の語かいを一掃せねばならなかった。すなわち 《優美な雄弁家がわれわれの内に惹起する快感を説明するために数学が役立たないのと同様に 心に快感を喚起する和声(アルモニア)を数学上の比によって説明しようとすることが 哲学者の無駄な試みに過ぎないことが示されるだろう》。


音楽と《話すこと》とが共通の起源をもっているとする点で エクシメーノの美学は 明らかにフランス啓蒙主義者――殊に ダランベール コンディヤック ルソーの思想――に近似している。しかしそれにもかかわらず エクシメーノが彼らと根源的に異なる点は 音楽と数学とを 最初から基本的に区別していることである。ここにこそ 彼の思想の独自性が最も端的に表われている。すなわち 彼は 音楽を数学的思考から分離した後に初めて 音楽と《話すこと》との共通の起源に言及するのである。数学者であったにもかかわらず(あるいは そうであったからこそ) エクシメーノは あらゆる音楽研究において数学が首座を占めるという長い伝統を打破した最初の音楽理論家たり得た と考えられる。彼の思索は 部分的には 彼以前の理論書のなかに辿れる箇所もあるが 音楽の数学への依拠を否定するために一貫性のある基盤を提示したのは 彼が初めてであった。彼は序文で 《私は困った立場に立たされている。すなわち ピュタゴラスから今日までの 音楽の理論について書かれたすべての書物は錯覚と謬見に満ち 誤った根拠に基づいている と言わねばならないのだから》と述べている。


ここで 数学と音楽が無関係であることを彼がどうのように論じているかを 検討してみることにしよう。
( p.254 )
数学と音楽とは無関係であること
エクシメーノの著書の第一部第一巻全体が この問題に充てられている。彼のこの巻での解明と論駁は 二つの主要な論点に要約されると思われる。第一の論点は もし 音楽の基礎を数学か物理学かに置くならば 音楽作品の実際的な聴取において見出される音楽現象のすべてを解明することは必然的に不可能になり そのために 音楽の理論と実践を整合することは一層困難になる。第二の論点は 感覚論的なものであって それは 人間が具有する諸感覚器官のそれぞれに帰されるべき固有の機能と働き ということについてのエクシメーノの考え方に関係している。


第一の論点を理解するために まず エクシメーノが 数の比について区別している二つの種に触れておかねばならない。ある種の数の比は ある物の真に完全なものたらしめるために不可欠なものである。こうした場合には 数学上の計算に頼らねばならず ここでの比は したがって 数学や力学におけるように 本質的なものである。しかし 他の多くの場合には 数の比は単に偶有的なものである。《ある演説のなかのいろいろな陳述の長さを互いに比較すれば そこでの語数から諸々の比と割合とが引き出されるであろう。しかしそれにもかかわらず それら〔の比や割合〕は その演説にとっては偶有的なものである。なぜなら その〔演説の〕説得力は 語数には依存しないからである》。それと同様に 弦の長さは測定し得るものであり さまざまな諸音程関係に対応するさまざまな振動弦の弦長相互間に多くの比や割合が存在する。しかし これらの比は 和声の響きにとっては偶有的なものである。すなわち 和声の響きは これらの比を知らなくとも得られるものであり 体験され得るものなのである。


こうした原理は エクシメーノが展開しているすべての数学的例証に及んでいる。最も明瞭な一例を挙げよう。エクシメーノは 音楽における五つのの最も完全な協和音程――オクターヴ 五度 四度 長短三度――が それぞれ数学的に 1/2  2/3  3/4  4/5  6/7 という比によって表わし得ることを認めている。( p.255 )これらの比の間の関係は 前の音程比の分母と分子にそれぞれ 1 を加えるという法則に従っている。しかしエクシメーノは この法則によっては説明しきれないものがあると述べ 次のように問う。すなわち 音楽は何故に 6/7 の比に基づく音程を用いないのか。それは 短三度とほぼ同様に耳に心地好いはずであり そしてまた この法則らしきものから次に得られるべき比であるのに。また 音楽にとって非常に非常に重要な二つの音程である長短六度の比( 3/5 と 5/8 )を得るために なぜこの法則を適用し得ないのか。そして 音楽に不可欠な不協和音程を何故にこの同じ法則から引き出し得ないのか。それ故 彼は次のように結論を下す。《経験はその逆のことを証している。したがって 諸振動の会合は音楽の快感の原因ではない》。


第一巻の終章は ラモーの理論の詳細な批判に充てられている。ラモーが 振動弦の弦長を基礎とした単なる数学的音響学に代えて 弦の実際上の物理的な共鳴現象に着目したことを エクシメーノは充分に理解している。しかし エクシメーノにとって そうしたラモーの理論もまた不充分なものであった。《弦の共鳴によって理論的に基礎づけることができなかったし さらに 作曲家としてのラモーの実践上の作曲諸規則は 事実上 彼自身の理論を破綻させている。


エクシメーノはまた 鍵盤楽器平均律弦法を論じて 彼の立場を主張している。もし数学的な音程比がそれほど重要であるのなら 何故に平均律によって修正された音階を用いなければならないのか。もしそうした比が本質的なものであるのなら 平均律調弦された楽器の音から快感を得ることはできないだろう。というのも 平均律では すべての音程は《オクターヴ以外 耳に不快ななものであるはずだ》。しかし われわれの経験は 逆のことを告げる。すなわち 《[・・・]理論的な音程比に従って調弦されたチェンバロは 歌のためにも楽器演奏のためにも使えないだろう。自然が音楽を特定の音程比に基礎づけたと仮定することは[・・・]なんたる愚行であることか。われわれが歌い演奏したいと思う時はいつでも 自然であるためにそれら〔の比〕を修正せねばならないのに》。


( p.256 )
さて 数学と音楽とが無関係であることを主張するエクシメーノの第二の論点は 彼の感覚論に由来するものである。彼はまず 彼の論難の対象である合理主義者の立場を充分に説明している。すなわち 《哲学者たちは音楽に関して 形而上学においては疑う余地のないような原理によって惑わされている。すなわち 正確な比と割合から生じる整った秩序が精神の楽しみとなる という原理である。そして これ(整った秩序)が音楽における弦に見られるので そこから和声の響きの快感が生じるに違いないと考えてしまうのである》。しかしエクシメーノは この合理主義的な見解に反駁している。つまり 割合から生じる秩序が精神に快感をもたらすことは事実であるが 人間の五感のすべてがこうした快感を惹起するのに適しているわけではない。エクシメーノによれば 人が割合を楽しむのは 触覚に補われた視覚を通じてのみである。聴覚 嗅覚 味覚は これには適していない。これらの三つの感覚を通じては 精神は《割合の観念を得ることができず したがってそこから生じる秩序を楽しむことはできない》。


エクシメーノによれば 合理主義者たちは ひとつの感覚(=視覚)の機能を その機能を果たし得ない他の感覚(=聴覚)に転移させてしまったのである。もちろん 弦は物理的存在であるから比の割合をもち得る。しかし 聴覚を通じてわれわれが弦から受ける音響上の印象とこれらの割合とを 相互に関連づけることは誤りである。この誤った関連づけから われわれが普段用いるような 音についての視覚的空間的譬喩が生じる。たとえば ある音の高さは他の二倍ある(オクターヴ) 二つの音の間には距離(音程間隔)がある そしてまた 歌の旋律は階段状の音階の上を往き来する。( p.257 )しかしエクシメーノは これらの譬喩が 視覚に固有なものの聴覚への誤った転用にすぎない と主張している。《視覚と触覚とを生来奪われている人を想像してみよう。ある音の高さが他の音の二倍であるということなどは 彼には決して思いつかないだろう。[中略]それ故 弦の比の割合によって耳を楽しませようとすることは 語数によって理性を納得させようとすることや また 幾何学の法則によって料理を作ろうとすることと同じである》。レオン・テリョが指摘しているように エクシメーノのこのような感覚論的思考に比肩し得るものは 当時には他に例がない。


音楽の起源
音楽が数学に還元し得ないことを論証した後に エクシメーノは 彼の著書の第一部第二巻で 積極的に音楽の起源を探究し始める。《音楽と言語[・・・]は ひとつの同じ起源から発する。それ(その起源)は 私見によれば 人間の本能である》。


エクシメーノが人間の本能について論ずる仕方は 本有主義とでも言い得るような考え方によっており それは幾分スコラ哲学の論法を想起させる。しかし彼は 実際にスコラ哲学の用語を用いていないし むしろ彼の論述は 言語の起源に関するコンディヤックの理論に対する綿密な批判の上に展開されている。本能についてのエクシメーノの解明は 次の文章に要約されている。すなわち 《[・・・]人間や獣が痛みの感覚(センサチオネ)に苛まれ 呻くとき その叫び声は その感覚から直接に結果したものではなく むしろ 生命を保つ目的によって諸器官を働かせるために あらゆる動物に本質的に内在しているある法則または決定因からもたらされる〔結果である〕。自己保存への関心はまた 生存の喜びの感覚でもある。これ(この感覚)は 五感を通じて外界から得ることはできない。なぜなら どのような特定の物体も われわれの内に 生命を保つことへの関心や喜びを注ぎ込むことはできないのだから》。エクシメーノは この感覚が本有的なものであり 自然の創造主によってわれわれの内にもともと刻み込まれたものであると考え この感覚を《本能》と呼んでいる。


( p.258 )
 しかし 人間が具有しているこの本能は 盲目的なものではない。すなわち エクシメーノは あらゆる種類の機械的決定論を拒否している。彼によれば 人間の内に在る反省力がこの本能を一層有効なものにする。人があることを論じる時 まず人は 自らが保持している諸概念を反省することによって それらの概念間の類似点と相違点とを知った上でこそ 自らの思考を言葉を通じて外に表わし得る。しかし 自らの諸概念について反省する能力というものは 研究や経験の援けなしには 諸感覚器官の機械的構造を知り得るまでには至らないし また 考えを外に表わすための諸器官の使い方を知るまでにも至らない。ここからエクシメーノは 次のように結論を下す。すなわち どのような経験から習得されたのでもない諸器官の使い方は 反省というものとは異なった能力から引き出されるものに違いない。すべての幼児は 反省力が発達する以前にも 同種の刺激に対して類似の反応を支援す。それにもかかわらず エクシメーノの時代の多くの思想家たちは 言語が経験によって――すなわち聴くことによって――学ばれる という説を保持していた。しかし エクシメーノは その説が不充分なものである と主張している。正しく声を用い 耳から聴いた言葉を明確に発音できるようになるためには 一種の本有的な刺激因が必要とされる。エクシメーノが説明しているように 人は たとえば時計の作り方を本有的に知っているわけではない。したがって 時計を見ただけでは時計を作ることはできない。子供が話すということについても《同様なことが言える。まだ何も知らない子供に ほぼ完全な発声器官運動を授けるような本有的な決定因がなければ〔その子供は〕話すことができるようになる以前に すでに〔発声器官の〕そうした運動の理論を習得せねばならなかったはずである》。


 言語を本能に基礎づけた後に エクシメーノは 音楽を言語から導き出す。彼の考え方は 言語における言葉と声の調子との間の区別に基づいている。それはすなわち 言葉の論理的内容と 声の抑揚によってこの内容を表現的に伝達する方法との間の区別である。言葉は 聴き手の理性に訴える。それによって人は ( p.259 ) 言葉が含む諸概念を把握することができる。超えの調子は直接心に働きかけ そこに 諸概念に対応した情感を刻み込む。《概念と情感(アッフェッティ)は 想像力の内に共通の起源をもつものである。したがって 言葉と概念は そこに〔声の〕音調が関与しない場合にも 心に間接的に働きかけ そして〔逆に〕 言葉が関与しない時の〔声の〕音調〔そのもの〕は 間接的に概念を喚起する》。この区別によって 音楽を言語の一種と見なすことが可能になる。音調の変化 すなわち 言葉の内容を声の抑揚によって表現的に伝達するという方法を強調することから 音楽が誕生する。もちろん 厳密に言えば これは声楽の説明にしかならない。声楽では 言葉と声の抑揚との合同が 言語の基本的な二要素(論理的内容と表現的音調)の相互作用を惹起するが その相互作用は 表現的音調の強化が音楽を生むような形で行なわれるのである。《言葉を歌う時 音楽は より鮮明な印象を心にもたらすために 多様な音調によって言葉を潤色する》。音楽は 言葉自体には内在していない表意力をその言葉に賦与するのである。


しかしエクシメーノは 器楽をも忘れてはいない。器楽には 言葉が欠如している。そこでの言葉は 言葉の内容の援けなしに存立せねばならない。この場合には それらの情感的な音投射を通じてのみ 概念が顕現するのである。したがって もし器楽に充分な情感表現が存するならば その時には 言葉なしにもそれが音楽として存立し得る。換言すれば 器楽の目的な声楽のそれと同様であり 心を感動させることなのである。《音楽の最大目的は 話すことの目的と同様のものである。すなわちそれは 心の情緒(センティメンティ)と情感(アッフェッティ)とを声によって表現する(エスプリーメレ)ことである。だからこそ 和声を伴なわない歌は それがある情感を表現している限りにおいて われわれに快感をもたらす。逆に どれほど調和的に響く器楽合奏であっても それが何も表現せず 何も意味しない場合には 病人の譫妄と同様の虚しい音楽となるだろう》。


人類は 漸次的に《話すこと》と音楽とを区別するようになってきた。その初段階においては 人間は《小鳥たちが歌うように すなわち 純粋な本能によって歌い始めた》。しかし キケロが指摘したように すべての感情には そのそれぞれに対応する音調がある。ある場合には こうした感情を表現するのには 言葉( p.260 )の方が適しているが より昂揚した感情の場合には 歌の方がそれに相応しい。すなわち 穏やかな感動で心を動かされた人間が その発声器官を用いる時にはその人間は話し 《歓喜の法悦に我を忘れた人は 踊り歌い始めた》。やがて人間は 反省によって徐々に音楽を完成し ついには 言葉が純粋な音だけによる表現内容に完全に置き換えられてしまう器楽をすら創り得る点にまで達したのであった。


        *


すでに指摘したように エクシメーノの独自性は 彼の否定的な論点にある。すなわち彼は 音楽と数学とが無関係であることを立証することによって 音楽研究の新たな可能性を拓いた。しかし 音楽の起源を 言語の起源と同じ本能の内に求めたことにおいて 彼の思想は 他の同時代人とそれほど異なってはいなかった。


多くのフランス啓蒙主義者たちには 事物の起源を探究するという傾向が見られる。エクシメーノの著作の表題だけでなく 他の人びとの著作の表題にも表れているように これらの著者が たとえば芸術といったような人間の諸活動を ひとつの原理に還元しようとする時 それは彼らにとって これらの諸活動の《起源》の探究を意味していたのだった。すなわち彼らは 原始人がしていたと彼らが思い込んでいたことを説明することによって それらの活動の本質を解明し得たと考えていた。しかし こうしたことのみによっては事物の本質は解明され得ない。その一例を挙げれば ある民俗学者が説明しているように 乾杯の起源は 一種の毒味であった。すなわち 客は主人とグラスを合わせる際に 自分のグラスの葡萄酒をわずかに主人のグラスの中に入れる。それによってそれが毒でないことを確認したのである。さて この説明が正しいとしても 現代のわれわれは 毒味のために乾杯を行なうわけではない。起源の究明だけによって ものの本質が明かされることはないのである。



エクシメーノが 音楽の起源探究だけによって十分に満足していたことは その意味で 彼がきわめて一八世紀的な人間であったことを示している。とはいえ 同時代の他の思想家に比較すれば 彼はそれほど自信家ではなかった。そして彼は この長い思索を終えるに当たって 自分がそれ以上研究を進めなかったことを弁明している。すなわち 音楽の起源の説明を補うために 音楽がなぜ耳に快いのかをさらに解明する必要があるのではなかろうか と彼は問いながらも それには答えずに 次のように述べる。《だれか他の哲学者が 割合というものが目を楽しませる理由を明らかにしてくれた時に初めて その理由が得られるだろう》。最終的には 彼はこの問題を取り上げずに 非常に合理主義的な原理を述べて この第二巻を締めくくっている。《自然が事物に与えた役割をわれわれが見出した時 それは われわれが理性的に解明できる知識の限界に達したことになる》。
(おわり)