caguirofie

哲学いろいろ

(5)『音楽の起源と規則』論の論 (つづき)

【Q:エクシメーノ:音楽美と数学(音程比)とは無関係か】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8989681.html
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

Tastenkasten_

  >ひとつ素朴な質問です。要するに 不協和音っぽい音の組み合わせであっても うつくしく心地よく聞こえることはある。これを 実際の問題としているはずだ。と採ってよいでしょうか?


 これは大きな誤解があるようです。「不協和音」については、以前どこかでお話ししたような気もするのですが、よくわかりません。「音楽って何のためにあるの」のスレッドかとも思ったのですが、あの時の私の回答の量があまりにも多いので、自分でも読み返す気になりませんでした(笑)。


 「不協和音」という言葉は、音楽以外のことの比喩にも使うようになり(たとえば、国際関係における「不協和音」のように)、否定的な意味とともに独り歩きしてしまっています。「現代音楽」が理解できない原因も、「不協和音」のせい、と表現する人が多いですね。しかし、これは正確な表現ではないのです。


 「不協和音」というのは、音楽理論上の和音の種別でしかなく、その言葉から受けるイメージのような、耳障りな汚い和音ということではありません。
 そして、エクシメーノがここで問題にしたのは、あくまでも「微妙な音程の差で生まれる濁り」という音響上の問題であって、「和音」という音楽上の問題ではないのです。
 つまり、純正律でないために起きる「うなり」は、「不協和音程」の2音間の親和性の低さよりはるかに細かい話なのです。しかし、一般の人はたぶんこの辺を混同しています。


 まず、「不協和音程」と「不協和音」の区別がついていない人が多いと思います。
 「不協和音程」は、2つの音を同時に鳴らした場合の親和度が低く、衝突感がある音程を言います。自然倍音列は、上へ行くほど音の間隔が狭くなり、結果的にはあらゆる音程を含むのですが、この倍音列の中で早く出てくる音程ほど親和性が高いのです。「ド」と「レ」の重なりは「長2度(全音)」という音程で、9/8には出てきます。これと比べると、「短2度(半音)」の重なりの方が衝突感はきつくなります。しかし、純正律平均律の間のずれの幅よりははるかに大きいのです。「不協和」の原因は、音律のずれで起きるような激しい「うなり」ではないということです。



 「不協和音程」は「協和音程」に比べて緊張感が高く、古典的な西洋音楽では、「不協和音程は協和音程に解決する」という原則があります。緊張とその緩和が音楽を前に進ませ、動的、劇的なものにしますし、また終止感を出すことで、音楽の各部分の区切りがはっきりしますので、不協和音程→協和音程という図式は音楽のあらゆる部分にあります。


 「不協和音」は、「不協和音程」を含む、3つ以上の音の重なりです。3つ以上の音が組み合わさると、2音だけの「不協和音程」ほどぶつかりが生々しくないので、「これが協和音です、これが不協和音です」と言って聞き比べてもらったとしても、違いが判らない人が多いはずです。


 ですから、「不協和音っぽい音の組み合わせであっても うつくしく心地よく聞こえることはある」どころではなく、不協和音であるということだけでは、「美しくない」という印象は与えないということです。
 もちろん、時代の違いはあります。近代、現代の音楽は、不協和音であふれていますが、西洋の中世の人がこれを聞いたら、「不協和音ばかりで理解できない」と言うかもしれませんね。


 これも、具体的に聞いていただいた方がよいでしょう。
 「不協和音」が全く出てこない曲を探すのは難しいです。古いものならあるかもしれませんが、時間がかかりそうなので、不協和音がほとんど出てこない曲、比較的少ない曲から先に上げていきます。有名な曲ですが、パッヘルベルの「カノン」。曲が進むにつれて音の細かな装飾が出てくるので、その部分は純粋に「協和音」を聞きとるのは難しいですが、曲の骨組みになっている和音は、すべて協和音です。


 https://www.youtube.com/watch?v=JvNQLJ1_HQ0
 



 もう一つ、よく御存じのはずですが、グリーグの「ペール・ギュント」から「朝」。これは、曲が盛り上がっていくところで、不協和音→協和音の進行で音楽が進んでいきますが、朝の静かな印象を描写するためでしょうか、出だしなど、静かな部分は協和音が多くなっています。


 https://www.youtube.com/watch?v=-rh8gMvzPw0
 


 次にモーツァルトですが、以前教えてgoo!に、「アイネクライネナハトムジーク第1楽章 不協和音?」という質問が出たことがあります。この質問者も不協和音がなんだかわからないまま質問していたのですが、私の回答No.3で、音楽理論上「不協和音」に分類される和音がどれだけ頻繁に出てくるか書きました。

 【Q:アイネクライネナハトムジーク第1楽章 不協和音?】
 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8780602.html
 

 アイネ・クライネ・ナハトムジークの第1楽章の最初の方だけ説明すると、不協和音の場所は次の通りです。

 第6小節 全部
 第8小節 全部
 第9小節 第2拍目、第4拍目
 第10小節 第2拍目
 第12小節 前半
 第13小節 第3拍
 第16小節 前半
 第17小節 後半
 第22小節 後半
 第23小節 後半
 第25小節 全部

 始めから第25小節までの間だけでもずいぶんたくさん不協和音が出てくることがわかると思います。これは、下の動画の始まりから1分2秒までの部分です。「この中に不協和音があるの???」と思われるのではないかと思うのですが・・・


 https://www.youtube.com/watch?v=CDNENgxTJuM
 



 同じモーツァルトには、俗に「不協和音」と呼び習わされている「弦楽四重奏曲第19番」という作品があります。命名の理由は、曲の冒頭の前奏で、当時としてはあまりにも大胆な不協和音の連続があるからです。
 いろいろ論争があったのですが、作曲理論上は、ここでの音のぶつかりにはすべて根拠があります。下の動画の、始まりから1分49秒の個所までです。ワーグナーなどのロマン派を先取りするような、素晴らしい、考え抜かれた書法です。これだけ不協和音が続くと、雰囲気としては何か感じられると思いますが、いかがでしょう。


 https://www.youtube.com/watch?v=6Zcy-zs9jmw
 


 ロマン派から近代へ掛けて、和音により豊かな色彩を求めるようになり、「ドミソ」などの3つの音だけの和音より、もっと多くの音を重ねた和音が使われるようになります。
 音が増えるということは、不協和音程が必ず含まれるようになるということです。
 理論上は「不協和音」と呼びますが、「美しくない」どころか、その反対のイメージさえ持つはずです、「色鮮やか」「不思議」「洒落ている」、など、豊かな世界ができます。
 ラヴェルの「水の戯れ」を聞いてみてください。水のキラキラしている感じ、波が起きて惑わされるような感じ、冷たさ、光の反射、水しぶき、いろいろなものが表現できます。


 https://www.youtube.com/watch?v=2DhJr1m8Y80
 



 映画音楽やジャズなら、ほとんど不協和音ばかりと言ってもいいような曲がたくさんあります。次の曲は、「シェルブールの雨傘」という有名な映画の音楽をヴァイオリンとオーケストラにアレンジしたものです。バックのオーケストラは、常に非常に凝った、複雑な「不協和音」を演奏していますが、これがいかに情感豊かな世界を表現しているかすぐお分かりになるでしょう。


 https://www.youtube.com/watch?v=vQdOL5743q8
 



 ジャズの例なら何でもよいのですが、2つだけ。



 ビル・エヴァンス
 https://www.youtube.com/watch?v=7LvY-Bj85Us
 



 チック・コリアゲーリー・バートンのデュオ(両方とも鍵盤楽器で「平均律」、そして「不協和音」たっぷりですよ)
 https://www.youtube.com/watch?v=khwF8v6voIE
 

(続く)

(続き)

 先ほど書いたように、「現代音楽は不協和音ばかりでつまらない」というような言い方をする人はたくさんいます。これは、正確に言うと、単に「不協和音」ということではなく、「不協和音程」が「どれだけたくさん含まれているか」「どれだけたくさんの不協和音程が同時に鳴るか」ということに関わってきます。


 20世紀ハンガリーを代表する作曲家、バルトークは、不協和音程を多用して激しい音のぶつかりを好んで書きました。今ではバルトークもすでに古典の仲間入りをして、コンサートの重要レパートリーになっています。
 次に御紹介する「弦楽四重奏曲第4番」なども、冒頭から複数の不協和音程の激しいぶつかりがあります。しかし、民族音楽風の旋律やリズムとの組み合わせで、土俗的なエネルギーを発します。音のぶつかりがきついことはすぐにお分かりになると思いますが、「理解不可能」とまではいかないと思います。


 https://www.youtube.com/watch?v=E_XNfKk-Qbs
 


 最後に、同じハンガリー出身で、現代の作曲家の中でも特に重要視されているジェルジ・リゲティの曲を引用しておきます。
 この人は、後年大きく作風が変わり、メロディーやリズムの効果を再び追求しましたが、初期には、狭い音程、つまり不協和音程の音を重層的に重ねて密集させた、「トーン・クラスター(音塊)」という技法の創始者のひとりとして有名になりました。
 「Lontano(遠くの、彼方の)」という作品があります。刻々と変化する重層的な響きの持続だけで構成されており、メロディーを認識するのは難しいですし、リズムもありません。普通にメロディー、ハーモニー、リズムのある曲だけしか聞きなれていない人には「理解できない現代音楽」のうちに入るかもしれませんが、不思議な雰囲気、そして時には、美しいと感じられる響きの瞬間があります。若いころに興味を持った曲ですが、最近はもう聞くことがありません。気が向いたらお聞きください。最近の若い作曲家のものよりは、目指すものや世界がはっきりしています。


 https://www.youtube.com/watch?v=mZBQjhoVJaE
 



 最後に、一つ書き忘れたことがあるので補足します。
 エクシメーノは、音律の微細な違いにこだわっていますが、これはやはり鍵盤楽器でしか問題にできないことです。
 御存じのように、ヴァイオリンでもフルートでも、また声楽でも、音に「ヴィブラート」をかけます。ヴィブラートというのは、音の高さを小刻みに上下させることですから、実際の音楽では、「純正」ということがそれほど大きな意味を持たないことは自明です。
 何人もの演奏者が、同時に複数の異なる音を演奏し、なおかつそれぞれ音にヴィブラートをかけたらどうなるのか(笑)。実際の音楽の演奏時に起きている音響現象はものすごく複雑で、もはや「うなり」がどうこうというレヴェルではないですね。