caguirofie

哲学いろいろ

《無記》

【Q:《無記(アヰヤークリタ)》とは どういう現実か?】
 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9009987.html?from=open_category
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

No.3 回答者:baka-hage

回答日時:2015/07/01 11:21


 どうも、金儲けにいそしんでいた糞ボーズです。わちゃわちゃしてました。それにしても、こういう質問に答える方が減った気がしますね。まぁ、ブラ氏の文章の意図は私には読み切れないところですが、この質問は無記説と無記業の関係って感じなんですかね?


 そもそも、無記の理由についてはいろいろ言われますが、仏教学では形而上学的な質問にはお釈迦様はお答えにならなかったというものがありますが、経典を読むとアナン尊者が「○○さんはどこに輪廻してますか?」って聞くと、お釈迦様は「○○さんは人間で、○○さんはもう輪廻してないよ」なんてことが、固有名詞ではなかったような気がしますがパーリの『涅槃経』あたりにあったんじゃなかったかな。(経典に関しては記憶があいまいです)上座部の方はこういったことに関しては「瞑想が深まればだれでも確かめられるから形而上学的な議論ではない」みたいなことを言っているのを読んだことがありますが、私自身は経典を読む限り形而上学的な議論はしてないってことがよくわからないのでこれに関しては何とも言えません。


 そういったことは横においておいて、経典の中では無記の理由は二つ載っていると思います。一つは例にも挙げられております「毒矢の譬え」が示すような悟りの役に立たないからという理由と、もう一つは動画の中で岩井昌悟先生が紹介している「消えた火の譬え」が示す質問として成り立たないという理由です。とくにこの消えた火の譬えの方は『スッタニパータ』1074〜1076にも、やはりお釈迦様は自身の存在を消えた火に譬えて「測る基準が存在しない」として、議論が成り立たないとしていますから、これは結構古い時代からあった考えのようです。



 この成り立たない議論の「議論」というのが無記にあるところの四つの質問になるのではないかと思います。私たちは普段は「是(イエス)か」「非(ノー)か」という二つの質問がスタンダードになっていますが、どうやら当時のインド人は「是か」「非か」の他に「是であり非である」と「是でもなければ非でもない」という、四つの立場を想定するようです。消えた火の譬えは特にタターガタの問題に関してかと思うのですが、まぁほかの質問にも「議論が成り立たない」ということに関しては同じかと思います。
 こう考えます時に

  >>《善でも悪でもない》というだけではなく 言わば《善悪の彼岸》なる境地であって 人びとの思惟および意志の行為における善あるいは悪の内容じたいはこれを受け留めつつ それらを――すでにこの生身の実存において――超えている。


 これを読んでいて思ったのが、この是非を善悪にも置き換えられるかなぁと、つまり、「善業か?悪業か?善業であり悪業であるか?善業でもなく悪業でもないか?」という議論が成り立たない、これがいわば無記業となるのではないかと思います。そういったことを念頭に『スッタニパータ』の中において、バドラーヴダ尊者はお釈迦様を1101において「はからいをすてた賢明な(中村元訳)」と呼んでいて、この「はからい」の部分は善業悪業に関する四つ質問にあるはからいを捨て去っているということで理解できます。講談社学術文庫版『スッタニパータ』では「あらゆる概念構造を放捨して」とあって、より無記説にあるような四つの質問のような概念構造という意味にとらえられているように感じます。


 私真宗のボーズなのではからいとかいう言葉が出てくると、どうしても真宗とつなげたくなってしまって、「おのがはからいをすてる」とか「非行非善」とかにつながるような気がしちゃいます。


 そして、この無記説と無記業の関係が
  >>これは 慈悲につながるか?
 ということですが、『スッタニパータ』なんかを読むと、この慈悲というのはあんまり積極的ではないんですよね。一章の第8経では


  145  他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。


 とあって、誤解のある言い方かもしれませんが「他人から非難されないように慈悲心を持ちましょう」みたいな意味なんですよね。パーリ『律蔵』「小品」では、『スッタニパータ』の一章8経なんかが蛇よけにとなえられたりもしているなんてのがあった記憶があります。やっぱ、自分を守るためなんですよね。また、『相応部(SN46-51)』あたりには、慈悲の心を持てば怒りが静まるみたいなことがあって。これは他者に対するときの自己の内面への事なんで、仏教で説かれる慈悲って比較的内向的な慈悲で、人に積極的にかかわっていきなさいという意味の慈悲ではないと思うんです。この辺が、無記業的かなとも思います。


 しかし、内向的な慈悲だからといってお釈迦さまが人とかかわらなかったかといえばそうではないわけで、例えば先に「はからい」ということについて述べましたが、この言葉はパーリでは「kappa(カッパ)」という言葉が基本系のようなんですが、『スッタニパータ』には戒名の質問でも出ましたが「ニグローダ・カッパ」という人が出てきます。まさに「はからい」という名前なんですよね。しかも、これ人名ですからカッパはカッパじゃないと変なんですが、弟子のヴァンギーサ尊者は「カッパーヤナ」と呼んだり「カッピヤ」と呼んだりしています。ヴァンギーサ尊者は詩人ですから、音韻変化ということも言えますが、これを意味として翻訳してみると前者は「はからいの道」後者は「はからわれし者」みたいな意味になるようです。先にあげたように「はからい」は捨てるべきものなんですが、ニグローダ・カッパという名前からはの「はからい」は受け入れられるものとして扱われています。では、これはどんな「はからい」か?『スッタニパータ』には、


  357 目ざめた人(ブッダ)の弟子(ニグローダ・カッパ)は、ことばで語ったとおりに実行した人でした。ひとを欺く死魔のひろげた堅固な網を破りました。


 とあって、この時の「はからい」とは、お釈迦様の「はからい」と考えられるわけです。
 ただし、ある意味慈悲というのは内向的な慈悲であって積極的に他者にかかわる慈悲でないわけです。お釈迦様が悟りを開いた時も「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。〔おのが〕信仰を捨てよ。」(私は最後は村上真完先生の「信心を発せよ」だと思いますが)とおっしゃったようですが、やっぱり聞く耳を持つ人という大変限定的なかかわりを説いています。聞く耳のない人を無理やりにでも救うぜっていうのはないわけですね。しかし、このある意味内向的な慈悲心を持つ釈尊の話に、聞く耳をもった人たちはその教えに共感していきついには悟りを開いたわけです。その一人が、ニグローダ・カッパ尊者であり、お釈迦様にはからわれた者となるんでしょう。
 また、真宗のボーズの悪いところなんですが、このあたりが浄土教でいう阿弥陀仏にはからわれた者たちが「自信教人信」という、自らが教えを信じお念仏することでほかの人々に教えが伝わっていくという比較的内向的な布教の対する姿勢につながるんじゃないかと思っちゃいます。


 まぁ、思うのはこんなところですかね。私の邪推ですが、ブラ氏はこの質問で、私にお釈迦様と真宗との関係性まで書かせようとして今まで締め切らずに待っていてくださったのではと踏んだんですが、思い上がりですか?(笑)この思い上がりが凡夫の凡夫たるゆえんでしょう。反省。ここんところ忙しくてなかなかゆっくり引用等々を調べてられず、急ごしらえの為、誤字脱字引用間違いがあったらご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀

bragellone:この回答へのお礼

 愚禿師匠 こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 (1) まづ
 ★ ブラ氏の文章の意図
 ☆ は 《無記業》を――岩井准教の講義を聴いて――けっきょく《さとり》の境地へと拡大解釈したというところにあります。

 (2) のっけからですが 次のゴータマ氏の受け答えではまづい。と異議をとなえます。

 ▲ (スッタニパータ:<7、学生ウバシーヴァの質問>) 〜〜〜〜〜〜〜〜
 http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/su

 1074  師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(生存するものとしては)数えられないのである。」
 [・・・]
 1076  師は答えた、
 「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ☆ 《論議》は――哲学としてならば――続きます。一般にボディサトワなる者は つねに衆生に説明を成す義務があります。(説教というよりはです)。


 問題は 《ニルワーナ(火が滅びてしまっている状態)――法身? 報身?――》と応身(生身のからだ)とが 人間存在として両立・共存することにあります。人はみなブッダだ。


 (3) 慈悲は ちょっと飛躍があったようですが それでもつながるのではないでしょうか。


 ★ 仏教で説かれる慈悲って比較的内向的な慈悲で、人に積極的にかかわっていきなさいという意味の慈悲ではないと思うんです。この辺が、無記業的かなとも思います。
 ☆ ええ。つまり 《受け身》にあって成す説明をとおして それぞれに自己了解が成りつつ その共同理解が成る。
 ☆☆ 人びとの思惟および意志の行為における善あるいは悪の内容じたいはこれを受け留めつつ

 ☆ であるときそれが 無記業の実践として成るのだと。

 あとは 補足欄にてになります。(千字制限です)。

bragellone:補足欄

 ぶっきらぼう文体です。


 ★ 「自信教人信」
 ☆ (あ) オシエは考えるもの。信じるのは 神(アミターバ・ブッダ)なり。しかもその信も 《信じるようにはからわれた》。《自己を運びて万法を修証するを迷とす》るゆえに。


 (い) これが 何よりも 《義無きを以って義とす》の神髄ではないでしょうか。

 (う) なら 慈悲の問題――《受け身》説――にもつうじます。

 (え) あとは オシエの伝道というよりは 内なるブッダターのゆらぎを呼び起こすこと。

 (お) 人間が何をすれば励起されるかは分からないので みな《同朋》である。

 (か) 《ぼーず》は要らない。それは 言わば《有記》であるから。得度の瞬間に有記となってしまう。
 
 (き) 聖職者をみとめることは 内なるアートマンをみとめていないことを意味する。自然法爾ではなくなる。


 愚禿師への折伏状です。

No.4回答者:baka-hage

回答日時:2015/07/03 14:32

 折伏状をいただきまして、でもやっぱりブラ氏の文意が読み取りきれないところがございます。

  >>☆ (あ) オシエは考えるもの。信じるのは 神(アミターバ・ブッダ)なり 
 何となく違和感の方が強く感じます。ブラ氏はわざわざカタカナで「オシエ」としておられるのは多分、最初から教えがあったわけではなく、その成り立ちから考えれば何らかの宗教体験があって、その体験が何であったかを考えて一つの形としてオシエとなったってことかな。宗教学的視点としては私も認めるところで、親鸞聖人の言葉を見ても「信に知んぬ」なんてのは信心を得て知ることができたみたいな意味ですから、いわゆる信心という体験から教えが獲得せられたみたいな意味で見ることもできます。
 しかし、『教行信証』総序では、そういった経験を


   ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。


 と振り返り、教えに出会うことが始まりとしています。


 また、「信じるのは 神(アミターバ・ブッダ)なり。」という意味か私には測りかねます。
 親鸞聖人の信心について考えていきますと、まず「至心」「信楽」「欲性」の第十八願に説かれるところの三心があります。三心について『教行信証』信巻にその共通点として「疑蓋雑はることなし」という言葉があげられています。いわば、親鸞聖人にとって信心の対義語は「疑蓋」という言葉になります。この疑蓋という言葉は、最初期の経典においても使われますが、親鸞聖人が確実に読んでいたであろう書物として『教行信証』に引用している天台大師の『法界次第初門』に五蓋の説明として。まず「蓋」について、


  蓋とは、覆蓋をもって義となす。よく行者の清浄の前心を覆蓋して開発することを得ず。故に名づけて蓋と為す。


 とし、「疑」とは、


  痴の心をもって理を求め、猶予して決せず、これを名づけで義と為す。もし、定等の法を修道するに、無明暗鈍にして真偽をわかたず。猶予生ずるによって、心に決断なきは、みな疑というなり。世間の通疑と一にあらず。

 とあって、疑蓋とは愚痴無明の心をもって仏道を行じていても、「ほんとにこれでいいのかな」と思いながら行じていく姿を言い、一般的な疑いという意味ではないとあります。つまり、親鸞聖人のいう疑蓋とは『教行信証』の総序では「行に迷ひ信に惑ひ」とあるように、仏道を実践する中で仏道に迷うことを言っているのであって、決して一般的な信じる信じないと同じではないとしているわけです。
 上述のように親鸞聖人の信(疑蓋雑はることなし)も疑(疑蓋)も仏道実践の上に成り立つもので、浄土教においては称名念仏の上に成り立つものということになります。そして、親鸞聖人は『教行信証』信巻に三心釈の後に


   まことに知んぬ、至心・信楽・欲生、その言異なりといへども、その意これ一つなり。なにをもつてのゆゑに、三心すでに疑蓋雑はることなし、ゆゑに真実の一心なり。これを金剛の真心と名づく。金剛の真心、これを真実の信心と名づく。真実の信心はかならず名号を具す。名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり。このゆゑに論主(天親)、建めに「我一心」とのたまへり。また「如彼名義欲如実修行相応故」とのたまへり。


 として、三心名前は異なるが「疑蓋雑はることなし」という意味において、一心であるとしています。そして、その信心は称名念仏の上に成り立つものであるから、信心には名号を必ず具しているとし、しかし称名念仏の上に信心が成り立つからと言って、念仏を称えればいいというのは信心を具していないといいます。『親鸞聖人御消息』の中にも

  信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。


 とあり、ここでは信一念=行一念、信=行、行一念=信一念と続けてますが、行=信とはありません。しかし、本願を聞いて一声でも十回でもお念仏を称えるという行が、本願を聞いて疑いない信一念ということにつながるのであれば、行=信となるとしています。ここでも信心とは称名念仏の上に成り立つものであることが示されます。
 次にその信心について、「このゆゑに論主(天親)、建めに「我一心」とのたまへり。また「如彼名義欲如実修行相応故」とのたまへり。」として、三心は一心であり、一心は「如彼名義欲如実修行相応故」 としています。この「如彼名義欲如実修行相応故」というのは天親菩薩の『浄土論』にあり、この解説を曇鸞大師の『往生論註』には


  体、如にして行ずれば、すなわちこれ不行なり。不行にして行ずるを、如実修行と名づく。


 として、よく本願に即応した行は私の行でありながらも、私の行ではなくなってしまうとしています。ここでいうところの行とは称名念仏であり、私の称える念仏が、私の称える念仏ではなくなってしまった状態を、親鸞聖人は一心としています。
 では、この「私の称名念仏が、私の称名念仏でなくなる」とはどのようなことかというと、これを考えるうえで重要なのが「聞名」という考えです。親鸞聖人は『一念多念文意』の中において

  「称」は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこころなり、はかりといふはもののほどを定むることなり。名号を称すること、十声・一声きくひと、疑ふこころ一念もなければ、実報土へ生ると申すこころなり。


 として、「称」は南無阿弥陀仏を称えることとし、称の意味は秤であるといいます。『教行信証』の中においても「称の字、軽重を知るなり」註書きされ、軽いは凡夫、重いは阿弥陀如来の関係性を知ることとしています。そして、それは「名号を称すること、十声・一声きくひと、疑ふこころ一念もなければ」とあるように、称名念仏(行)→聞く→一念無疑(信)という関係性によって生まれるといいます。この「聞」について、『教行信証』信巻には


  『経』に「聞」というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞というなり。


とあり、この『無量寿経』の「聞其名号」の「聞」という字は、衆生阿弥陀仏の本願の、「生起」は法蔵菩薩が本願を建てた理由、「本末」とは法蔵菩薩が本願を成就し阿弥陀仏となって今まで、その二つが衆生済度の為であったと聞いて、疑いがないことが「聞」という事としています。しかもそれが、「聞其名号」の解釈ですから、称名念仏の中に「仏願の生起本末を聞きて疑いあることなし」と聞くこととなるわけです。この聞という状態がまた、「如実修行相応」を表しているわけです。だから、『一念多念文意』にも「聞くといふは信心あらわすみのりなり」などとも明かされるわけです。
 このように親鸞聖人の信じるというのは、「称名念仏を称える中で、その称名念仏が自分の行ではなく、阿弥陀仏法蔵菩薩のころより今に至るまでわたくしを救おうとしてくださっていた呼びかけであったと聞く」という宗教的体験の事をいうのであって、一般的な信じる信じないではないわけです。


 ブラ氏の「信じる」て、どういう意味ですか?上述の事と同じですか?
 また、「しかもその信も《信じるようにはからわれた》。」というのも、親鸞聖人の解説は三心釈などを読んでも信心を得て後に「私の中にないはずのものがある」という気付きから生じるもので、道元禅師の《自己を運びて万法を修証するを迷とす》というような修行における訓戒ではないように思います。


  >>(い)これが 何よりも 《義無きを以って義とす》の神髄ではないでしょうか。
 ブラ氏のおっしゃっる信心が、親鸞聖人の言うところと同じであればその通りです。


  >>(う)なら 慈悲の問題――《受け身》説――にもつうじます。
 親鸞聖人は正式には慈悲という言葉は使いません。法然聖人が慈悲としているところも、報恩としています。


  >>(え)あとは オシエの伝道というよりは 内なるブッダターのゆらぎを呼び起こすこと。
 信心の共鳴というのであれば、そうともいえます。親鸞聖人は信心の利益として、知恩報徳の益をあげておられますが、恩に報いるということを、『正像末和讃』に「他力の信をえんひとは仏恩報ぜんためにとて如来二種の廻向を十方にひとしくひろむべし」とあって、阿弥陀仏の救いを人々に広めていくことを報恩としています。しかも、これもあくまで信心の利益の一つです。


  >>(お)人間が何をすれば励起されるかは分からないので みな《同朋》である。
 励起の意味が分かりませんが、信心ということであれば、念仏によって励起されます。だから、《同行》である。


  >>(か)《ぼーず》は要らない。それは 言わば《有記》であるから。得度の瞬間に有記となってしまう。
 この有記の意味が分かりませんが、私には必要です。私ボーズなる立場にないと念仏できなバカヤローですから。

 
  >>(き)聖職者をみとめることは 内なるアートマンをみとめていないことを意味する。自然法爾ではなくなる。
 これも、意味が分かりませんが、念仏を称えること以外に自然法爾はありません。


 私はこれでっ折伏されましたか?急ごしらえのために、誤字脱字乱文ご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀

bragellone この回答へのお礼

 先生 ご回答をありがとうございます。断片的な引用になります。


 ★ と振り返り、教えに出会うことが始まりとしています。
 ☆ (4) 《始まり》でもいいですが そうだとしてもその意味内容が分かったというのは 信心によります。
 (5) 教行証が信に――考え方の上で――先行することは あり得ません。
 (6) 理性で分かったという理解は ハカラヒです。
 (7) ハカラヒなく(つまりは タターガタによるハカラヒに会って) 理性で分かることはあります。
 (8) ですが それはまさに 信が先行しているという命題を証しています。
 (9) (5)の命題が ゆるぐことはありません。


 ★ 親鸞聖人にとって信心の対義語は「疑蓋」という言葉になります。
 ☆ (10) それは――親鸞の説明にむつかしいところがあるかも知れませんが――基本的に言って 両者が同じ次元での互いに相対的な概念(また経験行為)であることを意味しません。
 (11) すなわち ひょっとしたら疑蓋も 信と同じように 人間のハカラヒを超えているのかも分かりません。:
 ★ 決して一般的な信じる信じないと同じではないとしているわけです。


 (12) いづれにしましても 信心は めぐみとしてあたえられるのでなければ 《一般的な疑蓋》と同じく全面的に人間のハカラヒによる行為となってしまいます。


 ★ ここでは信一念=行一念、信=行、行一念=信一念と続けてますが、行=信とはありません。[・・・]ここでも(《行=信となるとして》も)信心とは称名念仏の上に成り立つものであることが示されます。
 ☆ (13) だとしても 命題(5)は ゆるぎません。《行》も《念》も 信に先行することはありません。先行したなら ハカラヒになりますから。

 
 ★ よく本願に即応した行は私の行でありながらも、私の行ではなくなってしまうとしています。
 ☆  (14) 《わたしのおこなひ》が 自然法爾としてあることを言います。《わたし》がなくなってしまうことを意味しません。


 (15) 親鸞の表現はニュアンスが違うようにも読めますが
 ★ 一心とする
 ☆ と言ってしまうと ハカラヒと疑われるおそれが出ます。タターガタのハカラヒによって《一心となる》のですから。


 補足欄につづきます。

bragellone

 №4のお礼欄からつづく補足の一つ目です。

 ★ 称名念仏(行)→聞く→一念無疑(信)という関係性によって生まれる
 ☆ (16) これは 信が――すでに成ったあと日々の生活にあって――さらに確信を深めることを言っています。

 ★ 「称の字、軽重を知るなり」
 ☆ (17) 《軽重》または《秤》というのは 生活という過程をあゆむときそこここで得られる里程標を言います。

 (18) 信が信として成るのは――基本として―― 人間のハカラヒ無しです。信が確信を深めることは――人間のハカラヒが交じっていてもよいかたちで―― 定性的にも定量的にも経験的な出来事として起こります。



 さらに補足へとつづきます。

No.4の回答に寄せられた補足コメント:bragellone

補足日時:2015/07/03 15:45

№4のお礼欄からつづく補足の二つ目です。

 ★ 「称名念仏を称える中で、その称名念仏が自分の行ではなく、阿弥陀仏法蔵菩薩のころより今に至るまでわたくしを救おうとしてくださっていた呼びかけであったと聞く」という宗教的体験の事をいうのであって
 ☆ (19) ですが 先生 教理について頭が上がりませんが 《信の成り立ち》については わたしめのほうにブがあります。

 (20) なぜなら この《宗教的体験》は 《信》があたえられた(アミターバ・ブッダによりハカラハレあたえられた)まばたきの瞬間を 振り返ってその中身を説明しているところです。

 (21) その説明内容があってやっと・あるいはその内容を理解して初めて 信が成ったものではありません。(理解があると 信についての確信を深めます)。


 (さらにつづく)

bragellone 補足日時:2015/07/03 15:51

№4のお礼欄からつづく補足の三つ目です。

 (22) 《すくいの手が差し伸べられ それを受け容れた》という説明はあり得ます。それでも それは信が成ったあとの講釈です。

 (23) でなければ すくいを受けるというのは ブッダからの手の差し伸べとこちらの受け容れとのあたかも互いに対等の出来事だということになります。

 (24) そうだとすると そのブッダや手の差し伸べやは 人間の頭の中で自由勝手につくり上げた物語だとうたがわれても抗弁できません。

 (25) 神とはそういう(人間と対等な・あるいは人間の思考や想像によって成る)ものではないわけです。

 (26) すくいの物語に《義》がみとめられるとしても そのような人間の思う義無きを以って義とすべきですから。

 (おしまい)

No.5回答者:baka-hage

回答日時:2015/07/06 16:58

 私も断片的な引用になります。今回のテーマとしては主に(5)〜(15)までの間にある


  >>(5)教行証が信に――考え方の上で――先行することは あり得ません。


 で、特に「信前の行」になるかと思います。これについて親鸞聖人は御消息の中で、


   往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは別の御はからひあるべしとはおぼえず候。

 として、信心を得る前も、信心を得て後も、称名念仏を勧めておられます。
 また、『教行信証』の中で自身体験を『無量寿経』の本願に配当して「三願転入」をあかす前の真門釈には

   それ濁世の道俗、すみやかに円修至徳の真門に入りて、難思往生を願ふべし。

 として、ここでは要門をはなれて速やかに真門に帰するべきであるとしています。この真門は「雑心とは、大小・凡聖・一切善悪、おのおの助正間雑の心をもつて名号を称念す。まことに教は頓にして根は漸機なり。行は専にして心は間雑す。」とあり、行は称名念仏ではあるが、心が自力で信心を得ていない状態としています。もちろん、このままでいいわけではありません。『正像末和讃』「真実信心の称名は弥陀回向の法なれば不回向となづけてぞ自力の称念きらわるる」とあって、自力の称名ではいけません。しかし、そんな自力の称名に「速やかに入れ」というのはなぜかといえば、

   阿弥陀如来はもと果遂の誓[この果遂の願とは二十願なり]を発して、諸有の群生海を悲引したまへり。

 とあり、阿弥陀仏が果遂の誓いをもって十八願の信心へと導くとされています。『浄土和讃』にも「定散自力の称名は果遂のちかひに帰してこそをしへざれども自然に真如の門に転入する 」とあるように、信心を得ていない自力の称名は果遂の願によって、他力の信の念仏へと導かれるとされます。


 このように親鸞聖人は信心の無い人にも称名念仏を勧めています。この自力の称名を称える生活を送っていく中で自分の称名念仏が、果遂の誓いによって先の回答で説明した仏の「生起本末」、またはほかの言葉でいえば「召喚の勅命」であり「阿弥陀仏の声(ミナ)」と聞名することへと導かれるのが自然の姿であり、信心決定のすがたです。


 確かにお西さんの『安心論題』には「たしかに、法を聴聞してお念仏申し、お念仏申しながら聴聞を重ねて、遂に信心獲得の身に育てられるのが、多くの人びとの実際のすがたでありましょう。しかし、今は本願の法の上で、信心と称名との関係を論じているのですから、信前の称名は本願の「乃至十念」と示された他力の称名ではありません。」とあります。これにも納得してしまう部分もありますが、これでは親鸞聖人は「実際のすがた」無視していることになります。しかし、親鸞聖人の『教行信証』は教信行証ではなく教行信証という構成にしているのは「実際のすがた」を無視していないからにほかなりません。行巻冒頭の表題に「諸仏称名の願」と第十七願をあげて、この本願の趣旨を「浄土真実の行」「選択本願の行」とし念仏をあげています。つまり、教行信証という構成で考える場合、念仏行は十八願ではなく十七願に誓われたものです。そして、信巻の冒頭表題には「至心信楽の願 正定聚の機」とあって、十八願の名前とその十八願を受け取った人々の機根が記されています。そののちそれを詳細する中に、信心の別名をあげて


   この心すなはちこれ念仏往生の願より出でたり。この大願を選択本願と名づく、また本願三心の願と名づく、また至心信楽の願と名づく、また往相信心の願と名づくべきなり。


 とあって、願の別名として念仏往生の願とはしつつもその趣旨は信心にあるとしています。そして、この十七願十八願の行信の理解をつなぐのが、『無量寿経』十八願成就文の「聞其名号」となります。願成就文においては、十七願が十八願独立した形で語られてはおらず、十七願を受けて十八願が説かれています。つまり、願成就文の教行信証という「実際のすがた」の理解でいえば、十七願においては凡夫の称名が諸仏の称名として聞こえてくる様を表し、十八願においてこのように聞こえる姿を信心としています。そして、本願文の十八願の信心得て後の「乃至十念」について、親鸞聖人は『一念多念文意』には、


   本願の文に、「乃至十念」と誓ひたまへり。すでに十念と誓ひたまへるにてしるべし、一念にかぎらずといふことを。いはんや乃至と誓ひたまへり、称名の遍数さだまらずといふことを。この誓願はすなはち易往易行のみちをあらはし、大慈大悲のきはまりなきことをしめしたまふなり。

 とし、信相続の称名としての言葉と理解しておられます。これは、善導大師が言うところの「上尽一形下至十声一声等」であり、法然聖人の言葉でいえば「信をば一念に生まると信じ、行をば一形にはげむべし。」という言葉になります。


 ですから、
   >>☆(16)これは 信が――すでに成ったあと日々の生活にあって――さらに確信を深めることを言っています。
 というのはあながち間違いではありません。しかし、親鸞聖人は信心決定の瞬間について、『教行信証』信巻において


   それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。

 として、一念とは『無量寿経』十八願成就文のなかにある「聞其名号信心歓喜乃至一念」の事で、この文が信心が成立した瞬間を表すとしています。ここで、注目するのは願成就文の一念を「信楽の一念」としているところです。信楽という言葉は『無量寿経』本願文に見ることができますが、梵本を見ると信楽の訳語に当たるものは見つかりません。これは、『無量寿経』の訳者が成就文「信心歓喜乃至一念」の言葉を本願文に入れ込んだと考えられますが、親鸞聖人はどうやらそのことをご存じであったようです。理由としては『無量寿経』の異訳である『無量寿如来会』などは比較的逐語訳で、その他異訳との比較の中で信楽=一念と解釈しておられます。ですから、親鸞聖人の『無量寿経』の三心解釈は、その中心が信楽が中心であることが分かります。そして、慶心については『浄土和讃』左訓に「信をえてのちによろこぶとなり」とあって、信心を得たよろこびをあらわしています。つまり、ここでは信心の開発の瞬間と信心の相続との関係性が語られることになります。


 そして親鸞聖人はこの文章についての五つの経文と善導大師の御言葉を引用します。一つ目が『無量寿経』の十八願成就文では阿弥陀仏の名号を聞いて信心歓喜し一念するならば正定聚に住すという信心決定の瞬間についての文です。二つ目が『無量寿如来会』の前文の異訳で阿弥陀仏の名号を聞いて一念浄信を起こすとあります。三つ目が、『無量寿経』「東方偈」の聞名による欲生、四つ目が『無量寿如来会』の「東方偈」の名を聞くというところ。ここで、重要なのはここまで全てが聞名を明かす文であるということです。そして、五つ目が『涅槃経』聞不具足、「聞」にも不完全なものあるということの注記です。最後に、善導大師が信心と称名についてあらわした「一心専念」と「専心専念」の言葉が引かれます。この引用文の趣旨は、真実の信楽は称名・聞名・信心という形で成り立つことを明かしています。
 その引用文に続いて、親鸞聖人は信心決定における聞名の役割を明かしています。そこが前回答で説明をした


   『経』に「聞」というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞というなり。


 という部分です。ですからここは「信楽開発の時剋の極促」を表している文章なのです。そして、これは単なる聞ではなく聞名を表していることを考えますと、前回にもお話ししましたが、この聞名の前提には称名があり、その称名が「生起本末」という阿弥陀仏の救いの声として聞こえたことに疑いがないことを、真の聞名としています。この聞名を親鸞聖人は、「「聞」といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり(『尊号信像銘文』)」「きくといふは、信心をあらわすみのりなり。(『唯心鈔文意』『一念多念文意』)」として、信心と同義に扱い、また信心決定の瞬間にも説かれているところです。そして、この聞名に疑いのないということが信心であり、その信心が他力廻向の信心として、一念と説かれるところです。そこに続けて現生十益を明かし、そののちの一念転釈において、この一念を相続(相続心)していく事が「慶心(大慶喜心)」であると展開されていきます。
 だから、やっぱり称名が本当の意味での聞名となる瞬間が信心決定であり一念で、この称名・聞名・信心の関係を相続していく事が信心相続ということになるわけです。

 
 ここまで書いても信の説明としては説明が不十分なんですが、少なくとも親鸞聖人は信前の念仏を勧めています。その、信前の念仏までもが、阿弥陀のはからいと思い当れるのは信心のなせる業で、青春時代と一緒で「後からほのぼの思うもの」です、自力の念仏のころは「胸に遂げ刺すことばかり」なんでしょう。
 いつも思うのが同じようなことを言ってる気がするんですが、ずれますねぇ。
 まぁ、こんなところです。誤字脱字乱文ご容赦を。あといつも返事遅くてすみません。
 合掌 南無阿弥陀

bragellone:この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 (27) 今回は特に我流になります。《即得往生》を推し出したいと思います。
 ▲ わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して
 ☆ わたしの信論としましては ここで


 ( a ) 《わが身の往生一定とおぼしめ》すことが すでに《はからはれ》ている。
 ( b ) その上でその《信》にあって ヒラメキをとおして理性においても《仏の御恩をおぼしめ》すところへみちびかれる。 
 ( c ) ゆえに――すでに《即得往生》でありつつ 時間過程をあゆむかぎりで――《里程標》として《称名念仏》が口をついて出て来る。
 ( d ) 《信心を得る前の称名念仏》は もしどうしても教理として取り上げるとすれば 《理即》・《名字即》ではないかと考えます。あたまで知るということです。まだ《即身成仏》していない段階です。
 ( e ) そしてたぶんですが 即得往生してしまったボディサトワにあっては 《信前の称名》をもすでに現在得られている信に包み込んでいる。ゆえに 《教行信》という順序にも成り得ると。
 =★ 十七願においては凡夫(* 名字即・理即)の称名が諸仏の称名として聞こえてくる様を表し、十八願においてこのように聞こえる姿を信心としています。
 ☆ ただしこれは おそらく《後づけ》として得られる信観ではないかと。


 (28) 前項は 今回の末尾の段落に書かれたところと おおむね一致するかと思うのですが どうでしょう。


 (29) ★ だから、やっぱり称名が本当の意味での聞名となる瞬間が信心決定であり一念で、この称名・聞名・信心の関係を相続していく事が信心相続ということになるわけです。
 ☆ 《聞名》というのは わたしの解釈では とにかくどの民族のどの言語を母語とする人であっても すでに《かみ》に相当する言葉を聞いており その言葉になじむにつれ 心の向き(志向性)が現われ いつしかブッダのハカラヒとわれにおけるハカラヒの無さとが《一心となる》ときが来る。という事件なのだと思います。


 (30) この信論ないし神論は 普遍性を目指しますので いろんな用語を使っています。

 
 せっかくの文献のご提示に触れ得なかったところにつき申し訳ありません。

No.6回答者:baka-hage

回答日時:2015/07/09 11:43

こんにちは。

>>(30) この信論ないし神論は 普遍性を目指しますので いろんな用語を使っています。

 ブラ氏の立場はよくよく存じております。私としても、必要な視点であると思います。


>>(29)


ここはその理解でよいと思います。この部分に関しては、「とにかくどの民族のどの言語を母語とする人であっても すでに《かみ》に相当する言葉を聞いており」は教です。「その言葉になじむにつれ 心の向き(志向性)が現われ」が行です。「いつしかブッダのハカラヒとわれにおけるハカラヒの無さとが《一心となる》ときが来る。」が信です。


 この仏教における「信」について、


>>☆ ただしこれは おそらく《後づけ》として得られる信観ではないかと。


実は、これなんですよね。仏教においては『スッタニパータ』五章なんかを読んでも、信心と翻訳できる語が「saddha」と「pasada」と「adhimutti」の三つ出てきます。なかでも、お釈迦様は最初にsaddhaを基礎においた実践(sn.1026)を勧めています。これに関しては、仏教の実践には「saddha」はその基本として挙げられています。例えば、八聖道の最初は「正見」ですが実はその正見はsaddhaを前提として始まります。これは戒・定・慧の三学も同じです(詳しくは、藤田宏達『原始仏教における信の形態』をご参照ください)。


 そして、『スッタニパータ』第五章を読みますとsaddhaはpasadaになり、またpasadaがadhimuttiを生み出します。大変簡単な言い方をしますと「聞いたことを信じてやってみようと思って→心が清められたという実感を得て→もっと頑張ろうって思う」というのが三つの心の動きなんですが、唯識においても信認、信楽、信欲という言葉で表され、初期から大乗まで通底する考え方です。


 しかし、この時仏教において「信心を得た」というのはいつか?というと、pasadaという二番目の信心を得た時です。『増支部』カーラーマ経なんかでも、「智慧によってちゃんと信仰(saddha)を吟味せい」みたいなことが書いてあります。そうじゃないと、saddhaはsaddhaたりえないんです。


 これは、親鸞聖人においてもあまり変わりません。『無量寿経』における至心・信楽・欲生はsaddha・pasada・adhimuttiに配当してみることもできるんですが、『教行信証』の中における親鸞聖人の解釈でいえば三心=真実の信楽ですから、信楽が中心となります。いわゆるこれは「pasada」という「心が清らかになったという実感」なんです。だからこそ、親鸞聖人は「信心の智慧」とか「智慧の信心」とし、「信心の智慧」については『正像末和讃』の左訓には「信心ずるこころの出でくるは智慧のおこるとしるべし」とするわけです。


 しかし、親鸞聖人も『正信偈』には「まさに如来真言を信ずべし」「ただこの高僧の説を信ずべし」とあるわけですが、この信心は主客二対の二元論的信心であり、いわばsaddhaなんですね。しかし、これを決定の信とは考えてはおられません。あくまで、スタートの信心で仏教としては大変重要ではありますが、スタートの信心がpasadaという心が清まっていくという実感を伴った決定の信とならなければ、スタートの信心はスタートの信心じゃないんですよ。


 そして、浄土教では「心が清まった」という実感は「凡夫であるはずの自分が、心が清らかになっている」という信法の方向と、「心が清らかになったのに、まだ煩悩が消えきってない」という信機の方向の二つの意識を生み、これが浄土教の基本的信心の構成を生みます。これは、信が先か?行が先か?という問題も実はこれと同じです。決定の信を得てみると、「あっ、あのスタートの信心も、阿弥陀仏のはからいだったか。」と気づいていくのが信法の方向であり、「あっ、信心の念仏だと思ってたけど、あれは自力の念仏だったな」と気づいていくのが信機の方向です。浄土教においては、この信心の二つの方向性が私の中で展開する一元的な信心が決定の信となるわけです。(田村芳郎先生なんかは親鸞聖人の信心論なども含めた阿弥陀仏と私たちの関係性を「相対の上の絶対」なんておっしゃっていますが、案外うまいいい方かもしれません。)


 もちろん、スタートの信心と決定の信はその深いところで通底しているわけです。また、先の回答で挙げた「『経』に「聞」というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞というなり。」という文においても「衆生、仏願の生起本末を聞きて」というのはスタートの信心であり「聞きて疑心あることなし」が決定の信といえますので、聞名とも重層する部分です。

 
 このように考えていきますと、ブラ氏のいう信心の流れも(これは信法的な視点)、私の言っている信心の流れ(これは信機的な視点)も、浄土教において(または仏教においても)は決定の信心(初期の仏教では「pasada」)を得て後に思うことといえます。私としては「信心あろうがあるまいが、とにかく念仏せいや」という一言に尽きます。


 ブラ氏の文章の意図とは違う引用の仕方をしたところもございますが、そこは許してちょ。どうぞ、全体論とともに、宗教の個別性についても御理解を深めていってください。急ごしらえのため誤字脱字乱文ご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀

bragelonne:この回答へのお礼

一件落着。めでたし めでたし。ですね。ご回答をありがとうございます。

 (31) ★ どうぞ、全体論とともに、宗教の個別性についても御理解を深めていってください。
 ☆ わたしの場合 ブディズムも親鸞をも一たんそこから出てしまわなければ その持てる普遍性が分からないと――意識せずに――思ったのでしょうね。


 なぜなら・その結果 イエスという男は 全身をユダヤイズムの中に浸しながらその《律法》の指し示す神を完全に揚棄してしまう地点に立ったとわたしは知ることになったからです。


 エレミヤ書(31:31以降)にその揚棄は預言として書かれていますが それを成就しました。
 普遍神をあらたに指し示しました。ヤハヱ―なる神の自己揚棄でもあるのですが。

 
 親鸞もブディズムの中で 同じ地点にまで到った。ただしその揚棄というようなことだけは言わなかった。
 このように理解しています。


 あっ。ブッダが――いかなるブッダか分かりませんが―― もっと開かれた普遍的なブッダいづれ成るのだといったふうに自己を揚棄する文章や研究はありますか? 弥勒は変身していませんよね。


 (32) pasada をめぐって《自性清浄心》と言いかえるのはどうでしょう。親鸞にあっては どういう扱いでしょう? pasada は何だか弱そうな感じがします。saddha ではだめでしょう。


 つまり 自性清浄心が 如来蔵や仏性とともに打ち出されてよいと思いますし それは一般に価値自由な中立な概念としては やはりアートマン(霊我)がよいと思います。ルーアハなどの神の霊という概念です。

 (33) すっごくすっきりしましたね。ブッダの自己揚棄など ほかにおぎないがありましたら どうぞお書き添えください。