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哲学いろいろ

ヘーゲル 音楽論

 美学講義 Vorlesungen über die Ästhetik
 長谷川宏訳:ヘーゲル美学講義 1996

ヘーゲル美学講義〈下巻〉

ヘーゲル美学講義〈下巻〉

 第三部 個々の芸術ジャンルの体系
 第三篇 ロマン的な芸術ジャンル
 第二章 音楽
 三 音楽的な表現手段と内容との関係 Verhältnis der musikalischen Ausdrucksmittel zu deren Inhalt

 第一に[・・・]付随音楽というものがある。その精神的内容が 抽象的・内面的な意味ないし主観的な感情としてとらえられるだけでなく 観念によってあらかじめ形成され ことばとして表現された上で音の動きのなかに入ってくるような そういう音楽です。

 
 もう一方にあるのが そのような既成の内容から身を引き離し 音だけの領域で独立した音楽です。

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 ということは 必ずしも《標題音楽》と《絶対音楽》との区別の問題と同じであるとは思えないようです。
 あるいは 音楽は 《音の形式のみ》か《感情の表現》かの対比とも 違ってくるかに思われます。

 それ(独立した音楽)は なんらかの特定な内容となお関係する場合には その内容を直接にメロディーと和声の複合体のなかに埋め込むし さもなければ まったく独立の音響そのものと 和声とメロディーによる音響のフィギュレーション(修飾)だけを相手とする音楽です。

 [・・・]
 音楽は内面性そのものを表現しなければなりません。が 内面性には二通りのものがある。
 ある対象をその内面性においてとらえる というのは 一方で 対象を物としての外形においてとらえるのではなく その観念的な意味に即してとらえることを意味するとともに 他方 その内容が主観のうちに呼びさます生き生きとした感情としてそれを表現する という意味にもなる。
 この二つのとらえ方は どちらも音楽には可能です。





 a. 付随音楽 Die begleitende Musik


 [・・・(付随音楽をめぐる)・・・]音楽表現は 自分の運動と霊感に身をゆだねる独立の音楽にくらべると 特定の内容との結びつきがはるかに緊密だといわねばなりません。
 独立の音楽  Die selbständige Musik を聴く場合 わたしたちはなにかに妨げられることなく自由にあちこち動きまわり 音楽のそこここに思い入れをして あれこれ心をゆさぶられるという自由を放棄する必要はないが 歌詞がつくと そこにはじめから一定の観念が提示されるため 意識は 観念なき感情の 夢のような世界にはたゆたうわけには行きません。
 とはいえ 歌詞と結びつく音楽が 歌詞に仕える侍女に甘んじるようなことがあってはならない。・・・





http://www.textlog.de/5779.html
ドイツ語版
https://archive.org/stream/bub_gb_bcIpxaBwfMUC#page/n193/mode/2up

英語版
https://archive.org/details/hegelsaesthetics00kednuoft
Projekt Gutenberg ヘーゲルのページ(ドイツ語)
http://gutenberg.spiegel.de/autor/georg-wilhelm-friedrich-hegel-253

Zeno.org ドイツ語の哲学書
http://www.zeno.org/Philosophie/W/Inhaltsverzeichnis

The Online Books Page ヘーゲルのページ(各国語)
http://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/lookupname?key=Hegel%2c%20Georg%20Wilhelm%20Friedrich%2c%201770%2d1831






Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie