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哲学いろいろ

George Fox

 ▼(ヰキぺ:ジョージ・フォックス)
 (George Fox、1624年7月 - 1691年1月13日)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9


 基本的に言って ちょっとづつ違っているように感じます。
 ▼ キリスト者は外部に向けての実践の点でそれぞれ異なるが、全てに言えることは、信仰のゆえに「救われた」と考えていることである。
 ☆ 《救われた》というのは 人によってその内容が違うかも知れません。わたしの場合は 魚がタモ(網)で掬われるようにして身と心が包まれたという感じがまづあります。そうして 世間や世界とのそしておのれ自身との間に和解が成ったというような感じです。身も心もやわらがしめられた。
 次の文には《回心》と出て来ますが そしてそれも《すくい》のことを示す言葉であるはずですが 人によって中身が違うという側面があるでしょうね。

 ▼ ゆえに、真の魂の回心を経験しない限りは、儀式のようなものは大して重要と考えないでいられる。
 ☆ これは 分かりにくい文ですね。
 回心を経験したときには 儀式は重要と考えるようになる。って言っているのですかね。
 だとすれば わたしの場合は 別です。初めっから 儀式は要らないですし いまもそうです。

 ▼ 聖職者に必要とされる資質は、聖なる魂によって与えられるのであり、教会での研究によって与えられるものではない。このことは、誰もが聖職者になる資格を持つことを暗に意味している。そこでは、神の精神が女性も含めた彼らを導くことが想定されている。
 ☆ 《聖なる魂》というより 《聖霊》のことでしょうね。ただし 聖職は要らないという立ち場ですが。

 つまりこの点を説明するなら 《教会によって任命されたとしても 聖職に就くのは――つまり聖職者としてサクラメントであるたとえば洗礼をほどこす務めは―― 聖霊によってつまり神によってであるので 仮りにその聖職者があとで棄教したとしても 以前にほどこした洗礼が無効になることはない》という意味だそうです。

 そうしてこのことは 引用した第二文第三文の内容に即したものであるはずです。はずですが なにぶんサクラメント秘蹟)という規定について それが儀式をともなうものかどうかに関しては 要らない・伴わないという立ち場にわたしはあるということになります。

 ややこしいですが 恩恵主義としては すべてが神による・つまり聖霊によると見るのですが そこに儀式やオシエやよきおこないやなどが伴なわれなければならないとは考えません。(アウグスティヌスは 教会による洗礼などのサクラメントを不可欠としています)。

 すべての人が キリスト・イエスを長子とする兄弟姉妹である あるいは 互いに同朋であるということは 内容が重なるかぎりで同じ見方です。これは 一般概念としてまた類型としての《梵我一如》のかたちにおいて そうです。キリスト信仰でなくても 同じだと見るという意味です。

▼ 神は「従順な人々の心の奥深い中心に住む」のであって、宗教的経験は教会という建物によって定義されるものではない。
 ☆ 《住む》と言ったって そうやすやすと分かるものではないでしょうね。《非思考の庭がわが心に成る》というほどの表現がせいぜいだとも考えられます。《心の伸び あるいは 心の明け》。
 この《庭》に《見えざる教会》があって それは人びとに共通していましょうね。

 ▼ 実際、フォックスは建物としての「教会」という言葉を使うことを拒み、その代わりに「尖り屋根の家」という言葉を使った。この用語は、現在でも多くのクエーカーが使い続けている。フォックスは野原や果樹園などで礼拝をすることを好み、神の存在はそういう自然な世界の中でもまた感じられると信じていた。
 ☆ 《エクレシア(> 仏:エグリーズ;西:イグレシア》という言葉としての教会は けっきょく《民会》ですから 宗教抜きで信仰の話をもしないかたちでの《ムラ(市町村)の集まり(市町村議会)》のことだと見ます。
 《キュリアコン(> 独:Kirche; 英:church )》という言葉で表わす教会は 《主の〔家〕》と言っているのですから これは 全世界のことです。あるいは単位体としてなら ムラのことです。
 何なら 《サンガ》と言ってもよろしいのでは? ただし宗教抜き・信仰談義抜きです。

 礼拝などすべての儀式は 要らないという立ち場です。聖霊の時代に入ると見ています。キリストのキの字も言わなくなるという意味です。


 ちょっとづつ違っているように感じますが いかがでしょう?