caguirofie

哲学いろいろ

美について(むすび)

 ★ この設問に回答は、ご自分の感性を晒さないとならないというものです。もっといえば、乗り越え難い「他者」と対峙し、抵抗し、何とか認めてもらおうとあがいた経験を示していただかないと答えられないものです。
 ☆ この《感性の晒し / 他者との対峙・抵抗・承認を求めるあがき》について 美学では――あくまで審美眼の問題としては―― いっさいその努力は要らないという考えの持ち主です わたしは。
 むろん哲学としては――特に思想=生活態度としては―― 対話に議論に論争さえも必要かと思いますが 美意識の問題では 対立も賛同も 特別の意味は持たないという考えです。

 なぜなら ひとつに 善の損傷を癒やす美の問い求めは 一人ひとりその損傷の度合いや具合いが違っていて 求めるかたちが異なってとうぜんだと思うからです。
 しかももうひとつに じつは すでにその美の好みとしてはその極みに到達したところから ほんとうは 出発するのだとも考えているからです。途中のいきさつは――つまり 感性の晒し / 他者との対峙・抵抗・承認を求めるあがきとしての途中経過は―― すでに終えているところから その途中の過程をたどっていると見ているからです。
 自分の中でこの途中経過は それとして意味を持つかも知れませんし まったく持たないかも知れません。しかも それでは自分の経験が 他者にとっては どう受け取られるのか? おそらく 美学としては=その感性のもんだいとしては 意味がないであろうと見ます。意味が出て来るとしたら それは 知性で受け取ってからの思想や哲学としてではないかと考えます。

 以上 ささやかな《抵抗とあがきと対峙》の文章でした。