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哲学いろいろ

木村重信 on 現代美術

 ゼ―ドルマイルというドイツの美学者は ハウゼンシュタインとは別の立ち場からではあるが その著『中心の喪失』で 芸術は credo (信条)の表現でなければならぬという。もちろんそれは個人の内部で意識されているだけではなく かならずある形式として外部に表現されねばならず したがってかれは形式信条というのであるが それは必然的に時代の思想や感情と血のつながりを持たなければならないとする。
 かれによれば現代的人間概念の特性は純粋な人間へのゆきすぎた探求にある。現代美術は明らかにルネサンス以来築かれて来たあらゆる観念と価値とを否定し 自然とのつながりを断ち切り 自我という閉じられた世界のなかで極端な主観主義に傾くが それを支えるのは純粋人間の概念であるとする。

 現代人は神の概念から一切の擬人の試みを排除し また人間から一切の擬神的なものをはぎとった。かくして人間が純粋な人間に成った――そう思ったとき 人間は自動機械に化してしまった。
 《自律的芸術が存在しないごとく 自律的人間は存在しない。人間の本質には自然にして同時に超自然であることが属する》のに そのような人間の正しい概念が失われたときには ゼ―ドルマイルにとって 現代はまさに《中心の喪失》――人間の喪失の時代である。

 このように考えるかれにとって 現代美術のあらゆる種類の造形主義的偏向が批判の対象となるのは当然であり それがかれをして 現代の美術家にたいして 純美学的態度から脱して 失われた神を 失われた人間をもとめることを望ましめるのである。
 (現代絵画の変貌 1・プロローグ 二つのエピソード 著作集・6 pp.5−6)