悪魔?
《俯瞰法》の分析に入ります。
まづその定義です。
☆☆(No.63お礼欄) 〜〜〜〜〜
2. 《自ら歩み寄る姿勢》――たとえば 俯瞰法による表現を前面および全面に推し出して話を引き出そうとするのは まぁ いぢのわるい目明しが使う姑息な手段です。人間的だとは どう見ても言えません。
それは
( α ) まづ或る類型を決めてそれを相手に向かって差し出します。
( β ) おまえはこの類型に当てはまるだろう? ならば神妙に答えよ。となります。
( γ ) 目明しなら おまえがやったんだな? どうなんだ? と続けるところでしょう。
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☆ それでは 実地に検分です。
■ (回答No.66) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【 a 】 (1) いいえ
あなたの仮説について:
主観が自律的には成立しないという点。
および、評論や論理で美術がわかるとはだれも主張したていないという点。
【 b 】 まずあなたはこれをよく咀嚼したほうがよい。
☆(註解) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【 a 】はまだ対話ないしふつうの議論であるように見えます。ただしすでに(β)のほうから攻めて来ています。
【 b 】で《俯瞰法》の真骨頂がすでに現われます。すなわち(α)の投網として投げかける《或る類型》が すでに懐刀としてのように 用意されていたということのようです。
すなわち【 b 】の意味は:《すでに投網は投げかけられあなたはその網の中に閉じ込められつつあります。その投網は これから明らかにしてあげます。けれども すでに覚悟を決めたほうがよいですよ》と言い出しています。
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【 c 】 あなたは、「遊戯とは」において、無用です、と言われる前に愚昧な論理を押し付けてわたしや他者をおとしめています。矛盾があるといいつのり、わたしの丁寧な応えを咀嚼せず、自分自身の考えに取りつかれています。
わたしは、補足欄に「無用です」と書き、お礼欄に、ご自分の投稿を繋げて読み返しわたしの応答を読み返すように、という主旨のことを優しく書いたはずです。
☆(註解) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さてどうでしょう? 《愚昧な論理の持ち主》――どうもこれが 《或る類型》でありその投網であるようです。そのことをようくさとして分かるようにして差し上げるから きちんと《咀嚼》してみなさいと言っています。
――いいですか 愚昧な論理の持ち主なら《無用》なのです。あなたは 無用なのです。ただし無用だからと言って 卑下することもありません。仏の目から見れば網にかかった魚として 成仏する道が残されています。そうして成道すればいいのです。すなわち・・・
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【 d 】 無用をいつくしむ気持ちを持つことです。仏門に縁のないあなたではあるが、無用と言われたときに、自分自身をあらためてよくよくご覧なさい、という答えが添えてある。
【 e 】 そんなこともまだわからないなら、みなさんの同情や共感を懸命に乞うのがよいでしょう。
☆(註解) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――ははぁーっ。お代官さま いえ 間違いました。大岡さま。みごとなお裁き 感服いたしました。
へへへぇーっ。かくなる上は 無用とは言え 日に日に精進を積み重ね 魚からにんげん様になれるよう 功徳をも積んでまいる所存です。
ありがたきお裁き おそれ入りました。
【 e 】は (γ)《おまえがやったんだな? どうなんだ?》であり つまりはこの際さらには神妙に罪状の中身をも洗いざらい白状しなさいと最後まで問い詰めて来ているようです。
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☆ すなわち中身は何もありません。ただの保身法です。
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《俯瞰》は 一般には《社会なら社会を総体として捉える》その視点です。封建制だとか民主制だとか言っても そのぶんには問題ありません。
これの応用として俯瞰法と言っているのは そのように捉えられた何らかの類型ないし範型を投網のごとく人に投げかけ包み込みもうとし おまえはその類型にあてはまるのだと言わんばかりに迫る。そういう対人的応対のかたちを言います。
わたしのおこなったことは いわゆる上から目線の用法です。これは ふだんそういう語法を使わない者が使ったときには 冗談であったりお茶目であったりするというものです。また 互いの信頼関係にもとづこうとするものです。
むろん失敗することもあります。
ところが 俯瞰法は 信頼関係の有無にかかわりなく 投網がかぶせられるものであり 少なくともその類型にあてはめられる難をのがれたとしても その間の時間かせぎにはなるというしろものです。時間かせぎになるというのは それまでの肝心の懸案だった問題があわよくば忘れ去られるという《成果》も得られないわけではない。
また 投網をかぶせられるというのは むしろ周りの観衆に影響をおよぼします。あぁ なるほどその類型にヤツはあてはまりそうだ と思ってしまえばあとはそのまま坂道を下るように《風評》は広がります。誹謗中傷の実行犯は ひとつにこんな手口を用います。