caguirofie

哲学いろいろ

いぢめ雑感

いぢめについて 思い出そうとしてみると どうも わたしは わたしを何らかのかたちでいじめようとした人びとを 言ってみれば 《殺してきた》ようだ。


物騒な言い方をしたが どうもわたしは かれらを意に介さないでいたようで 何ら相手になってやらなかったらしい。
だから かれらは 自分の仕掛けが 一切効を奏さなかったわけで そうだとしたら かれらは その仕掛けの意志(?)に関する限り そのまま死んでしまったかも知れない。だから 殺してきてしまったかも知れない。

けっきょく いじめをするというのは みづからの欠陥やらコンプレックスやらを 他者の中に見て これをいじくりたくなるのだろうか。


だとすれば かれらは 自分のその恥づかしい部分を見るな 見られるくらいなら《殺してくれ》と言っていたとさえ考えられる。


ちょっと結論を急ぎすぎたようだが 我が体験からは 妙な方向へと話と分析が進むようである。
この随想は しばらくこのまま寝かせておこう。