あまがっぱさんへ
caguirofie 2012.11.09のやり取りを承けています。
- 考えました。
- いえ けさ目が覚めたら その思いが浮かんでいて それをふくらませただけなのですが。
- ひとが《ばか》呼ばわりされることは 火の中をくぐり抜けるほどの試練を味ぢあわねばならないことであるが 必要である。また 必ずひとはそこをくぐり抜けて わたしがわたしであるに到る。
- その試練というマイナスの道は すでにみづからがみづからにあたえてたどっていた自己欺瞞というマイナスの道を引き返すことでしかないのだから 必ず必要である。
- すでに自己にさからい自己をあざむくというウソの世界に落ち入っている状態にあって ばか呼ばわりを受けることは 避けて通れない。
- すでに自分で身につけたマイナスのばかに ばか呼ばわりのマイナスを掛ける。これとしての火の中をくぐり抜ける過程だ。《あやまつなら――あやまちに気づくなら―― あぁ何てばかだ おれはとみづからがみづからに言って もともとのプラスのわれありに自己到来する》のと同じである。
- これらの火の道は 必ずくぐり抜けることが出来る。すべては――みづからが自分にまねいた悪夢の世界であったとしても―― 自己にさからうという意志行為が ほんとうはウソであったからだ。
- 大いなる虚構の世界に落ち込んだわれは 自分から気づくにせよ人から言われて気づくにせよ 自己還帰の元来た道をたどるとき いくらきびしい試練であってもたどらざるを得ないと心に決めるとき ただし人は なお隣り人たちを必要とする場合がある。
- それは 《敵》と見なされる。自己回復の道にもどったのだが 自分は間違っていなかったと思いたいのか 相手は敵であって欲しいという未練がそうさせる。相手が間違っているという虚構の世界になお居続けたい。
- ニート・引きこもりなどのようにほとんどまったく内向するかたちでそのおのれの道をたどる場合は この敵対感をあまり持たないのか それとも人を敵対視したくないのか。ただしそれゆえ 必ずしも《火の中》試練だとも思っておらず その道は長引くかも知れない。時間の長短であるよりも 精神の感受の度合いとしての長い短いであるような。
- いづれにせよ・どんな試練にせよ 精神は おのれのうわべに起きる心理劇としての大小さまざまなブラックホールの誕生と消滅の過程をしづかに見守って行く。