詩篇注解( Augustinus )
・・・事実により 言葉により 考察により そして範例により
主は正しい人びとを強める。(37:17)
罪人は かれらの欲する限り また許容される限りで 荒れ狂うがよい。《主は正しい人びとを強める》。
正しい人に何が降りかかろうとも かれはそれを敵のもろもろの力にではなく 神的な意志に帰すべきであろう。確かに敵は荒れ狂うことができよう。しかし神が欲さなければ 打つことはできない。そして敵が打つことを欲するならば 神はいかにして人を救うべきかを知りたもう。すなわち主はみづからが愛する者を懲らしめる。
主は みづからが受け容れるすべての息子たちを鞭打つのである。
(箴言3:11−12⇒ヘブル書12:6)わたしの父が不正な人を用いて かれ自身に対する鞭を造るからと言って 不正な人はなぜ喜ぶべきであろうか。主はかれを奉仕させるために用い わたしを〔神の国の〕相続へと訓練する。それゆえ 神が不正な人の行ないをどれほど為すがままに任せるかではなく 正しい人をどれほど守っているかを よく注意すべきであろう。