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哲学いろいろ

《聖なるあまえ》から《きよらかなおそれ》への変態:やはり ゴミ浄化再生のアース役!

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10017703.html

1. 《聖なるあまえ》は ものごころがつく前におけるひとの心の状態を
言います。

2. 赤子が母親にあまえる――つまり 全面的に考えも何の計らいもなく
身をゆだねるかのように心をゆだねている――とき これをひとつの典型と
して言う。

3. ところが 誰しも ものごころが着いて来ます。

4. 《考えもハカラヒもなく》というのは おこないがたく成ります。ウ
ソをつくことをも知るという社会的動物たることの洗礼をも受けるようにな
ります。

5. このとき聖なるあまえは どうなるか?



6. 幼虫がさなぎになる

7. 聖なるあまえは きよらかなおそれへと変態する。



8. きよらかなおそれは 幼虫ないし赤子における聖なるあまえ状態とほ
ぼ同じだと言いたいのですが むろん《ものごころがついた》という意味で
の変態を経て 違いが出て来ます。

9. けれどもそれでも 後の段階で――ヒトの生まれつきなる自然本性に
変わりはないと見るかぎりで―― 《聖なる甘え》と同じ状態であると言う
ためにこそ しかも言葉を変えて《きよらかなおそれを抱く状態》と呼びま
す。

10. すなわち 聖なるあまえは 母親への本能的な寄りすがりであると
き その同じ自然本性の成すハタラキにおいてなのであるが こんどは 母
親なる存在を超えてナゾの何ものかへのおそれに その《身と心とのゆだね
(あまえ)》を置き換える。




11. 言いかえると 聖なる甘えのときは きよらかなおそれすら――お
それすらを――まだ持てない状態であった。

12. このきよらかなおそれは 確かにナゾの何ものかに対するものなの
であるが その同じ内容が 主観の内面における思惟や意思決定のときにも 
〔おそれとして〕現われる。

13. これは さなぎからすでに成虫へとさらなる変態をとげつつあると
きに起こるものであるが まだ さなぎ段階のこととして捉えてみよう。

14. ウソをつくとき・イツハリをはたらくとき 心は胸が変に高鳴り身
も顔を赤らめ言葉もしどろもどろになる。《やましさ反応》が出る。やまし
さを 理性で受けとめるときには 《恥ぢ・恥づかしさ》である。

15. つまり このヤマシサ反応が きよらかなおそれのことである。良
心のハタラキだとも言える。




16. つまり要するに おのれがみづからの心を省みずヘソを曲げるとき
に起きる《おそれ・やましさ・恥づかしさ》である。

17. 主観はつねに この・へそ曲がり(つまりウソ・イツハリ)を仕出
かし 軌道修正しわれに還り また脱線したり道草を食ったりして 《わた
しがわたしである》道をあゆむ。

18. 《恥づかしさ》を 何ものかナゾなる存在に対するおそれと感じ 
これを聖なるあまえを継ぐものと見て きよらかなおそれと捉えるなら そ
れは この小さなおのれの主観が 人びとにも共通の心であると受け留めた
ことを意味する。

19.  つまり きよらかなおそれは 人びとにとって普遍的な内容を成
す共同主観であると――甘えないしはユダネであるからには 無根拠におい
て――受け容れたことを意味する。


20. 《共同主観》は 共同と呼ぶからには普遍性があると見ているし 
或る種の仕方で言えばわが心なる非思考の庭においてそのように受け容れて
いるものです。(無条件の無根拠にて受け容れているという意味です)。


21. こうして さなぎは羽化し 蝶へと変態する。







22. 成虫した場合には 社会の中で おのれの――はぐくんできた――
《きよらかなおそれ》が つねに〔共同主観であると見ているからには・そ
の限りで〕有効であるが しかも単純に社会力学じょう既成勢力たるチカラ
の前に無力となる。

23. この情況における《わたし》は どう生きるか? 《きよらかなお
それ》のゆくえは?




24. 聖なるあまえ・もしくは きよらかなおそれ・あるいは《恥ぢ》を
失わないならば けっきょく世の中においてわが目の前を通り過ぎてゆく観
念のブルドーザーの《無効にしてただ力学じょう有力であるチカラ》に対し
て これを精神の胃袋で消化しつつ 引き受けるということ。泥をかぶると
いうこと。

25. ここに 蝶たる成虫への変態は 成し遂げられる。ものと思われる。




26. このシガラミの中にあって 無効の有力でしかないそのやはりシガ
ラミたるゴミを――すなわちこのゴミは しばしば社会力学じょうの栄誉を
着せてもらってその地位に就き身を飾り立てている・つまり しばしばおご
り高ぶるゴミを―― あたかもみづからはアース役となって 呑み込みつつ
処理していくということ。



27. これが 名も無い一介の市民の完全に成虫した(つまり さとりを
得た)蝶としての社会的使命である。



28. 敢えて言えば そのときの《武器》は 《きよらかなおそれ》であ
る。根拠は 無い。

29. 初期条件はただ生まれついたというだけの無条件の情況にあって 
無根拠なる根拠において ごみ処理(浄化再生)工場と成る。

30. きれいな酸素をも供給するらしい。
 
31. 義(オシヘ)無きを以って義としているらしい。(もっとも この
ことは 《無住処涅槃》なる概念として・あるいは《本覚思想》として す
でに打ち出されているようであるらしい)。

32. ひとびとよ おのがさとりを得よ。



☆ 以上を問います。自由なお考えをどうぞ。フルボッコの批判を歓迎しま
す。