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哲学いろいろ

人間は生きる為に、必要不可欠な何かを勘違いするように造られていますか?

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どういう必要不可欠な事を勘違いするように造られていますか?


回答者:bragellone 


★ 生きる為に、必要不可欠な何か
☆ それは 《心の明け》だと思いますね。そしてこれを:
★ 勘違い
☆ している。

誤解をおそれてでも早く言えば 心の明けとは 《能天気》のことです。
そしてそのように言いかえると あたかも:
★ 勘違いするように造られてい
☆ ると見なされるかも知れません。

 


赤子のときの周りの人びとへの完全《無防備》と言えるほどの依存性。
これは 聖なる甘えと呼んでいますが 同じことだと見ます。そもそも
このように生まれたときから 人間のこころは明けている。

 


ものごころが着いてからは――おのが心にさからうことを覚えますので・
と言っても けっきょく大きく基本としては同じ状態なのですが もの
ごとに対するおそれが入りますから―― ちょっとした薄曇りになって・
しかも――自然本性の根っ子においては―― きよらかなおそれである。
蛹であった聖なる甘えが 蝶としての きよらかなおそれ に変態した
のだ。

 

心の明けと言っても たとえばよくその表現は使われているような《心
の窓を開ける》といったこととは 微妙にちがう。

《窓を開ける》ことがダメだということではなく そうではなく 質が
ちがうと思われる。

つまり 心の明けは なにか窓や扉を開いて外につうじるといった感じ
の問題ではなく もともと《ひらいている》。《無門》。いや つまり 
開く・開かないとは別であって もともと《閉じていない》のだ。

あるいはつまり おのが意志によって――自己防衛からか自己の欲望か
らか――《閉じる》ことをしない。閉じることを知らない。

 

《こころを閉じることを知らない状態》が 能天気なのであり ひとは
必要不可欠なのに忘れがちになる。

 

近代人・現代人は 知識を増やし教養を高め生活共同なる社会をよくし
ようとふんばる。身をも心をもよくもわるくも着飾る。クリスマスツリ
ーのデコレーションのごとく。

能天気とも呼ぶ心の明けとは 樅の木の状態でときを過ごすということ
である。じつは このまま 種々の問題にも当たる。のではないだろう
か。

 

(きのうテレビで尾張一のたわけを見ましたので その影響で言い方が
片寄っているかも知れません。あしからず)。