ともし火に我もむかはず灯も我にむかはずおのがまにまに(光厳院)
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★★ (ともし火に我もむかはず・・・) 〜〜〜
★ (過去、私が経験してきたおぞましい争い、自らの命を投げ出
していかざるを得なかった者たちの思い・・・そういった事態を招
くのは、なにがしかの光輝くものに向かう心がなしうるのではない
のだろうか?
☆ 《殿上人の世界での争い》は 《神のごとく如何なる者の下
にも立つまいと堅く誓った人間》の宿命です。権威・権力の保
守のために親子兄弟の間でも 潰し合いをするという。
★ そういった事態を招きつつ、あわれとして心の窓に映し出す)
☆ それは 《あはれ》ではないでしょうね。天命です。むしろ
《もののあはれを知る》心に 初めに背いたところから出発し
ているのです。
★ ともし火というものに、(出家して皆を弔うようになった)私
も向かわない
☆ でも そのいま 向き合っている。だから うたを詠んでい
る。いや そこから離れるというのであれば 次の句をいちい
ち 詠まない。
★ (そういった)ともし火もまた、私には向かわない
☆ ともし火がわれに向いていると思ったのは ただの勝手な思
いめぐらしに過ぎない。
★ それぞれが、それぞれに、そのままに(あるべきものなのだろ
う)
☆ 《あるべき》という表現を使うのは 哲学としてなら 人間
や社会に対しての場合に限る。
☆ 《そのままに》とわざわざ言い出すのなら 初めから 相手
も我れも それぞれおのが所を得ているという姿としてすでに
《ものの見えたる》世界の内なる一存在であるというのが ふ
つう。
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★ 然し乍ら、悲惨な状況を経験された北朝の光厳院であれば、心
折れることなく向き合いつつ歌を詠まれたかもしれませんね。。。
☆ いいえ。アマテラス種族――《もっぱら権力指向にのみ生きる
政治的人間》――なる人間類型は すでに《折れる・折れない あ
るいは 内省する・しないの心》を棄ててしまっているのです。
あいにくですが このように考えます。
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