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哲学いろいろ

個性

 【Q:個性、同調と調和】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8985361.html

 1. 《個性》というのは ありません。社会全体の中で どういう仕事を分担しているかに尽きます。


 2. 同じ仕事をして 前任者とは違った仕事ぶり(指導ぶりをふくめて)であってそこに個性があると言う場合 だとしても 全体における分担のあり方としては おおむね同じでしょう。


 3. ぎゃくに言えば その仕事の成果に 差があるかも分かりません。けれども その差は 一定期間を取ってくらべただけのことです。つまりその一定の期間というのは むしろその直前やさらに過去の経緯から影響を受けている可能性があります。ということは 仕事の成果の――前任者との――差は 一概には決められません。


 4. かんたんな説明ではありますが このように人それぞれの個性というのは 社会から見てむしろ無いという見方が成り立ちます。


 5. この基礎的な見方に立って その上で仕事をするにあたって 互いの協調ぶりや内外における・時には対立ぶりなどなどとして一人ひとりがそこに感じ取る仕合わせ(つまり 相互関係の情況)があれば そこに現われ出て来る。といった程度のことではないでしょうか。





 6. それでも やはり人間には個性があるのではないかというときには どうなんでしょう。たとえば社会の全体やその個別の仕事の単位体において これこれこういう思想で行こうとか その目指すところを明らかにして人びとに示したりあるいは互いのコミュニケーションの仕方をあれそれそのように行なおうとか それぞれ互いの位置関係を踏まえたマジハリにおける交通整理の仕方を指し示したりするハタラキにあるでしょうか。


 7. むしろ そういった仕事の場と過程でそれぞれが味わう充実感をとうとぶこと そしてそのことをうったえそのための指針を出せるかどうか。こういったところに――人と人との現象的な差としての――個性は そうだとすると 発揮されるもかも分かりません。






 8. 画一性や同調は ただのファッショであり 人間性の放棄です。お呼びではありません。


 9. 協調や対立は どちらも仕事のためと捉えて 互いに推し進めて行くのが ふつうです。言うとすれば そのような対立を容れた状態での進展が 動態としての調和です。


 10. 《個性》がどうのこうのと言うのは まだ人間以前の状態にある人間です。吸血鬼というものが思い描かれ観念として持たれていますが 世の中には言わば吸心鬼とも言うべき思いと行動性を持った人間がいます。
 自分の差し出す悩みや問題を ともに考えてくれと言って 相手に近づき責め寄るクセのことです。相手の心くばりを引き出し その努力をけっきょくは消耗させようとねらっているヤカラです。吸心鬼です。


 11. 個性を省みてくれ 人間性を大事にしてくれ 人権侵害ではないかと言い張ろうとするのは この吸心鬼とよぶクセ・性分なのだと見て それほどマチガイはないと考えます。