caguirofie

哲学いろいろ

他人の言葉で 心が傷つくか?

 あり得ないのではないだろうか。

 

bragelone.hatenablog.com

 

 

おのれのやましさ〔なる行為〕によるよりほかに 心が落としめられたり傷ついたりすることは あり得ないと考えられる。マチガイを侵さないのに どうして心が沈むのか。


 この質疑応答の場でも やり取りの中で 相手の言葉づかいが元で傷つき ついに退会したといった議論が聞かれます。

 おのれの心のやましさによるのでないなら どうして傷つくことがあるだろうか。

 情況が自分にとって必ずしも良くはないときにさらにその思いを必要以上に噛みしめねばならなくさせるような酷い言葉やののしりの言葉などを聞けば まづひとはおどろく。しかも きよらかなおそれをつねに持つひとは ひとたびはおのれの身の振る舞いについて返り見ることをおこなう。心に――その心なる海のおもてに――波風が立ちそのような一時的・心理的なゆらめきさえを覚える。

 けれども 心にやましくなければ 心が傷つくなどということは あり得ない。

 


 せいぜい 相手がまだ人間における心の深さに気づかずその高みにも到っていないことをおもんぱかり 何とか助けにでもなれないものかと心をいためるのみである。


 もし傷ついて去って行ったとするなら それは そのひとのあやまちであるしかない。おのれの心にやましいところがあったからである。

 精神が傷つくことはあり得ない。
 心なる海の上に波風が立つのみ。


 成否・当否を問います。どうでしょう。