caguirofie

哲学いろいろ

悪という独立したものは存在しない。善が《生きる》として存在する。善を傷つける現象を悪と呼ぶのみだ。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9969049.html

次が たたき台です。フルボッコで批判をどうぞ。
 
1. 悪という現象は こころのへそ曲がりに発します。ウソ・イツハリの
ことです。このとき人は やましさや後ろめたさを感じ 動悸を速め 時に
顔を赤らめます。

2. ウソと言う限りで ウソでない心のありかまたはあり方があるはずで
す。それを 自然本性なる心と呼ぶとよい。さらにこれを善と呼ぶとすれば 
悪は 善のひねくれ・ねじ曲がりでありそれが くせとなれば 善が損傷を
受け欠けていきます。

3. 自然本性と言うべき心としての善 これが減ること・またこの善を減
らすこと これを悪と呼ぶ。またその善が減った状態のことをも 悪と呼ぶ。




4. ということは 悪は 自然本性なる善から起こるのか? ――然り。
5. どのように? ――われらが自然本性は かなしいかな・いかんせん
限りがあり移りゆかざるを得ない経験的で相対的な《よさ》ゆえである。

6. よさを――心に逆らって・ヤマシサ反応を押し切って――損なう誘惑
によわく 誘惑についてゆくときのウソ・イツハリを正当化する自由意志の
自由度をも持っている。

7. かの園で アダムは 《アダムよ アダム きみはどこにいるのか?》
という心の声を聞いた。《ここにいます》と答えると 《どうして心を曲げ
たのか?》と訊かれた。

8. 《連れ合いのエワが いざなったからです》。エワが 説明するには
《あの誘惑がわたしの気を引いたからです》と言う。
  
9. ここで《生きる》とは 《おのれの心にも逆らう自由度を持つ意志自
由において生きること》であることが定まった。これを自覚した。

10. 悪は 存在しない。その名で呼ぶ現象があるのみ。善とは ふつう
に日常生活を うんうんとおのれを推して ぢみちに生きることである。