caguirofie

哲学いろいろ

聖書

bragelone 2015/07/26

 お花畑志向
 山の頂きには登らない
 道草主義
 l'école-buissonière-iste
 舞羅舞羅歩ッ地道野草食太郎食倒左衛門之丞風羅風羅歩ッ他之介

bragelone 2015/07/28 22:52

 あぁ これですか。
 ちょっとメモッたのですが ぷらぽ氏関係です。
 聖書について その文字通りの意味が採れればよいとしていたので それをなじったものです。
 文字通りの意味が 多くの人に分かりやすければよいということでしたので レッテルを貼りつけました。
 ――でした。

plapota 2015/07/29 18:36

聖書の解釈はむづかしいものです。
ヨハネ福音書1章1節なんて、すこぶる簡単な言葉ですが、以前ぶらげろさんと議論しました。
Im Anfang war das Wort, und das Wort war bei Gott, und Gott (= göttlichen Wesens) war das Wort.
Menge訳です。個人訳はこんなふうに明確にしてくれるところが好きです。三位一体とは無関係です。以前たすてん先生がMenge訳はほとんど標準訳に近いといふことを調べてくださつたのですが、かういふ姿勢が違ひだと思ひます。

bragelone 2015/07/30

カノッサの屈辱

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa9021248.html
きみは 首をうなだれ(冗語?)腰をかがめ膝を曲げてくづおれたことがあるか。
その相手が いかにお父ちゃん( Pape )と言えども同じ人間であったり あるいは いかにとうとかれども人間が考えよしあしをえらぶところのオシへであったりするなら ひょっとすると それは《屈辱》であるかも知れない。
だが その屈辱には成り得ない場合がある。そういう相手の場合がある。
おのづから《おそれ》をいだく場合である。われに還るのだから 屈辱であるはずがない。
きよらかなおそれをいだくに過ぎない場合である。
かつての――赤子のころの――聖なる甘えである。すでにものごころが着いているので きよらかなおそれと呼ぶ。
聖書は その問題をのみつたえようとしている。その余は 文学であり 高々 哲学である。

bragelone

舞羅舞羅歩ッ地道野草食太郎食倒左衛門之丞風羅風羅歩ッ他之介

☆ 絵の示す《宮清め》。こんなことは おかしい。はず。
 でも 《標準訳》やその基本思想によれば どう解釈するのでしょう?