カノッサの屈辱?
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa9021248.html
きみは 首をうなだれ(冗語?)腰をかがめ膝を曲げてくづおれたことがあるか。
その相手が いかにお父ちゃん( Pape )と言えども同じ人間であったり あるいは いかにとうとかれども人間が考えよしあしをえらぶところのオシへであったりするなら ひょっとすると それは《屈辱》であるかも知れない。
だが その屈辱には成り得ない場合がある。そういう相手の場合がある。
おのづから《おそれ》をいだく場合である。われに還るのだから 屈辱であるはずがない。
きよらかなおそれをいだくに過ぎない場合である。
かつての――赤子のころの――聖なる甘えである。すでにものごころが着いているので きよらかなおそれと呼ぶ。
聖書は その問題をのみつたえようとしている。その余は 文学であり 高々 哲学である。
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie