caguirofie

哲学いろいろ

非言語的コミュニケーション

こんなことについて是非とも知りたいということがらです。

まだ小学校五年生にはなっていなかったと記憶している頃のことです。
腕白仲間と遊んでいて そのグループに ある日ある時 リーダーが必要だと皆が思うようになっていた。多少学力があったわたしに 視線が集まって来た。いわゆる《空気》というものです。

つまり仲間たちは その時必ずしも口に出した言葉で わたしに問い掛けてきたのではなかった。暗黙のうちに それとなく分かったわけで そのわたしは どういうわけか同じように 心に念じるようにして 仲間に応じようとします。

おそらく慣習として こういうときには 暗黙のうちに指名された場合でも 指名されたほうは 声に出してよいはづなのですが わたしは 声には出さずに 答えようとしていました。そのとき ふと 思い留まりました。

わたしが受けた仲間からの念力のようなものは もし それが通ったなら わたしと仲間との関係は おかしなものになると 感覚的に悟りました。

なぜ おかしなことになるのか その理由については そのときは 次のことだけを思っていました。もしこのとき 《わたしにリーダーになって欲しいということなのか》と 仲間に 言葉に出して尋ね返すなら 何かおかしな雰囲気になるだろうという予感がしたということ これだけです。

ずっとあとになるまで もう 突っ込んでは何も考えなかったのですが けっきょく 人の意思表示のないことがらを頼りとして 自分の意志行為をおこなうというその成り立ちが 問題なのだと考えるようになりました。

さて わが国は この念力などによる非言語的コミュニケーションが 存外に発達している社会です。その後 わたしが そのグループから仲間はずれになったことは 自然の成り行きでした。



今では 従いまして 広義のコミュニケーションには 二種類あると考えます。
(1)意思表示によっておこなう普通のそれと そして
(2)およそ心理的に心の動きだけはあるという事態を感覚によって伝え合って なんらかの意思疎通を図るというそれとです。

もし(1)が重力≒意志行為だとすれば (2)は電磁力≒心理の作用によるのではないかという推測です。この場合 心理とは 意志決定していないか あるいは 心の内でしていても 意思表示をしていない段階のものを言います。

この事態について 科学的に知りたいと ずっと思って来ました。
もっと話を早くすれば (2)は ボスの意向がその場を支配するといった事態のことです。つまりボスは 口に出しては いっさい言わないまま 事が決められてゆくといった事態です。(決まったあとでは 認可したりするかも知れない)。

日本社会全体が このような電磁場〔の部分が優勢〕となっているのではないだろうかと疑うのは 天邪鬼なのでしょうか。子どもの時の事件が わたしの心をここまで歪めたのでしょうか。 

こんな実際を自然科学が説き明かしてくれたら さぞ よろこばしいことと思います。