今村仁司:貨幣論
貨幣にかんする話しを 今村仁司が簡略にまとめているところを紹介します。
物と物との《交換》は直接的には不可能である。だからこそ
貨幣という特別の第三者を迂回しなくてはならない。
と切り出して この《特別の第三者》として つぎの事柄を想定しています。
(1) 個人の独語を超えた《聖なる言葉》
(2) 社会秩序(政治)の場面でも・・・人と人との敵対状態を
解消するために 《聖なる権力》
(2‐a )一人の人間を《排除された第三項》として立てる場合の
《聖なる存在》
(3) そして商品交換関係の条件としての《聖なる貨幣》
(1)の問題を――言語の場合をも その言語の場面では 《第三の言葉》が《予見できる》というかたちで ごく簡単に触れていますが その部分をも含めて―― 整理しているところです。
直接的交通関係の原理的不可能性は 人と人との関係を暴力的にする。ホッブズの《万人に対する万人の闘い》《人間は互いに狼である》という指摘は理論的には直接的関係の原理的不可能性を言い当てたものである。
近代の社会哲学はホッブズからヘーゲルまでこの《不可能性》を克服する思想的企てであった。また言語的交通の面でも 例えばワルター・ベンヤミンの《純粋言語》は暴力的人間関係を克服しうる第三項としての《聖なる言葉》を言い当てようとした。
いっさいの宗教現象の根源には 教義的信仰体系の差異を超えて 人と人との連帯を可能にする条件の模索がある。かつて人びとはそれを《神》とよんだ。《神》観念の成立メカニズムと貨幣の成立メカニズムとは深いところで通底している。真実の意味で深く貨幣を理解することは 《神》観念を中心とする《宗教的なもの》を理解することに通ずる(逆も真なり)。
言語でも 構造言語学上のラング / パロールでは処理できない《第三の言葉》の問題がここで予見できる。
貨幣とはまことに深い思想を包みこんでいるのである。
(今村仁司:貨幣――今村編著『現代思想を読む事典』1988)