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哲学いろいろ

#72

全体のもくじ→2004-12-07 - caguirofie041207

第二部 踏み出しの地点

§13 M.パンゲ《自死の日本史》 m

§13−8(つづき)

片方の自殺で最後の決着がつけられるこのような対立関係においては 意志的に死んでゆく者も実際にはほとんど意志的に死を選ぶわけではなかったもかもしれない。多くの場合 彼は 忍耐の限度を越えるような状況に負いこまれ 死ぬことを強要されたのだった。死を強要した側が あとになってそれを後悔することもあっただろう。
(第五章)

よって上のような弁解がましい夢物語が つけ加えられたのであるというものである。つまり 

伝説の物語る奇蹟(* つまり ワキイラツコが死後の三日目に息を吹き返して ことばを告げたこと)が 私たちに伝えているのは 日本の社会が 初めて出会った〔* ゆづり合いの〕矛盾を回避するために空想世界のうちに思い描いた その最初の愛なのである。
(第五章)

とパンゲが やや穏やかに述べているその反面で 同じくその内情は 総括的に言って 

結局は暴力がすべてを決定する。誰が天皇になるかは 多くの場合謀略によって ときには暗殺によって決められたのである。
(同上箇所)

という見方を――過去の歴史に対してだが―― 取っているのが それである。
わたしの物言いは 一つに 戦前(つまり 古代から先の戦前まで)と戦後とを それぞれ自死のおよび自生の歴史として 画一的に分ける見方に反対しようとするものである。パンゲの日本史観にはその可能性があるかも知れない。もう一つに この仁徳オホサザキの歴史物語のばあいは ほかの例がどうであれ 自死の歴史に(もしくは 謀略と暗殺の歴史に) あてはまらないのではないかとの感触を持っているというものである。
日本書紀古事記とを分けて 前者は自死の歴史の 後者は自生の歴史の それぞれ傾向を 主軸とするなどと言っても始まらない。古事記の傾向が 日本書紀の傾向を凌駕するという見方も その逆と同じように やはり 議論を進められないかも知れない。もしわたしの感触を――引け際わるく――なお保とうとするなら どうなるか。わたしが保つことができるのではないかと考えている。
いま もう じつは 論証もないのである。なおさらわたしの見方のぶをわるくするかも知れない事実の一つは こうである。日本書紀にも じつは もう一人の兄オホヤマモリを討ったあと ウヂノワキイラツコは 

既にして宮室(おほみや)を菟道(うぢ)に興(た)てて居(ま)します。
日本書紀 巻第十一)

と書いてある。だから ここから ゆづることが始まったのである。だが これは言いかえると ワキイラツコは 事実上 天皇(その当時 匹敵するくらいとして)になったあと ゆづろうという意向を示したということである。つまり オホサザキがゆづるのは 何もわざわざのことではなく 当然のことであったと考えられる。
しかもここで それゆえにこそ オホサザキの側では 同じくすでに 陰謀とその実行方が 始まっていたと見るべきなのだと おそらく言われるであろう。その後 

皇位空しくして 既に三載(みとせ)を経ぬ。

つまり ゆづり合いが三年つづいたというのである。わたしは決して古代史の専門家ではないのだから この点 断定することはできない。ただ こんどは 物語の全体の筋から言って もうワキイラツコは ゆづることなく まつりごとを実行し始めていてもよかったと考えられる。かれのほうにも この《争いごと》を仕掛けた責任があるのではないだろうか。争いごとだとしての話しだが。
このようなこだわりを わたしは持っているが 論証はこの程度である。再検討がなされたならば わたしは しあわせである。
なお パンゲの日本史観では 自死の歴史が 戦後の自生の歴史と 画一的に分けられる可能性があるというのは――可能性としてでも―― 不適当であったかも知れない。日本の歴史をつうじて 自生の思想も自死の傾向も それぞれ あった。そのとき 伝えられ記録に残されてきたのは やや特異な形態をとる自死の事件のほうが 圧倒的に多かったということかも知れない。いや それにしても 自死の事件は 一件つまり一人についてでも それが起こったならば これにかんして どう受け止め どう人びとが位置づけたかということは 重要であり そのとき 肯定的に受け止めていたというのであれば たしかに自死の思想は 大きな傾向であったと言わなければならない。わたしは 事件(つまり その人のことではなく 行為)としては むしろ他人事として受け止め 同感人出発点にかんしては 何も影響されないという踏み出し地点に立ってこそ 社会一般的に しかるべく位置づけていくことが 正解だと考える。のであるが――だから 通俗的に言えば これゆえにこそ その死者も浮かばれると考えるものであるが―― そう考える理由を いくらかなりとも 述べなければならない。
すなわち ひるがえって見て この自死の思想は 人びとが 単純に諾としているのではなく むしろ《理想化し 推奨した》とするのならば このような見方は じつは きわめて消極的なものながら やはりむしろ自生の思想が根底にあって それゆえにこそ そうしたのだと考えられないであろうかと思うからである。そこでは人びとは あきらめ(諦め・明らめ)方が あっさりしているのである。
つまり この見方をわざとひろげて見るならば われわれは――自生の思想に立って―― 事件を起こそうと起こすまいと 人に対して同感はするが あいまいな同感⇒心理的な同感⇒つまり同情は あまり好まなかったのではないか。好まないと言っていたのでは 世の中の秩序がうまく行かないと考える人びとがいたとき 自死の事件に対して 同情したのである。ほめたたえたと言ってもよいかも知れないし いや もう かなわんと言って むしろまつりあげたのかも知れない。まつりあげで済ますのは 遺憾であり 異感状態に近いのではあるが。
あきらめが あっさりしているという見方を このように わざと拡大しないほうがよいかも知れないのだが。つまり 事件の客観的な事実 これを しっかりとまづ つかんでいなければならないのだが。――だから その当時は(すなわち 大雑把に 戦前の時代まで) 自死〔者〕を いけにえの文化構造にのっとって 《理想化し 推奨し》なければならなかったのではあるまいか。パンゲも 戦前と戦後とで 基本出発点の〔とうぜん 自生の〕思想を 画一的に振り分けたというのではないだろう。このおことわり。ただし 本文のほうの字句をいじらなかったのは 語り口の点で そういう問題も残されたかと考えたからである。
もう一つなお 考えてみて 戦後においても いわゆる会社人間の《自死》であるとか 若い生徒のあいだでのそれが 見られるとも言わなければならない。

  • 心中の問題は 別様に考えていたが(前節) 心中の教唆が――つまり 教唆する側の者は 自死とは無縁であるようなその場合の教唆が―― この自死と からまっているのかも知れない。心中の思想は 一般的に見て言って 自死の思想 すなわち自死の理想化・美化と推奨の思想と からんでいると言ったほうがよいようである。

きわめて乱暴に言ってしまえば 弱い人にも強い人にも 同感はするが 同情はすべて 無しで済ますのも 一つの行き方ではないか。第三者理論といて推奨することは 余分であるだろうが。ましてその美化などは それを曲げることになるだろうが。当事者個人の 同感実践が 静かにつねに 推進されているということに基づいて 同情を無しで済ますのでなければならないだろうが。
出発点に立って自己の知恵(生)の同一にとどまりつづける同感実践をおこなっている人は この出発点を見失ってさまよっている人にとってみれば 前者が特別の同情を示さなくとも(なぐさめ・はげましなど まづその場の心理的な・あいまいな同感を示さなくとも) すでに・もし必要であったならその同情の心を示してくれていると むしろ無理なく 感じるものである。同感実践する自生の思想者は もともと《誇るなら 自己の弱さを誇ろう》という人であるのだから。同情しないということは 同情できないということではない。
なお――三つ目のなおとして―― 自生の思想が やはり根底にあったであろうというのは ひとり日本の歴史にだけ限られるものではないだろう。
この節では 前節に見た今村仁司の言う《個物が 自律性の概念(ないし 個人の自立・自生という同感実践そのもの)の探求》ということを 拝借したわけである。パンゲの所説の中では それに対する批判の一点をくりかえすなら 《〈意志的な死〉は 弱い者の示す最後の抵抗の手段である》という見方が 少なくとも今では古い。いや これは 成り立たないと言うべきである。成り立たせたくない 成り立たせないと。また山口昌男の所説の再考察としては 《心理起動力の何ものかによる(何ものかを仲介する)あいまいな同情を――交通の神話的基礎たるものとして だから 鎮魂をめざすためのものとしての 演劇によって 表現し受け止めあう》というのも じつは自死の日本史におおむね立っているのだから 古い行き方だと思われる。また 同じく無効であると やはり 言っていくべきである。
山口がこの古い行き方に――究極的には―― 引導をわたすために おおかたの議論を提出していると言うのなら 話しは別である。パンゲは その新しい方向をすでに指し示していると思われると同時に 古い世界にも足を踏み入れているのではないかと 思われた。今村は われわれと方向を同じくしつつ まだ議論が整理されきっていないところがあるのではないか。
われわれは ずるいところがあって それは 受け身の姿勢でいるということである。まだ理論が整理されていなくとも すでに――当面の歴史=現在過程に当たって―― 旧くて新しい同感人出発点を 提起するし ちょっと卑下しすぎたかも知れないけれど 壊れたレコードのように これを言論の基本としては 提起しつづけるのみである。ただしつまり 歴史のレコードを かけ直して 再出発するわけであるのだが。
オホサザキとワキイラツコの問題で結論が出なかったところで これまでの議論を終えるのがよいであろう。

(つづく→2008-02-28 - caguirofie080228)