caguirofie

哲学いろいろ

#71

全体のもくじ→2004-12-07 - caguirofie041207

第二部 踏み出しの地点

§13 M.パンゲ《自死の日本史》 l

§13−8

パンゲの書物である。
物語によると ヤマトタケルは東国遠征のなかで いまの東京湾をわたろうとするとき 嵐に遭った。そのときタケルに従って来たオトタチバナヒメは 海の神の心を鎮めるためにとして 《自死》を申し出 これをおこなった。波間に身を投げたのは ワタツミ(海神)の妻になるためであって 当時の人びとの考え方からして この犠牲は 死ではなく なお生の道だったのだといった解釈が出されても わたしには よくわからない。少なくとも人びとも 海の中に沈めば地上で自分たちが生きているようには もうこのオトタチバナヒメは 生存していないであろうと 知っていたとは思われる。供犠の文化の中で この供犠に 自分から名乗り出るといった事柄が 特異な点なのだろうか。
この例を挙げたあと――だからパンゲの言うように このオトタチバナヒメの例は 自死の系譜に入るのであろう そこでさらに―― この例を一般化してパンゲは言う。

日本の伝統のいたるところで 女性の献身と忍従のさまざまな行為が ひとつの理想として 現実がそれとしばしば矛盾すればするだけ一層高い理想として 賞讃の対象とされてきた。何か争いごとが起きた場合 自己を抹消する自殺が 元の平和を回復するためのもっとも単純な もっとも手短な方法として 人々の推奨するものであった。うんぬん。
(第五章 歴史の曙)

この見方じたいについては 深入りしない。パンゲがそのほかにも 現代までの日本史にわたって いくたの例を挙げているのあり そういう部分はなかったは言えず またパンゲも――すでに触れたように――日本は戦後には この自死の歴史を 生の歴史へ方向転換したと 見ている。同じく部分的にしろ この生の歴史のほうも――わたしも考えるに―― 戦前から古代一般にまで遡って あったし受け継がれてきたと考えられるのではないか。ということで 深入りしない。自死の系譜の一色で塗りつぶすことも むつかしいのではないかとまづ考えておく。
少し補えば。――たとえばあのスサノヲは アマテラスらからタカマノハラを追われても その以前から 或る種の仕方で犠牲を引き受けていたというほどに ぎりぎりのところで 自死の歴史の傾向を身におびつつも イヅモ共同体を築いて 生の歴史に立ったと考えられる。また柿本人麻呂は 自死におもむくという(臨死の)歌をうたったにもかかわらず 《その〔おそらく流罪の地であったと思われる〕石見(いはみ)の国で 岩を枕にして斃れている自分を 妻は知らないで 待ち続けているだろうということになるのかも そうかもね》と表明していると考えられる。これは ぎりぎりのところで その流罪の不法・無効を主張しつづけているのであって おそらくは 自殺など決してせずに その地で寿命をまっとうするという生の歴史を 受け継ぎ実践したと思われることである。
もっと積極的に 裁判に訴えるべきだとも考えられるが 当時の事情はゆるさなかったかも知れない。なお割腹は名誉でありこれをおこなうのが男らしいという場合には 上の解釈での人麻呂は 女々しいことになる。わたしは 人間の知恵は 女性的だと考えているから その点 ぴったり符合するのかも分からない。
スサノヲのほうは 《天つ罪》を犯したとされつつも――つまり ほとんど供犠文化の構造にのっとって これと《国つ罪》とは 編成されているその天つ罪を犯したとされつつも―― 前々から 或る種の仕方で 犠牲をすでに引き受けていたと見られるほどに かえって アマテラス政権による供犠文化の型にはまったところの犠牲には もう 心を動かすこと なかったのである。社会の交通関係のネットワークを身に引き受けていたという意味で 供犠文化の構造を 引き受けていたのである。もちろん 追放されたことは型どおりだと考えられるが その反面で スサノヲのほうが この型をすでに飲み込み引き受けたいたというほどに なおこれを超えて 自生の系譜を打ち立てることになったと わたしは解釈する。アマテラスらは スサノヲが 手に負えなかったのであり その意味は スサノヲが荒ぶる神(人)であったという理由以上に アマテラスらの思想から自由であったのである。
相手の事実行為の無効に対して こちらも無効の行為でそれに対抗するという手段には訴えず しかもぎりぎりのところで――なぜなら スサノヲはその時代の人として けっこう いたづらをおこなったのでもあり ただし―― 生の歴史に立ったのである。出発点の推進を持続したという日本人たちのことをうかがわせる。
問題はこのあとパンゲが さらにこのオトタチバナヒメの例から一般化してところの自死の系譜を取り上げ 同じくその解釈をあたえている一物語にある。つまり わたし個人の考え方として そうだということであり それは 仁徳オホサザキとウヂ(宇治)ノワキイラツコの兄弟の物語についてである。
勝算はないだ 少なくとも問題提起にでもなればと思い パンゲの解釈とたたかう。パンゲは 古事記にではなく 日本書紀によっているので これに従い議論する。わたしの考えは 古事記の記述に従い 弟のウヂノワキイラツコは《早く崩(かむあが)りましき》というとおり 先に死んだということ。つまり もしくは――かれが兄のオホサザキより先に死んだと捉える以外に 特別の画された真相や真実はないと見ること。この見方を 日本書紀の記述にも及ぼしてよいのではないかというものである。また もう一点おぎなうなら これら兄弟は互いに政権をゆづりあったのであるが――ゆづるということで いい意味でも悪い意味でも 犠牲のにおいがしないでもないとは言え―― 兄のオホサザキとしては 父の応神ホムダワケが かれら王子たちに 《大雀のみことは食(をす)国の政を執りてまうしたまへ。宇遅能和紀郎子は天つ日継ぎを知らしめせ》(古事記)と のり分けたとおりに 天の下を 弟のウヂノワキイラツコに ゆづりとおした これに過ぎないと見るゆえである。
パンゲの解釈では 《女性の献身と忍従が理性とされ 何か争いごとが起きた場合 自己を抹消する自殺が 元の平和を回復するため 推奨された》といった自死の歴史の傾向が ここでも 見られるというものである。オホサザキとのあいだの争いがからんで ワキイラツコ(《若いはらから》の意)は 自殺した ないし自殺を強要されることになったと見るものである。
しかも 日本書紀の記述は このことを証している。だから わたしの物言いは 自死の歴史の傾向を 部分的には認め これじたいに深入りしないのだから しかも これじたいのウヂノワキイラツコの場合には――日本書紀に逆らってでも―― その傾向の歴史観は あてはまらないのではないかというところにある。
勝算はないが 問題提起になることができたならと思って試みる。
パンゲも ウヂノワキイラツコのことを 《後に仁徳天皇になるべき人の弟であった〈日継ぎの皇子〉》と言っているのであるから じっさいには――兄弟が互いに天下をゆづりあったと言っても―― すでに弟が次の天皇(おほきみ・すめらみこと)になることは 決まっていたことを 認めている。ただ それらの前に そうであるのにもう一人の兄オホヤマモリがいて かれが ワキイラツコに代わって天下を取ろうとした。これをオホサザキがワキイラツコに知らせる。イラツコは オホヤマモリと闘いこれを討った。このような事情がからんでなのか あとに残った二人の兄弟は 天下をゆづりあった。そうして このゆづり合いは 《争いごと》と見られたのか――つまり人びとが そう見ていると見たのか―― 結局 ワキイラツコは 《元の平和を回復》しなければならないと考え しかも《この譲り合いは永遠に終らない》と見て 《人びとの推奨する高い理想》の道 すなわち自死の道を えらんだと考えられるというものである。
日本書紀のほうは ほとんどそのように解釈されるように 伝えている。自死のくだりのみをひろえば。

太子(ウヂノワキイラツコ)ののたまはく
  ――我 兄王(オホサザキ)の志を奪ふべからざることを知れり。あに久しく生きて 天の下を煩さむや。
とのたまひて すなわち自ら死(をは)りたまひぬ。
日本書紀・巻第十一。パンゲの第五章に全体のいきさつの部分が引用されている)

しかも このかれの死後 オホサザキにとっては あたかも自分を正当化するために仕組んだと見られるような出来事も 記されている。自死を強要したという疑いと咎めである。オホサザキが自己を正当化しうる(つまり 身の潔白を証明しうる)物語を添えることによって それがまったくの作り話だとわかるといったように 書かれている。一種の夢物語でもあって 死んだワキイラツコが とむらいに来たオホサザキの前に 息を吹き返し 《わたしは うらんではいないし 兄に落ち度はなかった》という意味あいのことを告げたというのである。これによってオホサザキは いよいよ窮地におちいる。おそらく 自殺を強要したというどころか 暗殺のうたがいすら懸けられる。つまりのちに そういう物語に仕立てたという疑いである。ワキイラツコは 先の自死の系譜の中で(つまり そういう思潮あるいはエートス?の中で ひとりの理想の人物として人びとに想い抱かれるというのかも知れないらしいのである。

片方の自殺で最後の決着がつけられるこのような対立関係においては 意志的に死んでゆく者も実際にはほとんど意志的に死を選ぶわけではなかったもかもしれない。多くの場合 彼は 忍耐の限度を越えるような状況に負いこまれ 死ぬことを強要されたのだった。死を強要した側が あとになってそれを後悔することもあっただろう。
(第五章)

(つづく→2008-02-27 - caguirofie080227)