caguirofie

哲学いろいろ

#45

全体のもくじ→2004-12-07 - caguirofie041207

第二部 踏み出しの地点

§11−4

天皇制の論議で おまえも 十分条件をみたすように ひとことでも言いたまえと言われると わたしは これに関して 現在の憲法に沿って 見守っていきたいと考えている。天皇の戦争責任を問うべきだという見解もあるのであって もちろんというか 明治憲法のようではいけないと考えている。そして今でも 供犠文化の構造をとるところがあると考えるのは 天皇制を広く解釈して 靖国神社の制度が問題となりうると思われる。
というのは 戦争じたいが相互責任としての暴力(あるいは 政治文化でもよいのかも)であったとしても いわゆる英霊が この神社にまつられるという点で 犠牲となっているのであり 英霊とよばれるように聖なるものと見なされるところがある。それはそれでいいのだろうけれど――つまり 犠牲という概念までは 消極的に事後的にしろ事実として認めなければならないところがある―― ただし これが 供犠の文化構造にあてはめて捉えられるというときの一つの出発点に対して 反対するものである。
もしきわどい表現をすることがゆるされるとするならば 英霊が あとに遺されたわれわれの行為を眺めて 納得してくれるというようなものがあるとすれば それは このような供犠構造としての出発点は これをも われわれがのり超えることである。すなわち《犠牲者を聖なるものとし これを固定的に捉え かれら英霊に申し訳が立たないことはやるべきではない。申し訳が立つように われわれは出発すべきである》というところの出発点 これをさえ われわれが超えることである。それによって英霊は ふつうに聖なるものであるだろう。やすらかに憩いの時をすごしてくれるであろう。言いかえると かれらが言うには われわれを政見・政策の道具に使わないでくれということだろうと思う。そういうような新しい歴史社会を築くこと これが この点でのわたしたちの一つの目標である。
ここに現在における天皇制度ももし かんでくるのなら わたしは反対である。今上(いまは 昭和)天皇が個人的に つねに平和論に立っていたというときにも 英霊との(つまり 生前のかれらとの)身分的な関係があったことは 事実である。そして 現在の憲法下では これを それとして のりこえたのである。

  • 昭和天皇が つねに平和論に立っていたという話しは 戦後政治としての政策からの宣伝であったという見方があるようである。主戦論をとなえたことが あったやに聞かれる。(20080131記)

ここにきて こういう社会生活のもとにあるのだから わたしの考えでは いまのかたちで 静観する。もちろん 歴史的な研究が自由になされることが望まれ それだけではなく さらに新しい具体的な提言がなされるのも あってよいわけである。《国民――もしくは市民――の総意にもとづいて》話し合われ進めていくのがよいと考えている。こういう踏み出しで 見守りたいという今の考えである。天皇も皇室の人びとも 意見をのべるのがよいと思われるし 問題が起こることに対しては みなが知恵を出し合っていくべきだと考える。

  • ちなみに わたしたち一人ひとりも 万世一系である。これに 例外はない。男系の一系であることが ただちに 記憶にないことはおろか 記録にも残っていないであろうが。側室による継承がより少ない点は 事実であろう。(20080131記)

民主的で自由な意見をのべあっていくというのは 一般論として基本的な《踏み出し》の地点であったのだし そういう一般論としてなら このような踏み出しの社会的な実現ということは 法制的な次元の問題をこえる現実だと思われるのである。たぶらかしているように聞こえるかも知れないが このように考えているし はっきり言うことができると思うのである。すなわち へらず口をたたくなら やはりこの出発点をはぐらかしてしまうような必要条件の研究にしろ 十分条件の提言にしろが むしろ問題だと言ってよいであろう。そして いまただちに提言するという場合には 現代では 法制的な次元の問題に行き着いていることが 十分条件だと思われる。他人事のようにだが そうなる。天皇制の廃止となれば 法制論の問題なのだから その方向が 十分条件をみたしている。
この点が 山口昌男の所説では あいまいである。その所説を ほとんど引用も紹介もしないまま ここまで進めてきたかの嫌いがある。けれど ここでの新たな問題として それ(その理由)は 山口の議論が 断片的な引用では 文脈を無視してしまいそうになるからである。引用しようとおもえば 何ページにもわたらなければならない。それが新しい問題だというのは 出発点があいまいだという旧い問題のことであるが 捉える角度は いくらか新しくなったものだからである。あるいはすなわち もうここでは 出発点そのものを ああだこうだと直接 論議することをやめて――つまり それをしなくても―― 踏み出し地点のほうとして 話しをすすめていくことができる。もしくは できるとしなくては すすまないと考える。この前提で 断片的な引用をもおりまぜて 議論する。また一つの論点では ひととおり すませたわけである。
言いかえると 山口の出発点は われわれと 積極的に異なるといった議論は 必ずしも見出せなかったから もう曖昧だとは言わずに すすんで 踏み出しの地点を 考察の対象にすることである。
《第十二章》の《おわりに》のところで

ここで 天皇制に対する筆者の個人的なかかわり合い方について触れる嗜みの無さを許していただきたい。というのは 天皇制の分析は 少なくともわれわれにとって 自己解剖のような行為を強いるところがあるからである。なぜ天皇制か という問いは なぜ日本人か という問いに連なる。

と山口が言うのは したがって これは こんどは――出発点がわれわれのと同じだとしても―― 現実に踏み出していないことである。過去の天皇氏 過去の日本人としての踏み出しなのである。《個人的なかかわり合い方について触れることが 嗜みの無さ》であるのではない。そうではなく 現代思想としての踏み出しだともし言うのならば そのときそれは たしなみの無い時代錯誤なのである。戦後の天皇は われわれ市民との関係を 神話などの供犠制度ないしそれとして残る合理的な文化構造によって とりむすぶのではないから。なるほど 天皇制問題の一般は 日本人問題であるにほかならず その分析は 自己解剖を強いるものであるかも知れない。ところがむしろ このような自己解剖を――つまり自分をバラしてしまうというような好意を――終えたところから 踏み出してきているのである。ゆえに 過去の《なぜ天皇かという問い》つまり《日本人問題》は 歴史研究として 大いにおこなえるし 有意義なものとなるのである。そうでなかったなら つまり そうでなかった場合も 事は 法制的な次元を具体的な焦点とする問題であったろうし 時には それにかんする議論じたいが 検閲されてもみ消しになったかも知れないし 捕らえられてしまったかも知れないというのにほかならない。
《筆者》の山口が自己解剖するところこのものは 過去のものであり その歴史研究として現在のものなのである。そういう踏み出し構造となっている。だが この踏み出し構造は あざとい構造というように 過去のものである。この点を はっきりさせなければいけないし これをはっきりさせて進むことが 現代思想〔の踏み出し一般論〕なのである。もちろんここでは そういう日本人問題である。《嗜みの無さ》とわざわざ断わらなければならないことが 現代日本人にとって たしなみの無さなのである。戦前の日本人からちっとも前へ進んでいないのだから。
山口は――いまの自己解剖の報告によるとと 断片的にとりだすのだが――

花田清輝氏に 天皇制というのは過去の遺物だ と断定されて反論した・・・

と言っている。われわれは 花田清輝のように断定しなければならないし 断定してこそ新たに踏み出すというのだが こんどは そういう戦後の新しい日本人に立って 問題があるとすれば どう考えどう対処するかに うつる。もし問題があるなら このあとの段階で たしかに山口と その作業の過程を同じくする。
ただしわたしたちは 天皇制という必要はないと考えるが 歴史の過程がもし竹を割ったようには切り変わらないとするなら その表現にはこだわらない。山口につきあう。

天皇制は日本的精神空間の光と闇を抱えることによって 反日常的心意を自らの軌跡の上に絶えずからめとる構造を持っている。天皇制に収斂される可能性があるとはいえ 精神と行為における非定着の指向は(* たとえば 中世日本の遍歴する職能人のそれは) この方向における普遍性と多義性と それを《哄笑》の宇宙に切り換えることを許す自律性を獲得することによって 〔象徴という〕《中心》の比重を低め これを盲腸を散らすような過程を経て無化することを可能にするかも知れない。

このあと つづけて

そのためわれわれ一人一人の自律的な浮遊性の軌道の拡大を図らなければならない。終焉に凝結される多義的空間をわれわれは絶えず醸成し そうした空間を足がかりにして 様々な現実を遊ぶ可塑性を自らのものにしなければならないだろう。
(第十二章 書物全体の終わりのことば)

という。文学的な表現で述べて 一つの結論的な部分である。
これは じっさいには 文学とか民俗とかの領域で 勝手に面白おかしく暮らせという確かに《均衡論》だと言ってもよいのであるが それをなおも ここに 取り上げるその理由は しかしながら 現代日本の社会は 天皇主権制ではなく市民制のそれであるのだから 見方によっては この市民制の社会をさらに実現し確かなものにしていこうという方向で 文学とか民俗とかの要するにふつうの社会生活のことがらで われわれは 踏み出していこうと言っているとも 読めるからである。そうなる。
《普遍的な出発点とそこからの多義的な踏み出し》は すでに 獲得されたと言って 批判するのをよすならば 山口はここで そのあとの段階の問題として 《〈哄笑〉の宇宙》の実践を――たとえば 《よろこびなさい》として―― 論じようというのである。天皇制が 供犠文化の構造有力として まだ一人ひとりの中に巣食っているとは言ってもいるのであるが。だが このことにしても 新しい出発点をおさえた上で また ありうることである。こう解釈した上で 話しをすすめてみなければならない。獲得されたものは 不断の実践によって保持し進めるのだと 言いたいわけだと解釈するわけである。そこまでの幅は あるわけである。
(つづく→2008-02-01 - caguirofie080201)