caguirofie

哲学いろいろ

#31

全体のもくじ→2004-12-07 - caguirofie041207

§8 小林昇(稿)《 Das Japantum について――住谷一彦『日本の意識―思想における人間の研究 (同時代ライブラリー)』を机上に》 a

小林昇(稿):Das Japantum について――住谷一彦『日本の意識』を机上に――
   誌『歴史と社会』 第2号 1983年5月 所収


§8−1

はじめにおことわりしなければならないことは 次の点である。評者・小林昇

著者〔* 住谷一彦〕はここで〔*この『日本の意識―思想における人間の研究 (同時代ライブラリー)』なる著書の中で〕 日本という島国の民衆の歴史の深みを見すえつつ ウェーバーの方法に従いながらも近代のエートスの源への遡及の作業をできるかぎり深めて 宗教社会学の領域から宗教民俗学の分野にまで進んだ(あるいは回帰した)。
(第1節 の末尾)

という批評をあたえている点に わたしとしては 信頼を置き 住谷の著書には直接ふれないことを まづ第一の前提とします。

  • 次の章で 住谷著を取り上げました。

いくらか説明めいたことを述べようと思えば もし《宗教社会学の領域から宗教民俗学の分野にまで進んだ》ことが 小林の評するとおり 《あるいは回帰した》ことであるとすると いわゆる学問が《ウェーバーの方法》にすすむこと これは これも 人間にとって 《宗教》とか《民俗》とかの分野に回帰することだと わたしは 考えるからである。
強引に暴力的に こうお断わりするのだが 本論でも この点 触れて明らかにしなければならないようになるであろうから もう少し 暴力からの身の潔白を証明するよう 説明めいたことをつづける必要があろう。
第一。わたしは 宗教ないし民俗にかんする学問的な――基礎認識としての――研究を とうぜんのごとく 否定するものではない。
第二。ただし 証明不要と思われるであろうように 《宗教・民俗》のあり方・そのあるがままの姿――これは 一般に 習慣・慣習と言ってもよいだろうが―― これを 社会や歴史の 推進力・原動力・そのような人間の源 だとは考えない。いづれ新しい生活の態度・形式(つまり イデアである)が これが 習慣となって ひろく民俗を形成することはあっても だから いづれ一人の人間の信仰(また思想)が 民俗をも伴なって 宗教となることはあっても その逆ではないだろうからである。逆があるとするなら 民俗の変革・宗教の改革によってであるが これも じっさい民俗や宗教やが 原動力となったのではなく――反面教師として つまり 新しい思想の起こるための敵対的な反動勢力として 作用することはあっても それは 原動力ではない だから これらが推進力となったのではなく―― 経験的に言わば 人間・その知性が ひとつの源となったのであるからだ。
人間というとき かれは 関係的な存在でもあるから 当然――かれの住んでいるひとまとまりの民俗地域の空間あるいはさらにその時間をも超えて―― 他者を想定しているし この他者の存在と 相互依存的でもあることを 前提するものであるが そういった存在関係の かれへの作用や影響を したがって 同じく 含むものであるけれど 推進力となった出発点は この意味での人間(つまり存在関係)であって 既存の習慣や既成の宗教といった民俗ではないであろう。言いかえると 民俗からかれが取り容れたものがあるとするなら その民俗を 最初に発生させたやはり出発点の人間知性である。
また この最初というのは 人類の出現のときまで遡らなくてもよいのであって ひとことで言えば歴史知性の出現(もしくは 顕在化)の時点を 考えればよい。最初に誕生した人類にも したがってこの歴史知性が とうぜん潜在していたと見るものである。そう見ておいて いづれかの新しい段階での歴史知性の自覚――人間の人間としての自覚―― これを 直接的な出発点とする。§1で見たように 狩猟採集のさらに初期の段階 そこでは 自然のいとなみの内に溶け込んだかのようであって 歴史知性の以前と見る。この《前歴史知性》は いまのわれわれにとっては 習慣という生活である。その当時の人にとっては 習慣かそうでないかの認識も なかったか もしくは潜在的なものであったろう。
歴史知性の後の人にとっても 習慣の部分領域がある。そして習慣としての民俗を われわれは 原動力とはしないであろう。あるとすれば 心理起動力としてである。

  • この心理による起動力というとき わたしの用いる意味あいとしては いまだ無知を残した段階にあって その無知ゆえに絞り出そうとした想像力をはたらかせ その結果として・つまり一般にその欲望を排泄するかのごとくに 行為へとすすむといった内容を持つ。

また 精確を期せば 歴史知性がこの心理起動力でよいとしたところの習慣的な知性は――つまり分かっていながら シャーマニスムの君臨するために アニミストとの折り合いを測って ただの心理起動力でよいと判断したところのそれは―― なるほど 推進力となる。推進力とも重なる。歴史知性が 前歴史知性で行く・反歴史知性でかまわぬと判断した場合 それは 負のであっても 知性としての推進力となると見ざるを得ない。だが このときも 民俗習慣を一つの歴史知性と人がするのであって 民俗習慣が人をつくるのではない。
民俗習慣に即して事を進めるのであるから そう見えはする。民俗が推進力になったと見えるかも知れない。きびしく言うなら 習慣のなつかしさ・馴染みの深さは おそろしいのである。もっとも おそろしい・おそろしくない よい・よくないとは関わりのない その意味でどうでもよいクセ――つまり エートス――のようなものは また別であり いまの問題ではない。
第三。しかるに 宗教社会学は またその意味でのウェーバーの方法は これら第一および第二の両事項を おおきく包み込みつつ 歴史の流れを しかし学問的に――その限りでまだ いわゆる価値自由的な基礎認識として―― 分析・綜合し研究するものである。
第四。ところが この第三点は それじたいとして その行き方の限りでは――上にすでに述べたように―― 学問( discipline =生活態度)が 知識としての学問( science )に 回帰するものであることを 物語る。と言わざるを得ない。民俗の基礎知識といっても いわゆる高等の社会宗教は 出発点たる歴史知性をふくんでいることになるわけだが それを含む民俗のあり方の研究と はじめの出発点を取り上げることとは ちがう場合がある。ウェーバーの研究は そのちがう場合の領域に多くかかわるし ただしもちろんかれも 価値判断しないのではないというとき 出発点に大いにかかわるわけだが これは 一般的に言って すでに倫理的・道徳的なもののようである。倫理あるいはその特に規範的な部分である道徳は これまた 出発点の歴史知性と無縁だとは言えないが やはりそれの習慣となった部分領域のことである。
歴史知性は 倫理的なものを含めて民俗習慣をどう捉え それにどう対処するかを考えるのであって 或る種の経験法則ともなっている倫理の知恵で ものごとの価値判断をおこなうことは われわれの課題ではない。もう少しげんみつに言うと 倫理やエートスの研究も われわれの課題に入るであろうが それは 先行しない。まして 倫理で価値判断することは――もちろん 自由であるが―― あまり生産的ではないとわれわれは考える。考えた結果として残っているものであるのだから 参考にするのは ふつうのことであろう。
第三点の作業を われわれが 必要でないとは言わないのであること――特に 自然科学は 基礎認識であることにおいては それを基本としている――は 第一点の内容である。



まとめて繰り返すなら わたしたちは 《ヴェーバーの宗教社会学の方法》じたい これを 学問としては それ自身への回帰であり この回帰の作業のみで その全体とするなら 退歩となるそれだと考えている。したがって はじめのお断わりとして 小林昇の書評のみを ここでは 考察の対象としますとなる。

  • 住谷の著作は 次章で取り上げます。

    *

ここでは 論点を単純化するゆがみをゆるされたい。考察の対象とするのは 次の一点である。
あらゆる詳細を端折ってしまうことをゆるされたい。住谷一彦が

日本の村〔は〕歴史時代以前からこの原始的な《高神 Hochgott 》的神観念を保持してきた・・・

と主張し また住谷は

ヤハウェイスラエルの民との関係と〔この日本の村の〕氏神と氏子との関係との相似を・・・感知しつつ さらに高神ヤハウェへの信仰にもとづくユダヤ人の団結力を想起して 《悪評高いとはいえ日本人のあの独特の集団的性格 高い集団帰属意識も その生活意識の奥深いところで この高神信仰が生き続けてきた事態と何処かで関係しているのではなかろうか と思えてならない》と述べるに至っている。
(第2節)

ようだと 小林が評すること このことの内容は 直接的には 次の批判に現われている。それが ここでのわれわれのただ一つの論点である。

わたくし(=小林昇)は自分の心の奥底をのぞきこんでそこに古い日本の神を見いだそうとしてもなかなか見いだせない。ブッダ孔子老荘に発する諸思想が底層に厚く澱んでいる。内村鑑三のばあいでさえ キリスト信徒となろうとする彼のまえに立ちはだかったのは 《高神》ならぬ八百万の神神であり また 《武士の家秩序 儒教教育》であった。氏子である日本の勤労大衆が久しく持ちつづけていまでは失われようとしている《 Pietas (* 清浄感覚)》は 《高神》のみによって培われたものだったであろうか。《日本の意識 Das Japantum 》は 豊かで複雑で層の厚い《日本の精神史》のなかにこそ――当然のことながら――求められるべきではないだろうか。
(第3節〔五〕)

すでに単純化しているところを さらに簡単化するなら 《日本人のエートス》――それが どうかかわるかを いま別として――は それが《唯一神》を背景に持つとみるのは いかがであろうか。やはり《多神ないし汎神》の思想が 色濃いものではないか と言うのである。このように単純化した論点についてだが 問題はどこにあるか。


小林は 《〈高神〉のみ――のみ――によって培われたものではなかろう》と言っているのであるから 変な言い方をすれば 住谷の主張にも ひとつの真実を見ているのであろうか。ゆえに 《八百万の神々》を言うのであろうか。
だが この点は やや些細な問題であるだろう。したがって 問題点は このような《 Das Japantum について》議論するときの 視点(つまり学問の方法のことだが)にあると言わざるを得ない。
早い話しが このような《エートス論》〔に対する反論〕では 同じく学問が それ自身の基礎に回帰する。そのままでは全体として 退歩するということにある。これは 《書評》だから それ以上のことがらは 触れることができなかったでは 済まされまい。書評にならないのである。民俗学でしかない。そのような基礎認識でしかない。
しかし ここには問題がある。こういう形式の書評が 書評になるというのが 日本人のエートスであるからだ。
エートスは 生活態度(つまり 学問 discipline )に深くかかわるが けれども なお 習慣化した部分を言っており 民俗・宗教である。推進力は エートスにはなく エートスは原動力ではない。エートスは われわれの出発の地点を取り巻いているが 出発点(同感人・歴史知性)そのものではない。これを言わなくては――やや恩着せがましく論じるとすれば―― 批評にならないのである。
これが 論点に対する問題の内容である。
次章に先がけて 住谷の主張内容にも少しふれるとすれば 日本人の 村の氏神に対していだく高神信仰は ひとりの氏子個人の歴史知性としての出発点になったのかどうか エートス習慣たる心理起動力の問題にすぎなかったのではないかどうか これを議論すべきだと考えられる。
前章の《中世日本人の自由》は その時代の限界を述べつつ 歴史知性の出発点が論じられた。そう見た。もちろんエートスとかかわっている。それとも 《歴史時代以前から保持してきた原始的な高神信仰》の思想で ここまで〔日本の近代化を果たして〕来たのだから それは そのエートスとして よいということだろうか。倫理的ではあるのだろうけれども きわめて習慣民俗の知識であるように考えられる。個人(歴史知性の出発点)とその人たちを取り巻く社会の供犠文化の構造とは 区別する必要がある。後者の側から その視点のみで議論をつづけることは なさけない。次節に継ごう。
(つづく→2008-01-18 - caguirofie080118)