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哲学いろいろ

#36

全体のもくじ→2004-12-07 - caguirofie041207

§9 住谷一彦『日本の意識―思想における人間の研究 (同時代ライブラリー)』 a

§9−1

ところで 意識するとせざるとに拘らず 両ミンゾク学(* すなわち 民俗学および民族学つまり文化人類学)にあっては 研究者は次の三つの論理と取りくまなければならない。
(一) 研究者側の論理
(二) 土着文化に内在する論理 そして
(三) この両者を連結させる論理
である。このうち 特に厄介なのは 組織的な形では滅多に呈示されない第二の論理を いかにして探り出すかということであった。
それにはさまざまなアプローチの仕方を考えねばならないが ここに唯一つだけ申しのべたいのは 組織的な返答を求めてはいけないということである。むしろ 日常生活および儀礼生活の両面を入念に観察し その行動様式から探究の手がかりをつかむのが正道であろうが それには相当長期にわたり滞在を要する。そこで筆者は いささか趣向をかえて 土着文化を身につけながら 発表能力と持久力に富む神人(カミンチュ)に思いのまま書き綴らせ これを刊行することを企画中だったのであるが これが実現せぬうちに宮城女史の校正を拝読することになった。・・・
(馬渕東一:〈宮城文《八重山生活誌八重山生活誌 (1972年)》の刊行に寄せて〉馬淵東一著作集 (第3巻)所収)

八重山生活誌 (1972年)

八重山生活誌 (1972年)

馬淵東一著作集 (第3巻)

馬淵東一著作集 (第3巻)

乱暴な引用の仕方であるが 馬淵東一の言おうとするところは 推し測ることができるのではないかと考える。後半(ただし わざと改行した)の中で 《神人(カミンチュ)》というのは 沖縄の問題を扱っているところから来たものである。一般的に言えば 現地住民のことだと考えられる。そして そのような現地志向が 文化人類学ないし社会人類学にとって 基本となるはづだといった馬淵の考え方(その一端)は もちろん前半で取り上げられた《三つの論理》と取り組むときのものである。
ここで論理というのは 非論理的な・ないし社会心理的な(もちろんこれは 個人個人に起こるのである)事態を 排除してのことではないであろう。つまり広く生活態度ないし《行動様式》のことであるだろう。もう少しげんみつを期して言うなら 一定の地域(現地)の民俗を互いに比較する民族学文化人類学社会人類学)などは 個人としての行動様式つまり 生活態度=思想を 直接には扱わないかも知れない。一定の地域体のそれ・つまり ある程度集団的な行動様式を 直接の問題とし これをとおして 個体の思想・その出発点に到達しようとするのだと思われる。
《(一)研究者側の論理》とは 一般に 近代思想の系譜の側であるから 合理的に整理され洗練され 時によそゆきのもののようになったところの思想(生活態度)だと考えられ これは ただし 実のところ 《(二)土着文化に内在する論理》から発展したものである。前近代と近代との間というように仮りに断絶の形態をとってにしろ そうであると考えられる。《(三)この両者を連結させる論理》というのは したがって――わたしの解釈からいけば―― 一般に 経験現実の世の中にあって 一足す一が必ずしも二にならないと言おうとするのではなく そうではなく たとえばそのような研究者側の論理(:《1+1=2》)が いわゆる既成の考え方や夾雑物を 排除することなく 実地に・現地で・また生きたかたちで 動態となって展開し実現されていくときの社会過程に 注意しなければならないし そのことと取り組まなければならないと言うことだと考えられる。
これは 事態を単純化した見方であり 馬淵の研究と成果を曲解するところがあってはならない。もしこの単純化した一つの見方に立つ限りでは (二)の土着文化に内在する論理を調査し認識し また(三)の実践をおこなうにあたっては したがってとうぜん (一)の思想としての表現行為にあたっても 基本的には 現地志向が 根幹となるものでなければならないという考え方だと思われる。
現地主義というと 排外的な色彩をともなうだろうから 現地志向とした。すなわち (一・二・三)の三つの論理のすべてにわたって その土地の市民が しかも――特に現代にあっては――世界的に(世界史的に) 思想を形成しこれを実践するという意味で あたりまえの考え方である。なお 合理的に整理した思想を 上のように数式で表現するのは 適当でないかも知れない。しかも そう表現したのは 一例として 《研究者側の論理》を タテマエと見立てるという意味を含む。だからそのとき (二)や(三)の論理が必然のこととなるのだし なおかつ このタテマエとは タテマエを立て これを志向するのは 一つのホンネであるということを 含ませている。数式は 手っ取り早い共通の基準(経験合理性)というほどのものである。そうするとここで――ここでも―― 三つの論理は 多少とも 同時一体であり それらの論理の主体であるやはり個人の出発点のことを 含意させていると言えるのではないか。(そういうつもりで)。
くりかえすと 三つの論理がもはや同時一体であることは もとに戻ってのように 現地市民が主体となるという一つの志向の基本であり――沖縄なら沖縄において カミンチュの発表を待つということが その一例であると思われ―― もっと拡大していうなら 一般に思想は だれがそれを表現し始めたか だれがこれをおこなうかということを 出発点において 注意せざるを得ないということであるだろう。
この出発点から踏み出したあとの社会情況・その情況の論理(民俗)からして 研究に着手し 《日本なら日本の意識》とか 《思想における人間の研究》とかに 進んでいくことは 大いにありうる。そして それは もはや (一)の研究者の論理を打ち立てるためにではなく もしくは それを最終の目的とすることによってではなく 三つの論理の同時一体の展開過程の中に 〔研究成果もそして当の自己も〕おさまったかたちとなっていること この考え方に立つとのことだと考えられる。
住谷一彦の研究が ひとり《研究者側の論理》に重きを置き それに収斂していくものだとは もちろん言わないのであって そうではないが 見てきたように たしかに三つの論理の同時一体のあり方を さぐろうとしたものである。小林昇の論稿をやや離れて 住谷のこの著書そのものについて見るならば ただし われわれの批判は 一つに やはり――すでに論及したように―― それは 住谷個人が 結局のところ 言い出しその実践を始めようという(もしくは すでに実践しているという)性質の議論であるということ。これは わるいことではないのであるから ただし それがそうなのだと もっと ハッキリさせなければならないのではあるまいか。これが 第一の批判である。
これだけでは 要領を得ないのであるが まづ 住谷個人にとっても 一現地市民としての そういう主観をむろん交えての議論であり思想であるということ。わざわざこんなことをどうして言わなければならないかというと それは 語り口の問題でもあるのだが(そして この語り口という事柄そのものとしては 第二の批判点にあげるべきだと考えているのだが) かんたんに言えば 住谷は もはや言ってしまえば 地域体の民俗一般をあつかうだけではなく その出発点の個人の思想にまで 言い及ぼうとしているのだから そしてそれを住谷個人の思想としても提出しようとしているのだから やはりそうだと明言すべきなのである。おそらく しかしながら この書物を読んだ読者が 住谷さん あなたの思想は 察するに これこれこういうことなのかと 要約して 問い返すとき その問い返しを受けて初めて 住谷さんは そうなのですとか 応じるという性格のものになっている。
なにを言っているのかと思われるかも知れないが 住谷のこの書物は 一たん読者を 自分の議論に巻き込んで その上で初めて 自分の〔むしろ創出しようとしている〕思想を あつかうというかたちになっている。文化人類学一般の・いわゆる学術研究としての成果発表なら そういう物言いは つかない。そうではなく 個人思想にまで立ち入っているとするなら つく。自分はこう思う または こうするのだと その場合には はっきりさせるべきである。これが少なくとも 間接的に表明されている。ここで間接的というのは まづ一たん 情況証拠で 読者をおおうやり方だという意味である。読者は これにおおわれなければ かれと対話の過程に入っていけない。
この批判〔の第二点〕は まだ不審に思われることと思う。こうである。すなわち住谷は この議論にあたって なるほど現地市民のであるかも知れないが それの総括的な観点としての《日本人》 この立ち場から 終始 話しを進めている。もちろん これが いけないのではなく まづそうであるということ。しかも そういう立ち場からの議論(間接的な 意見表明)の体裁を取りながらも 個人たる現地市民の思想実践に説き及ぶものであるということ。これは どうしても はっきりさせていなければならないと思われる。そうでないと 個人としての日本人は 総括的な日本人一般の観点に――それがここで議論されているその観点に―― たえず後行するということになる。そう見ているし そう考えていると言ったことになる。もしくは 上に言ったように その総体的な観点に一たん引き込まれて初めて 個人と個人との対話が成立するということになる。さもなければ 個人が総体(その観点)に対して先行しているのは もしくはやはりここでも両者が同時一体であるというのは 住谷ひとりだけだということになる。
わたしは ここに 問題を見る。早い話しが 落とし穴が仕掛けられていると思う。
ただし このこともまた 議論の手法の問題であって 何ら悪いものではないと言わなければならないのだが 平俗的な観点から言って 住谷もなるほど 土着文化に内在する論理を捉え そこから 自己の思想をみちびく手続きをきちんと取っているのではあるが その結論においては――だから その結論の一般人における受容という平俗的な問題としては――思想の決定要因といったものを 自己にだけではなく人びとにも おおいかぶせるというきっかけが ないではない。ある。それは 合理的に経験科学的な議論によって おおいかぶせるのではないかと やや卑屈になって まづは言っておくことにしたい。
この決定因は やはりどこかで日本人一般という総括的な観点に立った議論の運び方からいって――邪推のかぎりでは―― 一人ひとりの個人に 先行してしまうかたちになっていく。だが まったくのひがみでないことを われわれは 証明できると思う。

題名の《日本の意識》は・・・《自己の決定》 それも個を超えた全体 例えば神あるいは共同体自身の定めることを含意している。
(住谷一彦『日本の意識―思想における人間の研究 (同時代ライブラリー)』 あとがき)

これは いまの批判点として われわれが はっきりさせるべきだと物言いをつけた点を 住谷じしんが はっきりさせたことでもある。あるのだが 思想(また出発点じたい)の決定因を 《神》とすることと そして 《全体ないし共同体〔自身の定めること〕》とすることとは 両者たがいに そうとう程度 異なったものであるだろう。かれは まづ この種の議論に人をまきこんでいる。巻きこんでから 自分の考えを述べて それに応じるという姿勢を 結局 とっているものと思われる。このややこしい問題――われわれのことばで 出発点としてのタカマノハラ理論の構成内容――を あとがきで ちらって言って すますのは どうかと思われるのである。学術研究の〔中間〕報告だというなら 話しは別である。
この点には われわれは こだわってもよいと思われる。
そして 直前の引用文の内容とても またまた 議論の手法の問題であり しかも 自由な思想の自由な表現にかんするものであるのだから われわれは 排斥できないばかりではなく それとして 受容し対話していかなければならないということになっている。そうなる。したがって このような始めの立ち場や観点の設定 これにかんして もはや 著書に表現された内容にもとづいて たしかに 問いつづけなければならない。この批判があたっているかどうか(われわれに ぶがあるかどうか)を別にして たしかに この出発点についてこそ 問いつづけなければならないと考えるものである。
この限りで いってみれば 住谷は 何か目指すべき星を――それも 《全体たるわれわれ》が総じて目指すべき理想・決定的な理念を―― どうしても 始めに 想定するという行き方をとっているように思うのである。このことじたい とうぜん あらそわれるべき論点だと考える。角度を変えて 論じるであろう。
(つづく→2008-01-23 - caguirofie080123)