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哲学いろいろ

#35

全体のもくじ→2004-12-07 - caguirofie041207

§8 小林昇(稿)《 Das Japantum について――住谷一彦『日本の意識―思想における人間の研究 (同時代ライブラリー)』を机上に》―― e

§8−5

労働の分業=協業(そこで ハードウェアの道具・機械等も用いられるであろう)
というソフトウェア知性の発明――つまり それまでにあった分業という考え方の新しい実践――の実例をもって A・スミスは かれの政治経済学を書き始めている。これが 狭義の推進力としての知性の問題を――科学および政策の問題を――あらわすと見ることができる。共同主観 common sense (これを 同感と言ってもよい)の歴史的な実践・その動態的な過程のことだが したがって ここには――この共同主観じたいも 幸か不幸か 習慣的となり観念化することを免れ難い面もあるのだが―― 既存の慣習エートスとの対立・矛盾をはらんで その闘いとしての《近代化》の側面も 出てくるわけである。殊にアジアでは この広義のエートスの側面から 近代化を論じたがる。
(ただし 住谷の議論は むしろ 既成のエートスの中に 同じ共同主観があったと見るか それとも 経済的な目的を達成するための推進力としては ヨーロッパ人の共同主観と 同じはたらきをする力が 既成のエートスの中にあったと見るのであるが)。
また 観念の資本つまり共同観念といった慣習エートスとの闘いを ある意味で追えたとしたばあい とうぜんそこには――そこにも―― 共同主観じたいとしての いくつかの見解の相違・対立も 出てくるわけである。図式化すれば 新しい知性たる主観――また機械による生産をとおして どのように普遍的に 新しい知性の実現を人びとが享受していくかにかんする主観――の共同化の過程において 一般に 各主観(つまり市民)の代理たる政府が どこまで これに関与するかといった主題について 見解が分かれる。図式化といったのは 時代や社会の相違をこえて 対照してみようという意味だが いわゆる社会主義国家では 統一中央政府の計画的な政治経済学のもとに これをなしとげようとするという一つの見解が 一つの極としてあり そうでなくとも もう一方で いわゆるケインズ主義として 政府が経済活動の財政的にも 音頭取りをおこなうというやり方があるというものである。これらは スミスが 新しい事態を かれ自身 見ていなかったことによるものであるとともに 大筋では 近代化の行き方を 共同主観のあり方として 捉えていたその筋道の上に立って あらそわれる主観共同化の過程だと考えられる。
もともと きめの粗い議論だから 言うと 日本の近代化は しかしとうぜん スミスやケインズの考え方に立って すすめられてきた。建て前としてでも。中央政府の計画的な政治経済政策がかんでいたとするなら いい意味でも悪い意味でも この共同主観の路線が 既存の共同観念とぶつかるところの諸問題に対処するかたちであっただろう。〔当時としえt〕ソ連・東欧の社会主義国家は このあとの事態をい 共同主観の中の一見解としてかかげ 実行してきたのであろう。
事態を明らかに単純化しすぎたのであるが それは 供犠の推進力を論じるとき まづ 個体的な知性――すなわち 市民の生活態度――がそれだという視点に どこまでも留まるべきを言いたかったためである。マルクス・レーニン主義といっても 大日本帝国といっても どこかあらぬところのアメノミナカヌシが 根源的な力としてはたらいて その力を人びとは おのおのの知性としたというころでは 丸っきり ないのであるから。これは 議論を どれだけ展開していっても つねに有効なはづであって 近代という時代――または 近代市民という知性のあり方――が それだけの射程(度量)をもっていることの確認でもある。
くりかえせば その過程に 問題は 三つの領域がある。第一に 自由な共同主観という知性(人間)の原点。第二に この自由は 既存の慣習エートス・共同観念と対抗する。第三に 原点の共同主観じたいの中で そこから出発して 自由な見解が提示され 自由に争われてゆく。
《日本の意識――Das Japantum――》は 第二の領域に――角度が別のものとして―― 重心を置き過ぎた。か 信仰を言って 第一の原点に踏みとどまることを 主張しているのだとすれば しかもこれを ちょうど三つの領域の全体をおおうというような言ってみれば《一般エートス》として 認識させるかたちで(はては 信仰させるようなかたちで) じつは おおきな《観念共同》の理論になっているかである。
これは たしかに 《日本の意識》であって しかも 日本が スミスやケインズの共同主観の歴史にも たしかに立っているというのなら――そのような市民の生活態度が築かれていないのではないというのなら―― ただ学者が 大枠の共同観念を不可侵のものと見て そのように説明することになるところの《 Das Amaterasutum (もっぱらの公民圏)》の産物であるだろう。一つの但し書きは 観念共同の理論でないとすれば まったく新しい(きわめて古いものの自覚としてのまったく新しい)共同主観の提示である。すなわち 近代市民の社会の推進の仕方では 基本的に全面的にだめだと見て まったく新しい何かを 提示しようとするものである。この場合は たしかに われわれの側から見れば 共同主観どうしの意見の対立という事態である。この点 次章で 住谷の議論に即して あらためて 考えてみよう。
マルクスは スミスとケインズとの間に位置して かれらの系譜に立って ともかくいよいよ共同主観の盛んになっていくときに――資本主義が発展していくときに―― かれらの社会の中で このもっぱらの公民たちの 片寄りがちな 共同主観の具体的なあり方を 批判した。無政府の――無・アマテラストゥームの――主義にまでは行かなかったであろうのであって かつ 時に 市民たちの政府の独裁を 言ったかも知れない。これは 期せずしてというか もともと視野の中にあってといおうか アジア社会における共同観念としてのアマテラストゥームの強大を 批判するかっこうとなっていた。プロレタリアとしての市民政府の独裁かどうかも 現代では 共同主観どうしの意見として あらそわれている。だからもし これが さらにすでに古い議論の問題となっているのなら 近代化の――そのマイナスの側面への対処とともに―― いわば総決算といった段階に われわれは 到達しているのかも知れない。ただ 日本では ここでも 大いなる《日本の意識》が解決すると言うべきなのであろうか。住谷がそれを 決して古いものへの単なる回帰として 提出しているのではないと われわれが見なければならないときには その内容にあたってみなければならない。
いまの時点で一般的に言って もしこの《日本の意識》がエートス事実としてあって しかもそれも 広義の推進力であるだけではなく 狭義のそれであったというのなら われわれは それとして 狭義のほうを自己のもとに近代市民として確認し 広義のほうのは 棄てるか活用するかしていけばよい。この点では――つまり 住谷にしてみれば あるいはここで梅原猛にしてみれば 後ろ向きの一つの総括的な観点ではありながら―― それでも かれらとその問い求めの場を同じくしていると言ってよいものと考える。
供犠文化の制度たるエートスが そのエートス観念じたいの中で だから実際にはこの外でも 目的とか目標とかになったり 普遍的な出発点であったりするということは われわれは 完が得られないであろうと 何とかの一つ覚えの如くにでも 言い続けたわけである。中世人にとって その出発進行においては 天皇ないし将軍がそれをになうという形で そうであったのかもしれなかった。この点では 住谷らと意見を異にするのかも知れない。重なる同じ部分もあるのかも知れない。だが 繰り返しであるが 問題は 上に言ったその問い求めの場をおそらく同じくするところの狭義の推進力論 この出発点の議論から 入らなくてはならない。つまり 一人ひとりみんなの話し合いをとおして進もうということにほかならない。
(つづく→2008-01-22 - caguirofie080122)