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哲学いろいろ

#30

全体のもくじ→2004-12-07 - caguirofie041207

§7 網野善彦中世再考 ?列島の地域と社会?》 b

網野の議論を紹介するしめくくりとして このような中世日本人の自由の限界については こうである。

しかしここでとくに注意しておく必要のあることは 日本の場合 こうした平民の抵抗がそれ自身の力で実を結ぶのでなく その抵抗を《保護》する形をとりつつ 古代においてはオホヤケ=公といわれた 天皇を頂点とする貴族たちによる律令国家の支配が成立していった点である。(pp.30−31)


中世前期においては 西国については天皇 東国については将軍がこうした場(職能民たちの共同体)に対する支配権を究極的には掌握することとなっていた。(p.39)

網野は 《これは今後の私自身の模索のためのごくきめの粗い見取図にほかならない》(p.45)というが 本文ではなく註において若干 その意図を 一つの展望として 述べている。こうである。

〔永原慶二は・・・拙論を《中世の天皇は民衆の《自由》の守護神》と位置づけるものと批判する。しかし 《守護神》という表現は全く当たらないとしても〕 天皇が古代から現代まで なんらかの形で《公》に関わりつづけ しかも平民がその自由に対する保証をそうした天皇の関わりを持つ《公》に見出しつづけてきたという事実は いかに不快であろうと消し難いのである。それはもとより《万邦無比》と誇るべきであるどころか 世界史的に見ても まことに珍奇な現象の一つといえようが 時間を天皇の死によって規定されるという まことに珍奇きわまる事態をついにいまも許しつづけている日本人の一人であることに対する痛切な羞恥を 日本人の圧倒的な多数が共感することなしには 天皇は今後いつまでも《公》に関わりを持ちつづけるであろう。それを《宿命》といったり 《美学》の対象とする余地を一分も残さぬためにこど われわれは天皇天皇制の問題を正面にすえて その《公》との関わりの実態と意味を明らかにする必要があると私はいまも考えている。実際 それは珍奇であるだけに 世界の諸民族の歴史・社会の研究にも寄与するところ 少なからぬものがあるのではなかろうか。
(p.51)

これを受けて――すなわち いくらか個別的な情況(その特徴)を異にしつつも 前章のドゥルーズ / ガタリの悲観的な宿命論とつながったかに見える点で―― われわれが何か言えるとしたなら むしろ次のように言うのは どうであろうか。逆説的になるのかどうか たとえば 《中世の――あくまで中世の――天皇は民衆の〈自由〉の守護神》だという表現が 仮りに当たっていたとして しかももう今では あたらないことは 目に見えて明らかなのであるから(――天皇は神ではないのだし 主権は民衆一人ひとりにあるのだから――) もうその形では あれこれ模索することは 全くないのではないかと。法律の運営とか具体的な生活の中での過去を引きずっているではないかとかの問題は 事の重大さが減るわけではないだろうが いちおう しかし基本的に 別とすることができる。そして むしろ そう言ってのち 対処すべきだと考えられる。
為政者から非人までの《公》的なそういう人間の社会関係は いまでは 廃れているのだから 《時間(人生)を天皇の死によって規定されるという まことに珍奇きわまる事態をついにいまも許しつづけている日本人》は もうどこにもいないのである。逆に言いかえると 元号を使用することは 憲法その他をとおして われわれ民衆が それこそ ゆるしているのである。しかし この点で 《模索》する必要はないであろう。立法の問題である。直接の手続きとしては 多数決の問題である。
《公》とは わたしの言葉では アマテラスである。あるいはさらに抽象的に アマテラシテである。要するに 個人の出発点にあっては 光に喩えられるべき人間の精神のことである。出発点は 人間存在なのだから 身体もむろん含むが ことに精神を取り出していうときのものである。これは 〔精神の〕自由・平等また愛のことだと言える。さらに抽象的に言えば その普遍性である。ただし《オホヤケ=大宅家》という言葉がそれであるように 日本語では 実在のものの問題でもあり それが 社会的な概念となった。つまり 国家という社会形態の中で 為政者のことである。公なる精神は 公事として社会経験的であることはよいことであろうと思われ たとえば中世では これが 公人とも結びついていた。
そうすると まづもう一度いいかえて 中世日本人にあっては 個人が同感人であるという出発点は 公事として発進されていたが それは実態としては公人と直結していた。その社会制度およびその観念の中で たとえば一揆において《主従の関係を断ち切る》というのは たしかに実在の第一の公人の権威や権力と最終的に直結しつつ 普遍の精神をとおそうとして この社会的な身分関係をこえることであった。《親子の関係を断ち切る》というのは 血縁関係をこえて普遍的な人間の関係をとらえ 身分関係のほうはもうすでに過去のことだとすれば この血縁関係のほうは血縁関係なのだとして(つまり そういう一つの自然だから) 自由に 保持していくことであった。
ところが 一揆をおこすことが そこで 最終的な目的ではないのだし さらには――現代から安易なかたちで言ってしまえば―― 公事の実現のために 為政者に租税をおさめ保護を受けることじたいが 同じく最終目的なのでもない。
だとすれば――だとすれば―― とうぜんのように 昔の天皇にしろ国家形態のもとにある今の市民政府にしろ そのような為政者も 最終的な普遍性のことではない。このことは すでに中世人において 解明されていたとも考えられるのである。おそらくもう一つの安直な発現になるかと思うが――なってもよいと考えるのだが―― 中世日本人は 出発点の普遍性を 経験現実の中にそのしるしをも求め 公人の存在に直結させたわけだが それは 長いものに巻かれたとも言えるし その長いものを利用したとも考えられる。だから いづれにしても 公事をとおして――つまり 公事としてだけではなく さらに公事をとおすというかたちででも―― 《共同体から自覚的に自らを解き放って自由な人々》となること これを われわれは 問い求めつづけてきたわけである。もし仮りに 実在の公人にわれわれの出発点を 直結させただけではなく その公人の存在と人びとの出発点とが まったく同一のものであったとしたなら そのときにはその公人の死とともに 確かにわれわれも衰えていたであろう。衰えなかったのだから それは むしろ――おのおのの出発点が個人個人にのがれようのないものなら―― これこそ 人間の《宿命》なわけだ。つまり 自由の公事 公事の自由を 追求してきたわけだ。われわれは 今になって考えてみると このとき その手段は ある意味で第三者たる為政者公人を 利用してきたのであるから この点 深く反省しなければならないのである。人の利用はよくない。
このとき われわれは おのおの 自己に還るのである。ただいまと言うのも お帰りなさいと迎えるのも 実は とうぜん 《わたし》という同じ一個の自己である。おそらくこの瞬間――わたしも少々えらそうに 言うとすれば―― 思想としての充実身体も 社会体としての器官なき充実身体も そのスキゾ(分裂)・シャーマニスムは 解体するであろう。もしくは 実際に滅びるのは 時間経過とともにであるから(つまり 奇蹟はない) おそらく この分裂と死のシャーマニスムを まづは生け捕りにしたことになるであろう。それは われわれ各自が立ち帰った出発点の自己(数量として 1 )を持続させるとき つまり その自乗( 1x 1 )ないし無限の自乗( 1x1x1x・・・=1 )の過程によってであるでしょう。とくべつ何もしない。ふつうの社会生活。スキゾ・シャーマニスムは 前史の母斑となっているという寸法である。個人〔の側から〕の問題として言ったわけである。

(つづく→2008-01-17 - caguirofie080117)