caguirofie

哲学いろいろ

#17

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第六章b 歴史を隠れたところで点検し明るみに出す――キリシタンのこと――

これには 歴史(とうぜん 自己の前史から始めて)をその隠れたところで点検し これを明るみに出すことが必要である。その自己の回転の基軸となったことを 明るみに出すことが必要である。
これを見出しつつも 精神の王国において想像しみづからを慰めていてはいけない。大いなる研究をして学者になってやろうというのとも 微妙にちがう。遠藤周作流に言うと 《ああでもない こうでもないと迷っている》だけでよいのです。これが 方法であり それは 何もしないでいるのとは違う つまり こころざすところがあって何かをやるうちに この方法を獲得しているのだから。


この方法つまり生活原理は スサノヲやオホクニヌシが はじめて実現したものであるが かれらはこれを 理論とはしなかったかも知れない。それを おしえとしてまづ伝えたのは ヨーロッパからのキリシタンである。言いかえると その時代 日本の人びとは この方法を やって来たキリスト教伝道者たちと 論じ合ったのである。以下 この章の後半では この点にかんする歴史を 一つの文献からの引用で見ておきたい。
まづ 抽象的な議論から。キリシタンバテレン(司祭)とブッディストの僧侶との問答である。

彼ら(数名の仏僧)は国主(これは 周防の大内氏のこと)から大いに尊敬され かつ重んじられていた・・・が そのうちの一人は司祭(これが フランシスコ・ザビエル)に対し 

汝が拝んでいる神(デウス)には 形態 もしくは色彩があるかどうか

と質問した。司祭はこれに答え 

デウスにはなんらの形も色もなく またいかなる偶有的属性もない。なぜならばデウスはあらゆる元素から離れた純粋の実体である。いな それらの創造者であるからだ。

と言った。仏僧たちはさらに 

そのデウスはどこに起源を有するか

と質問した。司祭は答え

デウスは自ら存在する デウスは万物の原理であり 全能 全知 全善で 始めも終わりもないからだ。

と言った。
これらの仏僧は 真言宗といい 大日(ダイニチ)――《大いなる太陽》の意――と称する本尊(プリンシピオ)を礼拝する宗派に属していた。彼らはこの大日如来に 神的性質に特有な多くの尊称や属性を付与しているのである。この宗派について知り得たところによれば 彼らの大日〔なるもの〕は 我れらヨーロッパの哲学者たちの許(もと)で第一質料(マテリア・プリマ)と称するものと同じものである。

  • 第一質料とは 物質のことである。

だが仏僧たちは大日を最高で無限なる神であると称し 幾多の誤謬や矛盾に陥っており 彼らが大日についての述べたてるところは きわめて笑うべく あらゆる根拠を欠いている。それゆえ仏僧らは我れらの説くことを聞くと デウスの属性が彼らの大日に非常に類似しているように思われ 彼らは司祭に対し 言葉の上では 言語や習慣において 互いに異なってはいるものの 伴天連(バテレン)が認める教義の内容と自分たちのそれは一つであり 同じものだと語った。
(L.フロイス:日本史 第一部第五章)

 

この一節を引用したのは もちろんブッディスムとクリスチア二スムとの相違を見るためにほかなりません。

  • ただしここでは この相違については 教条的に述べてあるだけであって 明らかとなってはいないけれども この点いま 深入りしません。
  • キリシタン側の資料のみここでは取り上げれば十分だと思われ その一面性を修正する意味で この教条的な物言いの部分をも挙げます。

ただ この一節から言えることは 生活原理のあるいは方法の見えないところ(いわば いちばん大事なこととしては 形や色のない愛) これは 時に人によって別であろうけれども その経験的な愛の部分 知性によって捉えられる徳性など意志・意欲の部分 こえっらは 人によっても東も西も 同じものだということである。原理としての愛が 人によって別だというのは もちろん 信教の自由として その信仰の内容が 人によって自由に信じられているという意味だ。しかも そこから 言葉にして表現される精神の徳目などは それほど 人によって違うものではないし 洋の東西でも そうだということである。
つまり 前史の母斑として 人はだれもが これらを同じ実践過程として通過すると思われる。なんでもないことだが これをまづ おさえておくことが出来る。
次に 一般庶民とも言うべき人びとが この生活原理の歴史 方法の動態的なあり方について 問いを発し議論をつづけているので それを覗いてみたい。すなわち 歴史の隠れたところで実際あのスサノヲの生活原理が点検されてゆく。そのためにあたかもこの宣教師という新たな渡来者をわれわれは必要としたと言うことだ出来るのかも知れない。

フランシスコ師がこの山口の市(まち)に来て以来 五ヶ月ほど もしくはそれ以上になるが 朝から夜の大部分に至るまで あらゆる種類の質問を持ち出すために 仏僧もしくは俗人が同席しないで過ぎた日とては一日もなかった。
彼らはある時には

デウスとはいかあるものか。どこにいるのか。なぜ見えないのか。

と訊ね またある時には

霊魂には初めがあって終わりがないとはどういうことか。

などと問いかけた。ところで質問者たちを満足させようとする人々は 大いに賢明に対処せねばならない。なぜならばある時には彼らに厳格さを示さねばならぬし また別の折には彼らの足下に跪かねばならない。また応答者は忍耐力を養っておかねばならぬ。なぜならばこれら日本人は非常に鋭い理解力の持ち主だから 異国人たちを屈服させようとし言葉や所作で彼らを愚弄するからである。
すなわち彼らの見解によれば 知識と名誉という点では 彼らに優る国民は存在しないのである。また善いことは彼らを満足させるが 一方 悪いことは彼らの気に入らない。それゆえ彼らは当国の仏僧たちを表向きには大いに尊敬してはいるけれども 内心では軽蔑している。今や領主(大内義隆)は 私たちに学院を建築するための非常に大きい敷地を与えてくれた。
フロイス:日本史 第一部第六章)

という書き出しで 次のようにわれわれの祖先とかれらとの問答を要約して伝えている。ここからが スサノヲの生活哲学である。
(つづく→2007-05-03 - caguirofie070503)