『善』とは何ぞや??
【Q:『善』とは何ぞや??】
No.8
回答者: bragellone
1. 悪を 善のへそ曲がり・ひねくれ・損傷・欠如というふうに規定する場合 善とは何か?
2. ▲ (ヰキぺ:悪) ~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA
§ 悪に関する哲学的問題
§§ 悪は普遍的か?
悪の本性に関する考えは以下の四つの相反する立場のうちの一つに落ち着きがちである:
A 絶対主義 (倫理)
B 虚無主義 (倫理)
C 相対主義 (倫理)
D 普遍主義 (倫理)
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☆ 各事項のカッコ書きは その思想的立ち場を 倫理の面から捉えた場合だということを示しているらしい。
一つづつ取り上げてみる。
3. ▲ (同上) ~~~~~~~~
A 絶対主義 (倫理)では、
善悪とは神、神々、自然、道徳律、コモン・センス、その他の根拠によって打ち立てられる不変の概念であると考える。
☆ 根拠ないし判定の基準を示して その――悪の――定義が普遍的なものであると言おうとしている。
3-1. 《神 神々》とは 《絶対性およびその――相対世界への――ハタラキカケを言い 個別のハタラキを神々と言っている》。
だが これは 論理的には考えられるが これによるだけでは 善悪を区別判定しがたい。
3-2. 《自然》とは 身と心とにそなわった自然本性のことであろうし それに手を加えて思考をおよぼしたものごとである文化 この文化以前の心身の秩序だったハタラキを言うものと思われる。
3-3. ここから ヤマシサ反応といった問題に展開すると分かりやすいはずだ。つまり 自然本性の秩序が――クリスマスツリーの飾りたる文化の以前の樅の木としての自然秩序が―― 善悪の判定基準だという。
3-4. このことは ヤマシサ反応といった具体的な基準を出せば そこから《コモンセンス》がみちびかれるはずだ。
3-5. 《道徳律》は どうでもよろしい。自然秩序の《文》化・具体化として倫理規範は 民族や国ごとに多様性がありうるゆえ。
4. ▲ ( ibid. ) ~~~~~~~~~~
B 虚無主義 (倫理)は、
善悪というのは無意味な概念で、自然には倫理の構成要素になるものなど存在しないと主張する。
☆ 前提となった虚無主義が 判定基準となっている。
ニヒリズムなる思想を よほどうまく説明しないかぎり 放っておいてもよいであろう。
5. ▲ C ~~~~~~~~~~~~~~
相対主義 (倫理)では、
善悪の基準となるのは地域ごとの文化、慣習、固定観念の産物だけだと考える。
☆ 《だけ》ではないと考えるのが A 絶対主義 (倫理)である。
5-1. たとえば 神にかかわる(つまり 天与の)良心が ヤマシサ反応を起こすとすれば 自然の上に築かれた《文化》の以前に 自然たる樅の木としての自然秩序があると言おうとしている。
6. ▲ D ~~~~~~~~~~~~~~
普遍主義 (倫理)とは
絶対主義者の言う道徳律と相対主義的観点との和解点を見出そうとする試みである。
6-1. ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
普遍主義は、
道徳律はある程度可変的であるにすぎず、何が本当に善あるいは悪であるかは全人類を通じて何が悪であるかを調査することで決定することができる、と主張する。
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☆ 道徳律ないし倫理規範は すでに言葉で表現されており《文》化している。そこに普遍主義が 首を突っ込むとは考えにくい。
6-2. ただし 相対主義のもとに思考された規範について 共通の内容をみとめあって共同主観(つまりコモンセンス)とすることは出来る。《なんぢ ころすなかれ / 不殺生戒》は この《常識》であろうと考えられる。
6-3. 文化としての倫理規範 これが 善悪の判定基準になり得ると考えられる。そこから 法律が作成されるのだ。
6-4. そしておそらく それらに先立って 自然本性としての秩序が――必ずしも文表現されていないけれど それでも―― 善悪の基準に成りうるはずだ。条理また条理を写すナラハシ(エートス)。
7. したがって 善とは 文化として倫理規範によって悪と区別されると考えられるが――つまり 法律に作りそれによって有効なものとして実現するように図っているわけであるが―― 倫理規範のみなもとは 自然本性なる――生命性たる動的な平衡といった――秩序過程にあると考えられる。
7-1. デコレ―ションではなく樅の木にたとえられるような自然本性 これに沿って意思決定し・これを活かすように生きること これが 善であると考えられる。