人や社会の歴史が 前史と後史とに分かれるという場合はあるか
1. 《ある》という立ち場から 次のように考えます。ご見解をおしえてください。
2. 基本的に 《〔人為的に特別なことは〕何もしない。〔これまでの生活をつづける〕》 が答えだと考えます。
3. すでに前史という言葉を用いるなら 基本的に いまの前史の過程をそのまま進む。
4. その人それぞれに持ち合わせている前史の要素 これをひととおりその人の思う存分展開させること このことをとおして もしそうだとすれば 前史が終わるのだということ。
5. 前史の要素と見るのは 人と人との関係において自然本性に沿った内容にはそぐわないシガラミのようなマジハリがあると考えられるからです。
6. 自由意志が停滞しているシガラミがあるとすれば ですし 問題は このシガラミ関係を――じつは 単純に全展開させるということはむつかしいわけですが ぎゃくに(つまり外への展開とは逆に)内にあたかも全部を引き受けて――想像裡において進化させるような場とすることだと。
7. つまり 《何もしない》 ただし《もしシガラミだと認識しているならその認識内容を前史と見なす》。
8. たとえばうまく行けば じつはその十全な展開が ただ互いのあいだの想像上の恰もたたかいを対話というかたちにおいて成し継いでゆくことによって果たされるかと見ます。
9. あるいは ヒラメキによって一瞬にして わだかまりは解け 互いの和解にみちびかれる場合をも見通します。
10. 問題は 会社等の組織の問題や 社会が《市民‐公民》の言わば二階建ての構造として成るという国家なる組織の問題があるではないかと指摘されるようです。
11. つまりただしそれは 権限や身分の関係であり 上下関係であり すなわち取りもなおさずそういったシガラミ関係だと思われます。一対一の二角関係が 幾重にも重層的に錯綜していますが。
12. そこにあって 前史の過程をそのままあゆむというのは 上に立つ側がその権限にまかせてしたい放題をする場合が考えられるからです。
13. なら 反省し学習することが考えられます。――というより いちいちそういった極端な事態に到るまで俟つというよりも やはりすでに想像裡においてそのような展開をあゆませ みなが互いに事態をみつめる。
14. シガラミ関係の終焉を予想する。国家としての社会力学上の関係が錯綜する過程を 前史だと見なす。
15. そういった一点突破を考えました。社会の形態は 昔からニ階建てではなかったとも考えられます。
16. そうして 基本的に・全体として見て 《前史を終わらせる》には《前史に沿って歩みを進める》のが筋道だと考えます。全体は 自然史過程なのだと見ます。これを捉えわが哲学的自己了解なる覚悟としてのように引き受ける。
17. あるいは抽象的に言ってしまうと こうなりましょうか?
《前史人が自己とそして社会と和解したときに 前史が終わる》と。
前史のシガラミに不満をかこちその短所をののしっている間は のぞみが薄い。のかも分かりません。
18. それとも《前史》などという捉え方は どこかまちがっていましょうか?