caguirofie

哲学いろいろ

愛とは

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie
○ 愛とは何か?

 について書きます。

 1.
 愛とは ヱクトルです。志向(あるいは 漠然とした気持ちや心の片向き)としての対象関係が決まり その向きが正か負かで決まります。

 2. 
 正負の向きとは 好き嫌いです。愛情と憎悪です。猫かわいがりと怨念です。甘やかしと復讐の鬼です。

 3.
 方向を示す対象関係は 一般に二角関係であり 男女のばあいには 対(つい)関係と呼びます。ツイ関係には 性愛が伴ないます。

 4.
 ツイ関係の好き嫌いからは いろんな中身のヱクトルが現象するかも分かりません。《撲殺天使》あるいは 要するに SM でしょうか。

 5.
 ちなみにですが サドが追究したのは むしろ頭の体操としてのツイ関係のさまざまであるような気がします。マゾッホは読んでいません。

 6.
 二角関係(そしてここから放射線状に伸びるような・または同心円を描くような二角関係錯綜)における好き嫌いは 好きの側面において甘やかしの線では自己犠牲が出るかも知れません。どなたかが 殉教者を生むとか言っていました。

 7.
 同じく 殉教者の対極は 偽善者だそうです。これは 嫌いが憎悪になり怨念をも生みもはや復讐の鬼と化すところで おだやかな普通の愛一般にタテマエとしてはとどまる場合を言うのでしょう。

 8.
 二角関係の錯綜と書いたとき ひとは 三角関係を連想したかも知れません。けれどもこれは 意志行為として無効です。

 9.
 既成の二角関係 いえこの場合は ツイ関係 これをきちんと解消したあとでなければ あらたなツイ関係は結び得ません。現象としてはあり得ますが それはただただ物理的な社会力学に従うのみの意志行為であり 無効です。

 10.
 社会力学じょう有力となって 現象としては意志行為がおこなわれて行く場合というのは けっきょくウソの問題です。やましさ反応の問題です。恥ぢなる実存の問題です。《無効》だと分かっていて 強行する意志行為です。

 11.
 ふつうの二角関係であっても 信義則があり得ます。これを――つまりは おのれの心のおもむくところを――やぶるのは 確かにヤマシサ反応の知覚もあり恥ぢの自覚もあり ウソなる主題から来ている問題です。

 12.
 三角関係としての問題は ツイ関係だけではなくふつうの二角関係についても ウソを強行したところから来ている。そういうマイナスの向きを持つ愛のヱクトルです。これが 一般にシガラミと呼ばれる愛の社会的な錯綜関係です。

 13.
 これが 蓮が根を張る池の土壌です。現実です。愛は この世界で生きます。この世とは別の世界を思い描こうとするのは――つまり 空だ無だという一面だけを言ったきりになるのは―― 阿呆哲学です。

 14.
 少々恰好をつけるなら この世界の全体を おのれの身と心とに体現して生きるのが 共生としての愛です。

 15.
 すべては むしろ自然史過程として推移します。愛は これを見通すことと そして むしろおのれの利益をはかって自己中心的に生活することとをふくむものと考えます。

 16.
 自己中どうしが ときには助け合います。無縁慈悲をめざすことになるでしょう。いやならいやと言って行く共生です。

 17.
 撲殺天使に対しても いやならいやと言うことから 前史の愛なるかたちをわれがわれであるところの後史へとでんぐり返すきっかけになるはずです。