ねむりねこ=ぶらじゅろんぬの定理
――または 《虚数人間》の自己造成について――
1. ひとは自然本性にもとづき 意志を中軸としている。
2. 意志としての心がひねくれると へそが曲がる。
3. へそ曲がりでよいと確認しひねくれ続けると 心が裏返される。
4. ひとの心はリバーシブルとは言えないはずだが 裏返った心でおこなった意志行為も あたかもふつうの意志行為と変わりないように見える。
5. すなわち (4)が 《虚数人間》の誕生である。
6. 座標で捉えてみる。
前提として:
x 軸: 意志のありか(意志としての思い)
y 軸: 意志の行為(思いの自己表現)
z 軸: 虚数軸。たくましき想像の世界。
(1) はじめに x = 1,y = 0, z = 0 なる地点にわが意志はある。
(2) ヘソを曲げると x = 0, y = 0, z = i なる地点に舞い上がる。
(3) これが確定されると 意志のありかとして x 軸に降りて来る。
すなわち x = -1, y = 0, z = 0 なる地点に移った。
(4) この( -1, 0, 0 )なる意志のありかから自己表現として意志行為をおこなうと たとえば ( -1, 1, 0 )なる地点で発動されることになる。
すなわち 意志行為のみを取れば ふつうの意志のありか( 1, 0, 0 )による発動・つまり( 1, 1, 0 )と較べても y 軸が プラスの 1 であることに変わりない。
(5) ゆえに 虚数人間が ほとんど現実のこととなる。《ほとんど》に力点を置く。
7. さらに細かい説明として。まづ 人間の・特に意志のあり方としてこれを 広く捉えて複素数( a + bi )で表わすこととする。
8. 四つないし五つの段階に応じて 次のごとくである。
(1)の《 x = 1,y = 0, z = 0 なる地点》というのは
a = 1, b = 0 でまだ意志を発動していない段階を言っている。
(2)の《ヘソを曲げると x = 0, y = 0, z = i なる地点に舞い上がる》というのは 意志のありかが定まらなくなった状態である。その代わりに 想像力としてのあたかも代理意志なる b が 1 として登場する。すなわち:
a = 0, b = 1
(3)の《 x = -1, y = 0, z = 0 なる地点に移った》というのは (2)の z = i にさらに へその曲がりとしての i が掛け合わされることによって 虚数部分の bi が 1 x i x i = -1 となることを表わす。この -1 は とにもかくにも 実数となったわけである。よって ほんとうは x 軸上の地点ではないはずだが 結果として x = -1 なる地点にあると捉えられることになる。これは 人間の心はひろく 現実は 寛容であることを物語る。
《結果として》というのは (4)で見たように 意志の思いが発動されて意志行為となったときには その y 軸としては プラスになり ふつうの意志行為と変わりないかたちになることを言っている。
(5)としてわれわれは 虚数人間をひろく深い心においてつまり自然本性の共生するチカラに限りない伸び代(潜在性)を遠く見据えてまた恃んで 市民権を互いにあたえ 迎え入れている。
(嫌ったりからかったりするのは 表現の自由にもとづく。また負の向きのヱクトルも ひろく愛である)。