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哲学いろいろ

神をめぐる人間の忖度について

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 1. 経験的で有限な相対存在は 絶対性を凌駕し得ない。なら 絶対性なる神は 相対存在たる人間にとって その《根拠》である。

2. だが 神と人との間には 絶対の隔たりがある。この隔たりを 人間がその想像力によって難なく超えた〔世界を思い描いた〕としても その想像と思考には 根拠がない。イマジネーションの域を出ない。

 



3. 経験的な現象にとどまるようなイマジネーションの世界を超えたところの神を捉えるには ずばり《無根拠なり》と表現するのがよい。

4. 《根拠がない》という表現ではなく 《神は 無根拠なり》という規定である。




5. ならば そのまさに――ほんとうは基本として――根拠たる神について その根拠ぶりを自由に――人間の思考やその限界にとらわれることなく 自由に――思い描きそのチカラを受け留めることが出来る。

6. 神からのハタラキカケを受け留めてそのチカラを〔分有しつつ〕享受することが出来るというのは 表現として神は――普遍神は―― 無根拠であるからだ。



7. すなわち 人間の生が 無目的だという命題につうじる。根拠があるなら その〔人間が考えて得た〕根拠にしたがって 人生に決まった目的が伴われていることになる。

8. 無目的というのは 目的があるのも・目的をおのおのつくるのも 自由だ。


9. 絶対性と相対存在とのあいだには こういった関係があると考えるが いかに?