神はどこに存在する?
No.10
回答者: bragellone
まづ 神に定義をあたえます。
☆☆ (或る回答) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
① 身・五感・感性の原野:知覚しうるものごと
・・・・宇宙・自己・天・人・馬
② 心・精神・思考の緑野:知覚したものの概念;またそれの想像じょう
の産物(つまり 観念)
・・・・・・・・宇宙人・あの世
・・・・・・ペガサス(天馬)・ケンタウロス(人馬)
③ 超自然・超経験・霊性なる非思考の庭:絶対性・無限・・・・・・・・・ 神
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 神はどこに存在すると思いますか?
☆ 神については なにぶん《思考にあらざる対象(あるいはつまり 非対象)》
であるゆえ 想定したというかたちで・その内容としてそのまま存在があると わ
れわれ人間は考え・思う・・・ということになっていると推し測られます。
A 《超自然かつ超経験なる場(ないしチカラ)》であるゆえ それがそのまま存
在する場だと考えられる。(一般絶対性)
B 次に これを思うという人間が存在している。それゆえ 《神と人間――しか
もだれだれという特定の人間たる〈われ〉――とのカカハリ》が生じている。(個
別絶対性が発生する)。
B‐1 つまり 神は 《神とわれとの関係》に存在している・・・かも知れない。
そして同時に そこには存在していないかも知れない。(思考を超えているゆえ)。
B‐2 とは言うものの じつはこの《神とわれとの関係》は ただの人間の思念で
あるかも知れない。なぜなら 超経験の場たる神そのものを 人間が知覚すること
はそして思考することもまた想像をはたらかせて捉えることも それらを成し得る
かどうかは 人間には分からないのだから。
B‐3 しかも・なおひるがえって その《分からなさ》は 《分からないと証明し
えた》もの(不可知)ではなく 《分かるか分からないかが分からない》という中
身(非知)である。
B‐4 単純に言って 神は われ(或る主観)に分かることがあるかも知れない。
B‐5 あらためて考えよう。《神》は A のごとく絶対性としてしかるべき場に
〔人間の言葉で言って〕存在している。そしてこの場合 われわれは 《神》本体
のことを直接そのままあつかっているのではない。カミならカミという・本体を代
理するシルシで 思考を凝らして知ろうとしているに過ぎない。
B‐6 ところが神は 絶対性であり無限である。言いかえると 人間の相対的で有
限の(あやまち得る)思考や感覚を つつみ容れている。ここによって 人間はそ
のおのおのの《神 ‐ われ 関係》について思いこれを捉えようとすることは 自由
である。神が許容している。
B‐7 良心・信教の自由が生じている。神ゆえに。そしてそこから同じく自己表現
の自由をわれわれは享けている。
B‐8 したがって 《神と人との―― 一般的絶対性なる――関係》は 《神〔をシ
ルシで取り扱うときの例えばカミ〕とわれとの――個別絶対性なる――関係》をと
おして その一定の存在たるわれにあって その主観に独自の神観を持ち得ること
になる。
B‐9 神は そのシルシとしてのカミ(またそれをわれが意識する)をとおしてだ
が おのおの主観の内面に持ち得た神観としての特殊絶対性において 思われてい
る。(カミとしては その名が アルケーでもハシレーでもナイケーでもまったく
自由である。主観内において自由)。
★ 1.神は神を思う人間の脳内に存在する。
☆ 神のシルシとしてのカミ(それの意識)は そのようであるかも知れない。
★ 2.神は神を作り出した人間の住む惑星地球とその周辺空間に存在する。
☆ 人間は 神本体をカミといったシルシで取り扱って これにさまざまな思わく
をあたえているので あたかも《神を作り出した》と錯覚しうる。
★ 3.いやいや、神は宇宙の至るところにおわします。
☆ 絶対性である神は 相対世界なる宇宙を覆いつつむと見ることは 不都合では
ない。
★ 4.神は宇宙のどこにも存在しない。
☆ 非知なる神を 《無いカミ》として扱うなら そうなる。その無神論は 同時
に《有るカミ》説が自由に表現され得ることを――《無いカミ》説の自由とひとし
く――みとめているはずである。