caguirofie

哲学いろいろ


1 太宰治ではないけれど わたしは萎縮していた。
 わたしが萎縮していたのは 抵抗力の現われである。
 萎縮という反応じたいが わたしに与えられたわが抵抗力である。

 2 わが日本人は 勇敢にも不仕合わせに耐えている。
 萎縮しない。

 3 だが もしそうだとすれば わたしから見れば そこに抵抗力はない。

 4 いや抵抗力があって強いからそうなのだと言うとすれば 互いの仕合わせは すでに諦め 放棄したからだ。自分自身のそれは 放棄していないかもしれない。

 5 ここでいう仕合わせとは シンライカンケイのことだ。

 6 だから実際には 自分自身の仕合わせ自体は放棄していないというのは ありえない。自己矛盾なり。カンケイなのだから。

 7 そもそも〔根はいい人だからという理由で〕人を信じたことのないわたしは そもそも人間じたいについて〔信じてくれと言われて〕信用することはできないと考えているわたしは 信頼関係に入ることについては 諦めていない。

 8 たとえば 約束を守ることだ。違えるならば 訳を説明し 詫びることだ。

 9 生身の人間どうしの信頼関係にひびが入るのは 実際だ。だから 修復する。諦めない。

 10 欺かれるならば 萎縮する。抵抗力があるからだ。諦めていないからだ。
 欺かれたというその不仕合わせに勇敢にも耐えることはできない。
 存在を放棄することができないからだ。

 《欺かれるならば 我れ在り。Si fallor, sum. 》だったのだ。

 11 嘘と演技とで 《勇敢にも抵抗する》ことはない。シンライカンケイの破綻なる不仕合わせに勇敢にも耐えて 萎縮はせずに 大胆にも嘘と演技なる虚構のうちに立ち向かうことは しない。そうすることは 抵抗ではないからだ。そうするのは  すでに抵抗力がなくなったからで 信頼関係の修復を諦めたからで だからこそ 《果敢なる忍耐》が始まるのだ。萎縮という・存在としての抵抗は消える。

 12 なぜって 虚構で破綻を修復しようというのは 修復をほんとうには諦めたからだ。

 13 ましてや その破綻に輪をかけて いまのフィクションを二重・三重に膨らますことは出来ない。そうする人 そうできる人は 勇敢にもその不仕合わせに耐えようとしている。

 14 破綻という事実は 取り返しのつかないことだと考えているのかもしれない。けれども その破綻の上に城を築こうという。相い対する別の人ごとに蜃気楼閣をふくらませる。

 15 不仕合わせに耐える《勇気》は ストーリをこしらえる想像力の豊かさ その演技のうまさへと そこでは 《発展》する。これが 《世の中》であり 《大人の世界》だとなる。

 16 不仕合わせに耐えることが出来ないという抵抗力 その能力 これが人間の能力であり この弱さを もし誇るのなら 誇ろう。

 17 ぎゃくに言おう。萎縮せずに不仕合わせに耐えられるという理性のちから その強さ これは むしろ人間が人間を信じることができるという美学にもとづいている。

 18 根はいい人なのだからというので 人その人については 信用することになっているという一大虚構の美学。日本人であることじたいのシュウキョウ。

 19 欺かれて 欺かれるのは当然のことと受けとめたところで抵抗力をなくしたゆえ 幻想の構築に走った・・・。

 20 欺かれて 人その人については信用しあっているが 信頼関係についてはその破綻をそれでよいと認めている。そこで 抵抗力を捨てた。いや そんな抵抗力など要らないと考えているのかもしれない。人自身を信用しあっているということについて 実は そのこと自体が虚構なのだから これの構築を絶えず要請される。その基盤には 社会共同のものがよい。古くは 自民党と巨人と太閤秀吉と。《強い》ものであることが要請される。

 21 この強さは 死に基盤を置いている。どうせお互い いつかは死ぬ身だ。死ねば 神である。いい人であり 信用しあえる。だから 生きているうちは あるいは もし死にたくなければ えせ宗教でよいから 長いものに巻かれなさい 巻かれつつ 和を以って貴しと為せ。そうすれば 不仕合わせにも耐えられるのだよ・・・。

 22 抵抗がなくなった。抵抗力が消えている。不仕合わせに耐えることが出来ないという能力が欠如している・・・状態。

 この現実を見よ。