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あらためて《概念》とは何ぞや? です。
・ ことば≒概念:経験事物に対応している
・ 観念:想像じょうの事物である。(想像行為も経験ではあるのだが)
・ シルシ:想像物をもふくめた経験世界を超えている。
(経験事物に対応するシルシも 別様にあるのだが。我が名だとか)
1. 日が昇り日が沈み きのうから今日へ 今日から明日へと生きていること
について 一般に《とき》が流れると言います。
2. 《時間》という言葉であり それとして《概念》を持ちます。一つの定ま
った意味内容です。
3. 過去はそのまた過去へ 未来はそのさらに未来へとトキを伸ばして行った
ら どうなるか?
4. このとき 《わたし》の一生のあいだにそのトキがとどまるなら 経験事
象に対応した《時間》です。
5. さらにワタシの生まれる前の過去は どうか。これは 《想像をとおして》
トキの延長が成される。
6. 未来についての場合も同じであるが 一般に《ことば≒概念》はそれが経
験に対応しておらず想像のみによって得られた場合には 《観念》と呼ぶ。
7. ただし ワタシの経験していない過去のことでも 遺物・文献などをとお
して仮想体験しうる場合には 経験世界として扱う。歴史学は 経験科学である。
8. では もの・ことが《有る・無い または 善い・悪い》を超えている世
界は考えられるか? ものごとの因果関係から自由な場は想像し得るか?
9. つまり そのような時間(?)には《永遠》という言葉を人間は当てたが
これは どういう概念か?
10. 時間の流れが限りなくつづくといった経験的な無限ではなく 時間の世
界を超えているという場。としての《永遠》。
11. そのように〔ほかに得ている〕ことば≒概念を用いて説明はし得るが果
たしてこの《永遠》は 考え得るか?――想像し得ないであろう。一瞬その像を
得たと思っても ただちにその想像行為ははじかれてしまう。
12. 《神》は この《永遠》である。想像物としての観念ではなくそしてむ
ろん経験に対応するふつうの概念でもなく そのような説明をもって《想定》し
ておくもの(?)である。言葉ではあるが ナゾである。
13. 神をナゾとして想定したという理解は 神という言葉を持った初めの人
びとが そうは承知していなかったとしても このいまわれわれが追体験し追認
しておくことになる。
14. ナゾは シルシによって指し示される。むろん シルシが――そしてそ
の言葉・文字・発音あるいは概念を概念で整理したオシへなどなどが―― 神な
のではない。
15. 神は 言葉としてはひとつの概念であるが 概念を超えている。
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie