caguirofie

哲学いろいろ

ニーチェ

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie
 ★ 実在主義
 ☆ とは 経験合理性のみにもとづく世界の認識なるいとなみでないとすれば この世界を超えたところに何かナゾのものを想定してこれを言わば世界の根源と見なす思想です。

 ところが ふつうは・あるいは ほんとうは この《実在》は 《イデア》であれ《プシュケー・コスムー(宇宙霊魂)》であれ あくまで《想定》によるものです。人間が そう想定したに過ぎません。

 言いかえると もし世界の根源を《神》と一般の言葉で言い表わすにしても それが《実在》であるかどうかは 人間に分かりません。

 言いかえると 《イデア》や《アニマ・ムンディ(世界霊魂)》は もし神が存在するとすれば・そうだとしても その神の仮りの表現物です。言わば神を何とか問い求めたいし指し示したいというときの神の補助線です。

 つまり 《かみ》という言葉すらが もし実在だとするときの神の 補助線です。





 だとしたら
 ★ それまでの実在主義の様相を変容させた
 ☆ と言うとき そうだとしたら それは どういう内容なのか?


 残念ながら ニーチェは 《人びとが実在だとする神やイデアが 想定になる神の補助線であるに過ぎない》ことを知らなかった。

 つまり 補助線なる神の概念・ということは けっきょく思考物・想像物としての観念なる神に向かって 剣を振り上げて馬を走らせた。に過ぎません。

 だから 《超人や大自然や大河などなど》の代替物を持ち出したと言えましょうし わけの分からぬ《永劫回帰》なる煙幕を張った。何度でも何億回でも 人びとよ 神を問え。われを問え。と言ったわけです。

 《アンチ・クリスト》なる像をみづからの姿として描いて それによって・しかしながら 風車に向かって馬を走らせたに過ぎない。このことを 《実在主義の批判》としておこなった。


 要するに 人びとにとっての《観念の神》を別のものに代えよと言った。
 あるいは この観念の罠から 人びとよ まぬかれよとまでは言った。

 その結果は 《神の想定 または 想定なる神》を 知らないからには よけいに人びとの目から――つまり心の目からは――見えなくさせた。


 つまり 何にも変わっていません。 
 試行錯誤や模索なる営為が とうといという見方を学問の徒や良心のひとに植えつけたかも分かりませんが そこまでです。かえって その中途半端こそがあがめられなければならないと言うまでに 相対主義を過剰に・なおあらたなシュウキョウとして植えつけたかも分かりません。

 と言っても ニーチェの言うことは みんな屁の河童です。