caguirofie

哲学いろいろ

【Q:最後の審判における「復活」について】

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7149558.html

Q:キリスト教においては,最後の審判時には,

死んだ善人? は生前の姿に復活すると言われています。
素朴な疑問なのですが,次の点がわかりません。


(1)その復活する姿(肉体)は,死んだ直後のものなのか,
本人が望んだ年齢によるものか,
それともそもそも復活というものは観念的なもので,肉体的なものは含まないのか。


(2)復活する前の死者は,どこにいたのか?
(天国であれば,別に復活する必要はないし)


細かい解釈はさておきキリスト教における一般論をお教えいただれば幸いです。

A1:こんにちは。


 ★ それともそもそも復活というものは観念的なもので,肉体的なものは含ま
ないのか。
 ☆ たとえば旧約聖書のほうでは 《あたらしい天とあたらしい地》と書いて
あります。天は 質問者の言う《観念》かも知れませんが 空ととれば 地とと
もに 経験世界のものです。つまり この世界が すべてあたらしいかたちにな
ると言うのでしょう。

 肉体と精神と そしてそれ以上のものがあるかないか・これをナゾもしくは霊
としますと おそらくナゾの霊は 永遠でありましょうから いま現在の人間と
しての《身と心》があたらしいものになる。こういう意味に 取ろうと思えば取
り得ます。


 すなわち 《肉体的なもの》も あたらしい肉になって復活するという意味で
す。その肉にそなわった心もあたらしくされるでしょう。


 ちなみに《観念》は どうでもよいでしょう。心(精神)で認識したものの残
り物のようなものですから。



 けれども 聖書とて ただの言葉による表現です。それ以上にまさに表現(言
い回し)の問題としてあって その問題というのは それを読んで人はいかに 
上に触れましたナゾの霊――つまり神のことですが――に思いをいたすか。つま
りは ナゾの霊については 人間はついぞその思いによってつかまえることは出
来ませんから その神への思いが いかに到り得ないか? これを知り思いをめ
ぐらすことになるか。このために 文字が連ねられています。


 ★ 最後の審判 / 善人 / 死者の復活 / 天国・地獄・・・
 ☆ これらは まったく物語として表現されているものです。何のために? 
それはすでに触れました。




 ただ 感想だけとして言えば――つまり哲学になっていない段階の思いとして
言ってよければ―― いかに物語としてとは言え イエスなる人間は 神なるキ
リストとして存在しそれとして 十字架上の死を死んだ と同時に 復活したと
言うからには・しかもそれについて人びとが思いをめぐらし続けているというか
らには 何らかのかたちにおいて《身と心があたらしくなること》もしくは《人
間(現実)が変わるということ》 これは 起こり得るという予感がします。


 前史から後史へとヒトは変わる。


 自然の身体で生まれて 霊の身体に復活する。そこにおいて肉体と精神も衣替
えをした姿を見せる というのではないでしょうか?