caguirofie

哲学いろいろ

概念とは

きちんとした説明を自分にも得ておこうと思って。

西欧諸語では:

○ (英 / 仏) concept : 概念

☆ って言うわけですが

○ conception : 妊娠・受胎

☆ ということばと同じ語源ですよね。
《ともに・しっかりと( con- )つかまえる( -cep- )》という合成らしい。
《お腹の大きいさま( pregnant )》をいうより《受胎のさま》を言ってい
るのでしょうね。

だとすれば マタニティ・ドレスを着た婦人を見れば あっあれは ぶんな
ぐられて瘤が出来たのではなく 赤ちゃんなんだなと《わが頭の中でそのイ
メージとともにその意味をつかむ》ことになります。

これが 《受胎⇒妊娠》という概念で その事態を認識したことなのでしょ
うね。そのサマを見て その知覚の像(イメージ)から言葉による把握をお
こなう。



その《受胎・妊娠》という言葉とその意味だけでは まだ《概念》を説明し
たことにならないとすれば それは 概念としては ほかの女性やあるいは
動物についてもその言葉をあてはめることができる。つまり そういった普
遍性を持つ。ということなのでしょう。

でも 言葉だけでもその意味内容はすでに――概念と言わなくても―― 一
般的にほかの同類のもの・ことについて当てはめることが出来るとは思うの
ですが。



《かみ》は 神鳴り(雷)と言う場合 そのイメージは《神がゴロゴロと鳴
っている》というふうに捉えたわけなのだと思うのですが ところがこの神
の場合は そのサマとしては実際には知覚されていません。

神のシルシであるだろうという想定で 神が鳴っていると表現している。

見ているのは 稲光であり 聞いているのは ゴロゴロという音です。どこ
にも神は見えていません。

神は イメージやサマと直接には対応していない。
しかも 《神懸かり》といったように見えているサマだけで どこかからナ
ゾの神という言葉を持って来て使っている。

神は 言葉としては概念であるが その正体は 分からない。概念をも超え
ている。と言えると思います。

No.7

★ (№3お礼欄) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
月や太陽の存在はたいていの人は見ることができるから、疑うこともありませ
んが“神”ともなると姿かたちという視覚はもちろん、聴覚にも臭覚にも触覚に
も“現れて”きません。

存在、は頭の中だけだ。
それを概念、というんですね。

その概念を“言葉”にするから、言葉としての“神”、これも概念であると。
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☆ たとえば《お化け》という言葉 これもひとつの概念です。

《人や動物などなど何者についても実際にいないかたちに変形し想像してみた
もの》といった意味があるなら 概念です。

ただし 実際に経験じょうのものではない場合・つまり《存在、は頭の中だ
けだ》という場合には ただの想像物であり一般に《観念》と言います。

ブッダ》は 《目覚める》という動詞の過去分詞として《目覚めた〔もの〕》
という言葉であり概念です。

もしこの場合 《めざめた》という意味を広げて抽象的な意味つまりたとえば
《この上無き知恵のさとりを得た》というふうに意味をつくり成すなら・そし
て そのような意味に対応する経験存在はいないとすれば その言葉≒概念は
《観念》となります。




★ (補足欄) 物事を理解する上でその事に“与える”概念、があるように思
いましたが
☆ というのは いわゆる造語のことでしょう。あたらしい概念を表わすため
に新語をつくります。もしくは旧語を新しい意味に つくり替えます。

対応するものごとがあるなら 必ずしも《観念》ではないとなります。

そして 《かみ》なる語は 対応する経験事物がないのですが しかもそのと
き明らかにもともと《経験世界を超えた場ないしチカラ》として想定している
と言っているのですから 《観念》にも入らない。ことになります。


言葉の分類:

概念:経験事物。またはそれと対応している。:馬・羽・人
観念:《存在はあたまの中だけ》の想像物:ペガサス・ケンタウロスイデア
シルシ:《それが指し示すものは 経験事物でも想像物でもない》:神・無限

シルシも観念も それらが言葉であるかぎり何らかの意味を持つとき 概念で
もある。

(ちょっと急ごしらえですが)。