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哲学いろいろ

あいまいな日本のわたし(中)

――大岡信の詩を出汁にして――


 かれ(大岡信)は 数え切れない子供をかかえて それらを育てることから出発した。そして 引用の一節にあるように その挫折を経験することからの出発となる。


 多義の中で その或る者は捨て子にし 或る者は養子に出し また或る者は限りない愛情をもって殺し あるいは 誰もが多かれ少なかれ経験するこの挫折に直面して振り返るとき それを まさにその多義性の故にであったと――つまり《夢の過剰》ゆえにだったと――概括することから出発する。しかも ふたたび その昔の子供を わが手にひきとり あるときは憎み あるときは大切に育てそしてその中で 最後まで生き残るわが子をじっと見つめつづけるようにして 詩を生みつづけてきたのだと思われる。

  

 自分の書く文章の中でよく大岡が引用する句は Paul Clée の


  《見えないものを見えるようにする》


であり 別には


  《詩は青春の再構成である》


であるが このことは 以上のことと無関係ではないように思われるのである。
 このような事情は 敗戦の年に二十歳に達していない青年であったという大岡らの世代に めづらしいことではないようだ。 


 生活してゆく上で絶えず曖昧である事件に関わらざるを得ないのは 一般に八百万の神々とともに育つ日本人なら 多かれ少なかれ経験するところである。これは 特に西洋の衝撃について書いた漱石の文章以来 明治憲法を放棄した現代にまでつづく 決して解決されてはいない事柄である。


 * あるいは 上古の時代以降 朝鮮・満州民族とともに 漢民族との・ないし印度民族(その文化)との出会いの中に育った日本人のうちには 両義性として少なからず生きつづけている。そのような 幸か不幸か 宿命的なことがらであるだろう。
 けれども ことの実際的な側面において 現代に生きる同時代人としては この大岡らの世代の体験は 程度と質ともに これほど典型的なものはまづ見当たらないとも言いうる。このとき かれらの体験は そして 詩文は なお同時代人でもあるわれらすべての者の問題として 語りかけてくる余地が残されている。




  街のしめりが 人の心に向日葵ではなく 苔を育てた。
  苔の上にガラスが散る。
  血が流れる。
  静寂な夜 フラスコから水が溢れて苔を濡らす。
  それは 血の上澄みなのだ。
    (《青春》)


といった両義性のつねに新しい連続的な展開が わたしたちの前にある。要するに 表と裏 明と暗である。
 ここで先を急ぐのだが その最近の展開を挙げよう。たとえば次である。


  声はいつも地球の外へ放たれた
  でもぼくはきみのとなりにゐた
  きみはぼくのとなりだった
  ・・・
  ぼくはひとり きみのいのちを生きてゐた
   (《きみはぼくのとなりだった》1977)


 これは 《みつかった小さな詩》という副題があり 創作の時として 最後に (1952〜1976.11)と作者自身が表明しているものからである。また大岡信の作品をさらに引く。


  きみは描けるといふのかい ありったけの
  絵具をつかへばこの空に 絵が
  きみは乾かすことができるといふの ありったけの
  枯草を集めて燃やせば この濁流が
  おおきみは照らせるのかい ありったけの
  夕焼け雲をころがせば このぼくの夜の芯が
  ・・・
  美しい娘 きみはどこにもゐないから
  ぼくはきみとどこでもいっしょに暮らしてゐるよ
  美しい娘 ぼくにきみが見えるやうには
  きみにぼくが見えないので ぼくにはきみがいっそうよく見えるのですよ
    (《馬具をつけた美少女》1977)


 わたしは 《いまだ生まれぬ赤子を わが子であるかのようにして あたかもシシュフォスの石のように終わりの来ることなく 育てていた》と書いた。しかしこれは 両義性じたいの問題においてであると 実は限定しなければならない。なぜなら 詩人がこの両義性を展開するのは 当然のことながら 詩人としての資格においてである。これは 社会的な一つの役割のことである。


 つまり石は 積み上げても積み上げても 崩れ転がり落ちてゆくが それは つねに 或る不動の位置にあって じっとその事態を見つめるという《詩人》がそこにいるからである。或る不動というのは 不動であろうと努めるかたちでもあるが また社会とその役割分担が 向こうのほうから 詩人にそうさせるところの不動といった位置づけでもある。


 この詩人は しかし 西洋風に表現するならば かれはムーサイの女神にまみえているという恰好である。この詩神は 全体なる多義の系の中にどっかりと腰をおろしていてこそ 詩人のその《神へのまみえ》が観念共同されうるというしろものである。しかし詩人・大岡は みづから この多義の系なる共同観念をうたって描く。わるく言うと いわば繭の中で 堂々巡りのように。
(つづく)