caguirofie

哲学いろいろ

あいまいさからのエクソダス(7)

〔または 両義性の岐路に立っての選択 / 多義の系の中からの出発 / 共同主観の共同観念に対する主導性 / 《あいまいさ》の中の〈はっきりしたところ〉と〈あいまいなところ〉と / あいまいさの美学〕
 ――大岡信『日本古典詩人論のための序章――万葉集の見方について』(1960)に触れて――




 大岡の理論にかんしては 初めから述べきたった (A)ないし(B)の両義性およびその多義の構造への視点とともに このような治外法権の領土があるように思われる。これをわれわれは認めないものである。また このような事情であることによって 飛躍したわれわれの結論の提示を為したのである。わたしは 《万葉集の見方》一点にかんして 大岡の理論は まちがいであると明かそうとした。


 なお繰り返し述べるならば 《万葉集》ないし万葉歌人たちは われわれとのあいだにも 両義性の岐点が成立すると思われ 次にここからの取捨選択が しかし 必ずしも二者択一のそれではない両義性の情況 情況として両義性 これが 現代の地点に立って全体として形作られ われわれはこれと対面するというものであるはずだ。



  かれらの遊びが実際に集団的基盤において生まれ 守られていたことや か
  れらが倫理的徳目から完全に自由な場所で その後の日本の伝統詩がついに強
  力にうけつぐことのできなかった 言葉だけで形造られる世界をきずきあげ得
  ていたことを確認


することは 悪い一義性をかたちづくる。もしくは 幻想的な〔治外法権の〕一義性を――超現実に たしかにシュールレアリスティックに――かたちづくる。そのようなことはあっても この想像(またその力)は 生産力ではない。
 なぜなら 両義性の問題がそこでは抜け落ちてしまっているからである。(大岡は 《曖昧さの美学》を言い 最後まで追究しないうらみがある)。《かれらが倫理的徳目から完全に自由な場所》にいたとは ほんとうには思わないが 万葉詩人たち(その特に後期)は その《遊びが実際に集団的基盤において生まれ 守られていた》かも知れないとは思う。
 そのような万葉後期の成熟ないしむしろ頽廃 その一世界が あったかも知れないとは思う。この社会的な属性は 現代にも ある種 部分的にしろ――日本の社会に限らず――存在すると言ってよい。また逆に そうでない一般に労働の行為につながった生活の部分も 少なくとも現代には存在するであろう。
 この両義性ひとつ取り上げても 仮りに一時期 そのような特殊な万葉〔後期〕詩人たちの時代があったにしても 言わばそのような《遊ぶに適した広いグラウンドを提供する》かに見えるエア・ポケットを見るべきなのではなく その全体つまり多義の系を あきらかに 見るべきなのである。



 われわれは 次のように結論してよい。


 桑原武夫は 西欧近代市民の十全なる合理主義(それは もちろん 西欧市民のスサノヲイスムに発し キャピタリスムを興し それに伴なって展開したものである)という実はアマテラシスム(つまり 象徴主義である。理性・合理を象徴とするのである)に拠って ひとつの意見を語った。江藤淳は 多義の系を あくまで日本の社会としての土壌において捉え これを見失うことなく その中でのアマテラシスムに拠った。旧い象徴主義を衣替えさせてゆくべき現実動態的な新しいアマテラシスムを掲げる。


 大岡信は このどちらをも排した。


 しかしその象徴主義は 言わばこの多義の系なる全体を超えたところにそのひとつの象徴を求め シュールレアリスムなるアマテラシスムをかたちづくり これに拠るかのごとくである。


 シュールレアリスムは 西欧市民のあいだで――たとい絵画の世界を除いても―― そう長くは続かなかったと言うべきであろう。
 しかし 日本の社会に伝統と言うほど根強い象徴主義=アマテラシスムの衣を纏った日本的なシュールレアリスムは なお現代の問題であると思われ 一方で 桑原理論は それじたいとしては必ずしも発展させられることはなかったが 他方で 江藤の現実主義は 大岡らのシュールレアリスト・アマテラシスムの衣をまとってたようにして みづからを保守していると言える。われわれの問題は このような構図にでも少しはかいま見られる情況にその一淵源があると言う。


 ひとまづ 《両義性の分岐点に立っての取捨選択》の議論を閉じよう。
(おわり)