caguirofie

哲学いろいろ

#14

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917
2010-10-10 - caguirofie101010よりのつづき)


 いま この小論では 《西欧とその倫理》については直接あつかっていないのであるから この議論は措かねばらない。しかし《万葉詩人たちの言葉の世界》にかんして 大岡の結論は そこでは それを過去の世界としてのみ捉え これに留めようとする観点が濃い。と言わねばならない。
 ということは こうである。大岡は 上に触れたような《西欧》の倫理か没倫理かの両義性について ――もちろんそのかれの社会的な土壌としては 日本人としてだが――自己に問いかける観点を持たないというのではなく そうではなく そのような いくつかの両義性から成る多義の系に直面して おそらく――おそらくわたしの見るところでは―― この多義の系に一つの非武装中立地帯( no man's land )とも言うべき穴を空けている。 


  * ちなみに かれは 実際――ここでは述べないが―― サンボリスムから
   シュルレアリスムの詩風へと移行している。だから西欧の詩論を持たないと
   は言えず また或る種の仕方で 誰よりもそれに通じている詩人であるとさ
   え言われる。


 ということは この多義の系に属さない或る領域としての外の一世界 これを形作って これを見つめている。もしくは そこで言葉の表わす真の意味で《遊び》を持っている。そしてここでは 両義性の問題が決して問われ得ないといったような治外法権を想定しているようなのである。このいささか礼を失したような断言が 先の飛躍の意図的な部分にあたると思う。こう言い切ってよいように思う。


  (つづく→2010-10-12 - caguirofie101012)