caguirofie

哲学いろいろ

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nyan_nyanko 2015/03/10 00:45

 こんばんは

 唱歌等のリズム、楽しく拝見させていただきました。



[神楽歌]
成立:宮中のものは起源は非常に古い。ただ、現在伝わるものは,平安時代中期頃に歌詞,譜ともに改修されたものであ
言葉のリズム:歌詞は概ね31字
音楽様式:調査中


曲例:榊


さかきばの かをかぐはしみ 
とめくれば やそうしびとぞ

かみがきの みむろのやまの 
さかきばは かみのみまえに

しげりありにけり しげりありにけり

曲例:千歳


せんざい せんざい 
せんざいや ちとせのせんざいや

まんざい まんざい 
まんざいや よろづよのまんざいや

なお せんざい なお まんざい

曲例:朝倉

さくらや きのまろどのにや 
わがをれば わがをれば 
のりをしつつや ゆくやたれ


[催馬楽]
成立:奈良時代から平安時代初期にかけて
言葉のリズム:規則性はあまり見られない
音楽様式:アジア大陸から伝来した唐楽,高麗楽 (こまがく) 風の旋律に日本の民謡や童謡の歌詞をあてはめたものが多い。更衣:2/4;伊勢海:4/4;我門:4/4


[今様]
成立:平安時代中期頃
言葉のリズム:五・七調
音楽様式:越天楽今様のようなシラブル型;長生殿のようなメリスマ型をも含む。曲想は比較的自由であった模様。


[和讃]
成立:平安時代中期頃
言葉のリズム:五・七調
音楽様式:創作当時流行していた旋律を付して朗唱する。



 おそらくなのですが、
 五・七調が定着したのは、平安中期頃だと考えられました。遣唐使の停止等のため、自文化にこだわった等がその理由かもしれません。

bragelone
 あっ これは うたとしては 万葉のころから――おそくとも天智天皇天武天皇額田王柿本人麻呂らの飛鳥時代(7世紀)に――うたわれていて おおむね五七調です。撰修じたいは 8世紀ですよね。
 万葉巻頭の一番歌は 雄略天皇の歌と成っています。ほぼこれだけ古くて・しかも五七調ではなくて 500年より少し前として設定したのだと思われます。
 もっともこれは 撰修のときにふるい歌を取り上げておくといったような意図からか 挙げられているのであって じっさいに雄略天皇がうたったかどうかは まったく分からない。

 おっしゃるのは 音楽として曲として成り立って行くのが そのころなのでしょうか。


 さらに、

> (お) この五文字の延ばしは うたをつくるときから すでにそのように拍子を採ったのだろうか?

 このご質問につきましては、現時点では、何とも申し上げられないのですが、

1 曲があり、そこに歌詞(五・七)を付けていった。
2 歌詞(五・七)があり、そこに曲を付していった。

 の2通りの考え方がございます。


 当時では、曲を作るもしくは楽器で演奏することは今以上に敷居が高かったものと思われます。このことから、”曲があり、そこに歌詞(五・七)を付けていった”と思われました(自信はございません)。



 駄文失礼致しました。

bragelone 2015/03/10 08:21

 お早うございます。


 しかし いろいろですねぇ。 
 つまり特には 催馬楽が唐楽や高麗楽を採り入れておりその影響が大きいとすれば どうなるか? 一筋縄では解けないように思われます。


 その影響もかかわっているのでしょうか 要するに歌詞が先か曲が先かの問題もあるようですね。


 歌詞が先のものとして そこから五七調なる定型が出来て来たとは思っていますが。
 ただし そのような生活の場において歌をつくるときすでに抑揚があってリズムが出来ていて 四拍子が主なものであった。とすれば・・・? といった問題もあるでしょうし。


 二拍一組は およそ早くから 確立したんでしょうかねぇ。


 ★ ”曲があり、そこに歌詞(五・七)を付けていった”と思われました
 ☆ これはおそらくいわゆる宮中ないし貴族のあいだでのことではないかと考えられます。
 けれども 楽器がなくても 人びと一般のあいだでも つくった歌に節をつけて歌うことは出来ます。
 ですからそこで 四拍子なる主流のリズムに合わせてこそ 歌詞が五七調という定型に成って行ったというのか? が焦点になると思うのです。

ねむりねこ 2015/03/11 15:09

七七調というのもあるんですよ。


最も代表的例として
相川音頭がある。



歌詞は
http://senshoan.main.jp/minyou/aikawa-word.htm

bragelone

うわぁ なが。初段から五段目まである。
初段は 最後の一句の《なかりけれ》のみが 五文字。あとは ぜんぶ七文字。ひゃああっ。
けっきょく何段をうたっているのか 分からなかった。・・・

相川音頭〜源平軍談〜 歌詞


宇治川先陣 佐々木の功名】 初 段


嘉肴あれども 食らわずしては(ハイハイハイ)  
酸いも甘いも その味知らず(ハイハイハイ)
武勇ありても 治まる世には(ハイハイハイ)  
忠も義心も その聞えなし(ハイハイハイ) ※以下、掛け声同様


ここにいにしえ 元暦の頃  旭将軍 木曾義仲
四方(よも)にその名を 照り輝きて  野辺の草木も 靡かぬはなし
されば威勢に 驕(おご)りが添いて  日々に悪逆 いや憎しければ
木曾が逆徒を 討ち鎮めよと  綸旨(りんし)院宣(いんぜん) 蒙りたれば
お受け申して 頼朝公は  時を移さば 悪しかりなんと
蒲の範頼 大手へまわし  九郎義経 搦手(からめて)よりも
二万五千騎 二手に分かる  時に義経 下知(げじ)して曰く
佐々木梶原 この両人は  宇治の川越え 先陣せよと
下知を蒙り すわわれ一と  進む心は 咲く花の春
頃は睦月の 早末つかた  四方の山々 長閑(のど)けくなりて
川のほとりは 柳の糸の  枝を侵(した)せる 雪代水に
源太景季(かげすえ) 先陣をして  末の世までも 名を残さんと
君の賜いし 磨墨(するすみ)という  馬にうち乗り 駆け出しければ
後に続いて 佐々木の四郎  馬におとらぬ 池月んれば
いでや源太に 乗り勝たんとて  扇開いて うち招きつつ
いかに梶原景季殿と  呼べば源太は 誰なるらんと
思うおりしも 佐々木が曰く  馬の腹帯(はらび)の のび候ぞ
鞍をかえされ 怪我召さるなと  聞いて景季 そはあやうしと
口に弓弦(ゆんづる) ひっくわえつつ  馬の腹帯に 諸手をかけて
ずっっと揺りあげ 締めかけるまに  佐々木得たりと うちよろこんで
馬にひと鞭 はっしとあてて  先の源太に 乗り越えつつも
川にのぞみて 深みへ入れば  水の底には 大綱小綱
綱のごとくに 引き張り廻し  馬の足並 あやうく見えし
川の向こうは 逆茂木(さかもぎ)高く  鎧(よろ)うたる武者 六千ばかり
川を渡さば 射落とすべしと  鏃(やじり)揃えて 待ちかけいたり
佐々木もとより 勇士の誉  末の世までも 名も高綱は
宇治の川瀬の 深みに張りし  綱を残らず 切り流しつつ
馬を泳がせ 向こうの岸へ  さっと駆けつけ 大音(だいおん)あげて
宇多の天皇 九代の後の  近江源氏の その嫡流
われは佐々木の 高綱なりと  蜘蛛手(くもで)加久縄(かぐなわ) また十文字
敵の陣中 人なきごとく  斬って廻りし その勢いに
敵も味方も 目を驚かし  褒めぬ者こそ なかりけれ


口説き節って奴。
http://www.weblio.jp/content/%E5%8F%A3%E8%AA%AC%E7%AF%80

くどきぶし [0] 【口説節】三省堂 大辞林

1.
民謡で七・七・七・七または七・五・七・五の四句を一単位にした節を繰り返してうたっていく長編の物語唄。
「相川音頭」「八木節」などがその代表例。
和讃や御詠歌から出たと考えられる。口説唄。口説。
2.
俗曲の一。瞽女(ごぜ)などが,三味線にあわせて,あわれな調子でうたうもの。
鈴木主水(もんど)・八百屋お七など心中や情話が主。

で、
相川音頭は、2拍子なのか、3拍子なのか、2拍子と3拍子が混ざっているのか、ちょっと分かり辛い♪
聞いていて、3拍子に聞こえる箇所が出てくる。
一番、分かりやすいのが、「ハイハイハイ」の部分。
2拍子の三味線も、この部分は「ぺんぺんぺん」と3拍を刻む。
しかも、
これが延々と同じ形で、変化することなく、ひたすら繰り返されるのだから、
ボレロの比じゃ〜ない♪


たぶん、
Tastenkastenさんが音楽的な分析をしてくれるに違いない♪
期待しております。


相川音頭の楽譜をネットで調べたんですけれど、ちょっと見つからなかった。
あったとしても、邦楽の楽譜なので、私には読めないけれど・・・。

nyan_nyanko 2015/03/11 22:58

 こんばんは

 まず、音楽・謡曲として曲として五・七調が成立したのが、平安中期と考えました。


> つまり特には 催馬楽が唐楽や高麗楽を採り入れておりその影響が大きいとすれば どうなるか? 一筋縄では解けないように思われます。


 はい。仰るとおりかと思われます。


> その影響もかかわっているのでしょうか 要するに歌詞が先か曲が先かの問題もあるようですね。
> 歌詞が先のものとして そこから五七調なる定型が出来て来たとは思っていますが。
 ただし そのような生活の場において歌をつくるときすでに抑揚があってリズムが出来ていて 四拍子が主なものであった。とすれば・・・? といった問題もあるでしょうし。


 はい。曲に歌詞をつけたのか? それとも、逆に、歌詞に曲を付けたのか? が疑問に思いました。
 
 案外、ケースバイケースのかもしれませんが・・・



> ★ ”曲があり、そこに歌詞(五・七)を付けていった”と思われました
 ☆ これはおそらくいわゆる宮中ないし貴族のあいだでのことではないかと考えられます。
 けれども 楽器がなくても 人びと一般のあいだでも つくった歌に節をつけて歌うことは出来ます。
 ですからそこで 四拍子なる主流のリズムに合わせてこそ 歌詞が五七調という定型に成って行ったというのか? が焦点になると思うのです。


・四拍子と五七調との相性はとてもよい、

 と思われました。また、


・あの独特なゆったりとしたテンポから(テンポがゆったりしたものだけだったのかどうかは分かりません)、四拍子が最も馴染む


 とも思われました。

 やはり、曲(歌詞と楽譜・音源)を時系列的に並べて解析するしか他にない、ように思えてきました。



 それでは、失礼させていただきます。

bragelone

 ★ やはり、曲(歌詞と楽譜・音源)を時系列的に並べて解析するしか他にない、ように思えてきました。
 ☆ ごもっとも。であると同時に 膨大な資料の山を相手にすることになるでしょうね。


 ★ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
  ・四拍子と五七調との相性はとてもよい、

 と思われました。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ☆ これについてですが なおまだ未練のようなものがくすぶっていまして 次のような見方を捨てきれていません。
 すなわち 四拍子は それ自体が われわれ生活のリズムとしてまた音楽のそれとしても 言わば人間に相性がよいことが まづあります。
 その次に この四拍子は 五七調だけではなく 三七調や四七調あるいは六七調とも相性がよい。または 相性がよいように 一文字を延ばし・縮ませ また休みを入れて 四拍子につくる。
 となると 四拍子ゆえに 五七調が出来たという見方は なおまだ必然性が部分的なものにとどまる。ように思われるのです。
 まちがっていましょうか。

ねむりねこ 2015/03/12 17:12

古事記の久米歌などを見ると、6音が出てきたりするんですよね。
だから、古代の歌謡は一概に57や75調ということはできないのだろう。おそらく多様であった。それが時代が下るにつれ、57や75に収斂していった考えるべきなのであろう。


http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/jinmu.html

宇陀(うだ)の 高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る  7(3+4) 6
我が待つや 鴫は障(さや)らず              5  7(3+4)
いすくはし 鯨障(さや)る                5  6(3+3)
前妻(こなみ)が 菜乞はさば               4  5
立(たち)そばの 実の無けくを こきしひゑね       4  6  6
後妻(うはなり)が 菜乞はさば              5  5
いちさかき 実の大(おほ)けくを こきだひゑね      5  7  6
ええ しやこしや こはいのごふぞ             2  5  〔7*1
ああ しやこしや こはあざわらふぞ            2  5  〔8〕

みつみつし 久米の子等が                 5  6
粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと)    5  7
そ根が茎(もと)                     5
そ根芽(ねめ)繋(つなぎ)て 撃ちてしやまむ       7  7

みつみつし 久米の子等が                 5  6
垣下(かきもと)に 植ゑし椒(はじかみ)         5  7
口疼(ひび)く                      5
我(われ)は忘れじ 撃ちてしやまむ            7  7


そして、
5というのは、日本語の構造と密接な関係があるのだろう。


音節という言葉がいいのかどうかは分かりませんが、
基本的に、日本語の名詞や動詞の最小音節は2音ですよね。
「こそあど」や「わ、な」というような代名詞などは一音ですけれども、
一般名詞や動詞は2音が最小になる。


ですから、日本語のSVの最小音節構造は、
名詞(2)+ 助詞(1)+動詞(2)= 5音節
になる。


日本語の場合、
単なるものの名の羅列ならばともかく、意味のある内容を伝えようとすれば、5音にならなければならないのでしょう。


さらに、名詞と名詞の関係を説明するためにも、助詞が必要でしょうから、
名詞(2)+助詞(1)+名詞(2)=5
となる。


であるから、
5というのは、日本語の構造からの必然なのだろう。
そして、7は、この5の拡大なんであろう。
5が延々と繰り返すのでは、歌謡としては単調すぎますから。
この変化として、6や7が古代にはあったんでしょう。
それが、おそらく、古事記の中でも最古層に属するであろう《久米歌》に残っているんじゃあるまいか♪


日本語、和語には2音の名詞、動詞が多いですし。
こんなことをチョックラ考えております。

ねむりねこ 2015/03/12 17:16

主語抜きSVOでも5音になるんでしょう。
主語の2音をつければ、7音になる。
如何でしょう?

bragelone

 久米歌を忘れていました。万葉集のことばかり考えていました。

 これら古事記のふるい歌についてさらに考えてみます。


 わたしは 大野晋にしたがって 体言〔+助詞(格活用)〕だけを考えていました。
 つまりそれによると 体言は 二音か三音が圧倒的に多い。そして助詞は 一音が多い。
 したがって 2+1=3 か 3+1=4 かに一つの語句が成る。

 用言は考えていないのですが 助詞(活用格)を省く場合もあるので――《口疼(ひび)く。 / 鴫罠(しぎわな)張る。 / 菜乞はさば / そ根芽(ねめ)繋(つなぎ)て》―― 語句のひとまとまりは:
 2+3=5 か 3+4=7 (臭韮(かみら)一茎(ひともと))かに成る場合が多いと単純にですが見たのでした。用言はその定型に合わせるというかたちですね。


 これは もっと気合いを入れて取り組まねばならないようです。
 取りあえずでした。

nyan_nyanko 2015/03/12 21:32

 こんばんは



 適当にですが、検索しておりますと、以下の書籍が見つかりました。未読ですので、詳細はわからないのですが、


 ”七五調が、日本人独自の内在的なリズム=四拍子に立脚する”との仮説を立てているようです。


別宮 貞徳著「日本語のリズム ─四拍子文化論」筑摩書房

「「色は匂へど 散りぬるを」「夏草やつはものどもが 夢の跡」―日本語の韻文の基本が、古来培われた七五調というのはご存じのとおり。五・七・五とくれば交通標語でもピシッと決まって聞こえる。しかし、声に出して心地よく耳にしっくりくるこの七五調の基盤には、ことばの切れ目と間から生まれる4拍子のリズムがあったのだ。日本人の内在律として生き続けてきたこのリズムを見つけ出し、「心地よさ」から日本語のアイデンティティーを探る、スリリングな日本語論。」
引用:筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480089427/

 また、以下にその概略が載せられていました。

http://kotonohaan.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-4667.html
http://kotonohaan.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-4e72.html




> ☆ これについてですが なおまだ未練のようなものがくすぶっていまして 次のような見方を捨てきれていません。
 すなわち 四拍子は それ自体が われわれ生活のリズムとしてまた音楽のそれとしても 言わば人間に相性がよいことが まづあります。


 別宮さんの説によりますと、”日本人生来のリズムが四拍子”なのだそうですが・・・



> その次に この四拍子は 五七調だけではなく 三七調や四七調あるいは六七調とも相性がよい。または 相性がよいように 一文字を延ばし・縮ませ また休みを入れて 四拍子につくる。
 となると 四拍子ゆえに 五七調が出来たという見方は なおまだ必然性が部分的なものにとどまる。ように思われるのです。
 まちがっていましょうか。


 以下の学会発表論文では、


 ”「7・5 調>5・7 調>6・6 調>4・8 調、8・4 調」の順にリズムが良いと評定される傾向にある” のだそうです。


渡部 涼子、小磯花絵 「五七調・七五調のリズム知覚に関する予備的研究」
言語処理学会 第20回年次大会 発表論文集 (2014年3月)
http://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2014/pdf_dir/P5-18.pdf



 どうもお粗末さまでした。

bragelone

 ★ ”「7・5 調 > 5・7 調 > 6・6 調 > 4・8 調、8・4 調」の順にリズムが良いと評定される傾向にある” のだそうです。
 ☆ あっ。これは おもしろそうですね。 
 ひとつには 五七調が定型のはじめだったと思われるのに対して 七五調が確立され 《リズムのよさ》では 五七調をしのぐという見方があるということ。


 もうひとつには やはり五と七のほかに 六六調や四八調が五と七とから成る調子と比べられるものとして挙がっているということです。
 そして 三三調や三七調や七七調までもがあるとつけ添えられてよいと思います。



 すなわち 四拍子なるリズムが 日本の詩歌における文字数にかんして五七調ないし七五調を主流に押し上げたものと思われるとき ところが 四拍子ゆえに歌は 五七調が生まれたのかとなると まだ言い切れないのではないか? これだと思われます。
 さらに焦点は絞られます。すなわち 詩歌の定型としては 五七ないし七五の調子を四拍子がかたちづくったと言えるかも知れない。という問題です。
 その心は 定型となる以前に五七調が――ほかの四七調とか六六調とかとならんで――出来ていたとしたら それは おそらく四拍子がおもなチカラとなってはたらいて作ったのではないであろう。という問題です。

nyan_nyanko 2015/03/12 23:29

 こんばんは

 ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。

 ”日本文化のよろづブログ”の方に以下の記述が見られました。

「五音」、つまり「短い句」について

”四拍子ということを考えると、一句の長さを三音節や四音節で片付けることはできない。あまりに短すぎる―逆にいえば、休みが長くなりすぎるからである。それなら、いちばんできやすい組み合わせは五音で、短い句が五音になるのは、確率的にも当然のことにすぎない。”

「七音」、つまり「長い句」について
”短い句が五音であるのに対し、長い句が六音では、あまりに差がなさすぎるし、五音六音のくりかえしはむしろ三拍子にとらえたくなる(四拍子にするためには、全部の句にまるまる一拍の休みを置かなければならない)。また、長い句が八音では、句の切れ目にもまったく休みを置くことができず、ゆとりがなくなる。とすると、基本的には、長い句は七音が最適ということになる。”


 となりますと、

> 四拍子ゆえに歌は 五七調が生まれたのかとなると まだ言い切れないのではないか?


 四拍子であるがために、「短い句」として「五」が、そして「長い句」として「七」が、その適度な長さ(休符も含みます)であるが故に、選ばれた可能性が高いと思われました。



> 詩歌の定型としては 五七ないし七五の調子を四拍子がかたちづくったと言えるかも知れない。という問題です。


 元来、日本人には五七ないし七五がリズム的に好まれるところがあった。さらに四拍子が後押しした可能性は・・・ あるように思えました。



> その心は 定型となる以前に五七調が――ほかの四七調とか六六調とかとならんで――出来ていたとしたら それは おそらく四拍子がおもなチカラとなってはたらいて作ったのではないであろう。という問題です。


 何かのきっかけで、四拍子のリズムがもてはやされることになった(理由は分かりませんが、スローテンポからは四拍子しか考えにくい、と思われました)。そして、この四拍子が”チカラとなってはたらいた”ことはあり得るように思えました。



 すみません。このぐらいしか思い浮かびませんでした・・・

bragelone

 ええっとですね。
 焦点をふたつにしぼって挙げるとすると:
(1) 音楽としてだけではなく生活のリズムとして四拍子が――たとえば歩くテンポとして二拍一組が二つ集まったとして――なじみやすく基調であったとしたら 歌を詠む(相聞が多いと思われます)ときにも 自然とそのリズムに合った定型として五文字と七文字の組み合わせが出来て来たと考えられる。

(2) その反論として:
 (あ) 三文字や四文字だと短すぎるというのは そのとき四拍子をつくると休止が長くなりすぎるのだという意味だと説くごとくすでに音楽の作品としてつくる場合を前提にしてしまっていないか?

 (い) つまりは 短い句と長い句とのひとまとまりという前提も 早すぎるのではないか? 歩くテンポの二拍一組を基礎とすれば 四四や六六あるいは休みを入れたいときには三七や七七といった二つの句の組み合わせもあり得るはずだ。

 (う) 五文字や七文字という一句のまとまりが出来るのは とうぜんのごとくながら 日本語が 一音節をつくる形態素を 一子音+一母音(いわゆる C+V )で作っているからである。またそれゆえ ふつうは一音の一文字を 曲として仕上げるときには 延ばしと縮ませで拍数をととのえることが いわば自由自在に出来る。

 (え) 言いかえると 生活の中で歌を詠むときには テンポは伴なっていても さすがに一文字を延ばしたり縮ませたりはしないものと思われる。

 (お) ただし 歌の起こりが 歌垣――相聞歌ないし求愛のうた――でうたうことにありとなると やはりその時には伸ばしてうたうという事例が 中国の雲南省昆明などに住む少数民族ではいまも習俗として残されているとか(下記の鳥越憲三郎が言い出して見つけたもののようです)。けれども 一拍や二拍の延ばしでは効かないので それもどうかと。でも延ばすこと自体はあり得たとも考えられるという留保をおかなければならない。

  ▽ 鳥越憲三郎の倭族仮説とはどういう説か
  http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/008_1wajinn_no_syutuji_nituite.html

 ▽ (ヰキペ:歌垣) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3

 § 1 概要
 現代の中国南部および東南アジア北部で見られる歌垣を概観すると、祝祭日(多くの場合、播種前の春先)の夜に10代半ばから20代の男女が集会し、互いに求愛歌を掛け合いながら、対になり恋愛関係になる、といった類型が多い。
 このように、歌垣は未婚男女の求婚の場という性格が強く、また、集団での成年式に起源すると考えられている。

 歌垣での歌謡は、多くの場合、固定的な旋律と定型的な歌詞を持ち、三・五・七などの音数律に従う。歌い手は、これらの約束事を守りながら即興でうたう技量と教養を必要とし、なおかつ相手の気を惹かなければならない。歌謡の内容は求愛歌だけにとどまらず、創世神話歌、収穫歌、豊作労働歌、葬送歌などがある。

 歌垣の習俗は、焼畑耕作民にも水稲耕作民にも見られるが、特に山岳焼畑地帯で顕著であり、もとは山岳地帯の焼畑耕作民の文化だったと考えられている。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ☆ § 2 の日本の項目は 割愛しています。

 ☆ なお《日本文化のよろづブログ》は 2月26日のブログに掲げました。
   http://d.hatena.ne.jp/bragelone/20150226

*1:こはいのごふぞ(此れは いのごふぞ):歌詞ではなく地の文かも知れない