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哲学いろいろ

夏安居(第二章)

第二章 ナラシンハ    
       the Erythrean Sea


旅立ちが帰還だったのだ
〔と ナラシンハは その航海の日々を語っていった。〕
〔かれの〕母牛が 病う床で
目を閉じたとき
老いた牡牛の
沈黙のまなざしを振り切り
雲雨の空をながめやって
叫んだ海へ
すべり落ちてきた 季節
〔とかれは 語り始めた。〕
《海へ》
と 《その人》が言った
突き降りた 水のうえで
聞いた
第一の航海と
船首の《その人》が
言った 《海へ》
第n回の航海と
牛の瞳の黒い旅立ちこそは
帰還だったのだ
〔と。〕

   *


〔ナラシンハは 続けた。〕
カライ
漂う塩とは知らなかった
朝の風に
こころに
十五の帆を張って
生まれ変わった船出
〔と。〕
〔さらに〕
カライ
髪に受ける
朝の風に
こころに
旅立ちの
帆を掲げて
親牛の瞳をふたぎ
・・・
ただよう水のうえに
反芻の波をなめ
ちぎれる
雲白の空に
引き放った
〔と。それは――〕

たといわれら
部族の民が 王命に背向くごとく 
神ヴァルナよ
日にけに なが掟を冒すとも
われらを
怒れるなが必殺の武器に委ねることなかれ 
不興のなが激怒に
空を飛ぶ鳥のよぎる跡を知る
海の上の船の跡を知る
広く大きく高い風のみちを知る
風を治めるものたちを知る
ヴァルナよ〔と。〕
リグ・ヴェーダ讃歌  辻直四郎訳)


    *


《海へ》
そして
青い
アラビアの海を越えて
〔とさらに続いた。〕
紅い海(エリュトラ・タラッター)を越え
かつて遠い昔
ソパーラが贈った
金と銀と真珠と
白檀の木で建てた
エルサレム
ソロモンの宮殿へ
《海へ》
ヴァルナよ
雨の落ちる山里に
牛どもとともに繋がれてある
安居を棄てた者に
むしろ
ヴァルナよ
雷光と咆哮に輝く暗雲と
猛牛の波との
マーヤー(迷妄)を
けれども
迷妄の待つ海からの
帰還の
《海へ》!!


     *


《海へ》
と《その人》が言った
商人の詩魂が言った
《ナラシンハ 海へ》と
〔とナラシンハは その物語りを始めた。〕


     *


 老船員のひとりが〔――とナラシンハの話が始まった――〕 おれをつかまえて こんな話をしたことがあった。船のなかで 若い船員たちが ヴィビーダカの博打に興じていた時のことだ。
 ――ナラシンハ わしはあの博打をよくやったものさ。わしの一生が あのヴィビーダカの木の実といっしょに はねまわっていたものだ。ハハハ。
 おれはまだ 賭ける物とてなく 賭場の隅でただひっそりと見ていたのだが そこへ寄ってきてこの老船員は 独語するように続けて言う。
 ――ヴィビーダカの骰子が賭場に投げられ跳ね回るのを見れば わしはソーマ(神酒)を飲んだように酔うたものさ。その木の実の成る木が 風にそよいだだけで わしはイチコロになっちまった。
   しまいには わしの妻まで賭けて失っちまった。取り戻そうと また賭場へ行く。今度は勝つ。だめだねえ いつもクリタ(当たり)は相手のほうさ。
   そんなわしが どうしてやらなくなったかって?今から思えばかんたんさ。博打の虫を誰かにうつしてしまえば ええんじゃ。あっはっははは。
 おれは あとになって 船の上ではよく博打をうったし 船主の《その人》も 船の上のことは やるに任せていた(港に寄れば かの地の女を抱くこともおれは覚えた)のだが ただ この老船員の話のなかで 博打の虫が人から人へ移って生きていると言ったことが おれには興味深く いつも思い出して楽しんでいた。おれは こうして 海へ滑り込んでいったように思う。〔とナラシンハは話した。――おれはむしろナラシンハの語ったとおりを おれの相づちを入れずに語ろうとおもう。これからは そうしよう。〕


   *


 船の中には バラモンからシュードラまで あらゆる階級の人間がいた。〔と以下すべて ナラシンハの語ったことがらである。〕