caguirofie

哲学いろいろ

夏安居(第二章・下 完)

(港町ホルムズ)

 ヴァサンタセーナは 船の入港のうわさを聞いて 戸口に出て待っていた。数年前も このときと同じように ある夕刻 他の同じ女たちとともに 戸口に立っていた。その時 おれは 即座にかのじょを選んでいた。何にも増して 目が輝いており。深い彫りの瞳は 潤うように豊かな表情をあふれさせており。鋭くもあり同時に優しくもあると思わせる眼差しが そのとき 光っていた。おれは そのとき まだ充分若くもあったが ただその美しさにのみ魅かれて かのじょの戸口をくぐったのだった。
 この初めてのときから ホルムズでは 思いわずらうことは なにもなかったのである。ヴァサンタセーナは もともと そういう女であるから おれがホルムズを離れるときは いざ知らず 町を訪れるときは いつも 優しい存在としてあった。ホルムズに固執したわけではないが 将来 おれもかのじょも 年をとったときには どこかで静かにふたりで 暮らそうと考えていた。そうおれは考えていた。
 ヴァサンタセーナは 器量も言葉も うつくしく おれたちのインドの言葉も覚えて話し そのようにあたらしい経験と事柄とを知ろうと心がけ 欲張らずに社交を愛していた。志操は固く 富を愛し なににも増して 愛を愛する女であった。
 夜が更けて――。
 夏の烈暑をしのぐための大きな風窓から この日は いくらか冷ややかな冬の風が吹き入っていた。風は 土間を通って入り口を吹き抜け。この街の家々はみな 風向きに沿って 窓や戸口が開いているので 裏の長屋から かなりひんぱんに 声が聞こえてくる。もっとも 月の光りは ほのかながらも どこもかしこも同じく照らしているのだ。どんな声の漏れ流れようと ホルムズ港の知ったことではない。
 ヴァサンタセーナとおれは なにを話すと言って 窓の外の闇を見やったり 風の音を聞いたり。おれは 海の塩っ気の滲みた衣服を脱いで ほぼ丸裸であった。かのじょも 薄いサラサ一枚のほか なにも着けなかった。描かれた紅鶴(ハンサ)の頭部あたり――それは胸のあたり――が盛り上がって セクシュアルな線を浮かび上がらせている。おれは こうして会って まだ かのじょに何も告げていなかった。かのじょは 時折りどこかのふたりの行為を暗示する片方の一人の声が聞こえてくるのを耳にして くすくす笑っている。おれは かのじょが微笑むと さらに目の艶やかになるのを知っていた。
 ヴァサンタセーナは 富を愛し 性の快楽を愛した。いづれにおいても 貪欲であることがなかった。かのじょらは 男を愛し しかも貪欲でないところを見せることによって 男に愛情を知ってもらい 男の信頼を勝ちとるのだ という意見は おれがのちに 海の上でであったか あるいは ほかの町でであったか 耳にしたことがらの一つである。それらの振る舞いが 意図的であるにせよ ないにせよ 七年間おれは 同じヴァサンタセーナを見てきていた。おれは 自分がかのじょを愛していると思っていた。そして同じくおれは ふたりが背中ふたつの動物になるとき そのかのじょを愛した。
 有り体に言って かのじょは いつも 社交の姿勢である。あいまいさのかげりも なかった。みごとに なにか一つの筋がとおっていた。
 ――ヴァサンタセーナは インドへ行ってもいいと言っているが どうかね ナラシンハさん? おまえさん あの娘を嫁にもらっておくれでないかえ?
 これは ヴァサンタセーナの母〔と名のる老女〕が いつか おれに向かって言ったことばである。しかし ヴァサンタセーナは 母か?と訊けば 母だと言い ソパーラへ行くか?と訊けば 別に・・・と答えた。(じつに 《別に》と答えた。)そのことについて さらにくどくどと かのじょの方から言うことは なかった。社交を愛するときが 流れていった。
 おれは 船乗りであった。ホルムズを訪れるときは 《その人》から貰う報酬のほとんどを ヴァサンタセーナとともに費やし そして再び 海に出るということである。ヴァサンタセーナと過ごすひと時と 街に出れば兵車競争で 賭けた馬車がゴールに入るのを見る一瞬と 時折り見せてくれるヴァサンタセーナの歌い舞う姿を見ることが ホルムズのすべてであった。ホルムズのすべては おれたちにとって 一年のうちわずかの期間であった。
 ふと気がつくと 沈黙の時がずいぶん積み重なって 雪をかき降ろすように おれは しわの寄った時間を振り払っていた。ヴァサンタセーナは 再会を祝して 神酒ソーマを出してくれていた。――時の移ろいを いろんな意味でかのじょの中に見出すことは 〔幸か不幸か〕必ずしも容易ではなかった。――そういえば ペルシャでは おれたちが sで発音するところを hで発音するのだから この酒は ホーマだったなどと言い いく杯か酌み交わす。(おれたちの船のペルシャ野郎が信奉する神アフラ〔・マズダ〕は アスラ=阿修羅のことだとわかったりする。ホルムズは アフラ・マズダの訛ったものであるなどなどと。)ヴァサンタセーナは ゆったりとした風情で クッションに身体を横たえて 航海の模様を尋ね 酔うほどに話しもはずみ さらに夜が更けていった。
 明くる日 目が覚めたときは 日はすでに上がって 物憂さそうに淡い陽射しが 射し込んでいた。窓からの陽射しを避けて 顔をそむけながら ヴァサンタセーナは まだ眠っていた。おれは 久し振りに陸の上でぐっすりと眠ったことに 満足感があり 朝の鳥の鳴き声を聞く余裕があった。
ふと うまそうな匂いを嗅いで ヴァサンタセーナは すでに祈りを済ませ 食事を用意していたのだと分かった。おれは敬虔ではなかったが――国のバラモンの祈祷にあまり 意味を見出せなかったが―― 勤めは 欠かすことはなかった。ヴァサンタセーナを眠らせたまま 例によっておれは さっそく起きると 沐浴をして 祈る時間を持った。何よりも 難破することの多い大海を無事 渡って来られたことを感謝した。
 この頃までには おれは 祈りの中には ヴィシュヌもヴァルナも神々は通り超えて ばくぜんとではあるが 《その人》がかれの詩のなかで問いかける《きみ》――《きみ いまさずば・・》の《きみ》――なるものを 想い描いていた。ばくぜんと。しかも こちらが背をもたげると いつも逃げていってしまう何ものか 《きみ》と呼びかけうる何ものかの世界である。
 たとえば いま 遊びの街角からは 遊びの声が 軒先をとおして聞こえてくる。

花のころ・・・
おれの手をとるこの世の天女二・三人
世の煩いも天国の望みもよそに
盃に さても満たそう 朝の酒!
・・・
草は生え 花も開いた 酒姫(サーキィ)よ
・・・
酒をのみ 花を手折れよ 遠慮せば
花も散り 草も枯れよう 早くせよ。
Omar Khayyam: Rubaiyat)

という唄声が 嬌声と琵琶の音に包まれて しかも鮮やかに おれの耳元に飛び込んでくる。このときまでには かなり慣れ親しんだペルシャの歌謡ではある。頽廃的な風景とあいまって 異国で聞く琵琶の音色には 一瞬はっとするような物悲しさにぶつかることがある。こうやって聞くと このときも多分にそのような雰囲気を漂わせたものとして おれの心には映る。それは おれがどれだけ あたらしい世界へ出発しようとしても 船乗りのつねとして おれは いつもこのような頽廃の世界と激しく接していたからであるが――そんなではあるが なおもそこに浸ることを嫌い あるいは 一般に 矛盾というものをどう割り切ることもなく かんたんに乗り越えて生きてゆくという人びとの知恵をむしろ おれは拒むようにして そんな《きみ》なるものの世界に入っていったのかも知れない。

ノールーズ(新春)にはチューリップの盃上げて
チューリップの乙女の酒に酔え。
どうせいつかは天の車が
土に踏み敷く身と思え。
(Khayyam)

と漏れてくる唄のなかの悟りを 猛烈に避けていた。
 おれは この航海が終われば 船乗りをやめ 《その人》に伴なって シュラーヴァスティの商人が紹介してくれたその《ある沙門》という人のもとへ 向かう決意を固めていたのだった。
 おれは 《いつ いかにして 他人に真実を語るべきであるか》(J.-J. Rousseau)について戸惑うようには 出来ていなかった。おれは ヴァサンタセーナにずばり別れを告げようと思っていた。
 部屋に戻って ヴァサンタセーナの寝顔をながめて いつも寝起きをともにしているわけではない恋人であるだけに いとしいというのか 気持ちが募るのも覚えていた。
 ――おはよう。
と上体を起こして やや髪の乱れたまま ヴァサンタセーナが目を明けて 声をかけてきた。挨拶を返しておれは 天気は今日もよさそうだぞと応じ 窓辺に行き そこに腰掛けて 水ぎせるに大麻を吸わせながら その夜になってから ゆっくりと別れの言葉は伝えようと考えていた。それは 昼間はまだ 二・三日は残りの商品をさばくため 船のほうに戻らなければならなかったからだが その夜 その話しを始めたのは その後
 ――ナラシンハ もう沐浴を済ませたの?・・・早いのね・・昨夜(きのう)はよく眠ったわ。〔と再び ふとんの上に倒れ込んで〕・・・食事にします?・・・あら あなた わたしの着物を着て あなた よく似合うわね。・・・〔盛り上がった紅鶴のあたりを はだけさせたまま〕・・・わたしは 寝相が悪いのね 髪がこんなに乱れて・・・〔片腹を横にして おれのほうを向き〕・・・大麻 おいしい?
そして
 ――・・・昨日はあなたがくどいたの 今日はわたしの番。
というヴァサンタセーナの誘いに応じたあと 港に向かい ふたたび帰り 夕食をすませたそれらすべてのあとであった。
 森のなかに棲んで 修行に入るのだ とおれは はじめた。初めから 身ひとつだったのだから 何を思いわずらうことなく 即座に決めた。ただ ヴァサンタセーナ おまえには そのことを了解して欲しいと思ったのだ と。
 このペルシャで ザラスゥシュトラ(ゾロアスター)の教えの僧になってはどうか というのが ヴァサンタセーナの第一の答えであった。
 ――いや ちがう 国に帰ってシュラーヴァスティの《ある沙門》のもとへ行きたいのだ。
 ――でも インドでは あなたは バラモンの生まれではないんでしょ?
 ――そうじゃない。つまり バラモンを破るあたらしいバラモンの修行のことなのだ。ヴァサンタセーナ おまえたちも同じように修行者となれるひとつの共和国なのだ。おれは その流れに入ってゆきたいと思う。
 ――・・・そおぉ あなたの求めていた場所が見つかったのね。
と声の調子を いくぶん落としてそう言ったかと思うと ヴァサンタセーナは立ち上がり 壁にかけてあった扇を取って そのまま 舞いを舞い始めたのだった。おれは なにものかを得て なにものかを失ってしまった。


         *


 ナラシンハの語った事柄のなかから おれが伝えようと思った部分は これで終わりである。以下は 不要と思うが 形式じょう少し述べておきたい。
 ナラシンハは 話しの随所で たとえばその後インドに帰って 《その人》とともに シュラーヴァスティの都に赴き 祇園という僧伽藍で その《ある沙門》のもとに過ごした数年間のことがらを もちろん語っていたが このことは――すでに触れたように――あえて 記さなかった。もうひとつつまらないことを述べるなら おれとしては今になってみれば むしろこの後(――ナラシンハらは まだ このとき シュラーヴァスティでの修行から このソパーラに戻って来たばかりだということであったが この後――) ナラシンハは ヴァサンタセーナのいるホルムズへはもう行かないのか そのことが訊きたいという気持ちがあった。ただ やはりおれは 妻が産褥にある山の村里のことを考えていた。
(完)