caguirofie

哲学いろいろ

小説・夏安居

 第一章 気ちがい沙門             Sopara


 その朝 おれは 呪術師(バラモン)が――かれらをおれは 信用している というわけではなかったが――ちょうど呪術師が 呪文を唱えて――かれは しきりに口を動かして何やら言いつづけているのだが 音声はまったく途絶えたそのまま――呪文を唱えて 目の前のひとりの信女を ひとつの波も立てずに水面の中へ すべり込ませるがごとく 眠りの中にさそい込む情景に似て しかも ちょうどその逆に おれは 眠りの世界から寝覚めの世界へと しずかに――じつにその日は平和な朝ではあったが――すべり込むようにして 入って来たのだった。おれの背後に 呪術師がいたかどうか 分からない。ただ ようやく――それは どのくらい経ったあとだったろうか ようやく――狭い部屋のなかに 赤く細い陽が射し込み始めた頃 おれは 自分が今 旅に出て来ているのだと覚った。
 その朝――陽が射し込み始めてから――おれは 身支度を整えると ひとまず 泊っていた街はずれの小さな宿を出て あたらしい陽の光と空気を吸い――いつものような鮮やかな味わいは薄く いつになくそぞろな一日の初めになっていたが―― そのまま 朝の勤めに向かって行った。このソパーラの町では ヴィシュヌの神は 家並みの裏側の道端に祀られていたが おれは 表通りを抜けると 野原の広がった小道を歩いて行き やがて 神の前まで来ると いつものように 周りを掃き清め そこに跪いた。
 そこには――ソパーラの町は 商人と漁師の港町で 早起きであり―― すでにあたらしいナヴァマリーカーの花環が 幾重も献げられていた。白い花びらは――露が 光を浴び なかなか 美しく――咲き誇るように 小さなヴィシュヌを取り巻いていた。おれは 神の頭の上から 水を 一杯二杯とかけながら いくぶん 心の静まるのを感じていた。しかし他方で 目覚めたときからの一種 当惑のつづいていることを識っており むしろ その当惑をすすんで意識しようとしていたかも知れない。
 おれは しばらく 何もなかったように 祈りをささげた。


 見渡すかぎり 高原の台地がつづいている。見渡すかぎり 陽の光が 満ちている。乾いた空気が いくらかの樹々の梢を取り囲み 牛たちの背をなでている。・・・かれらは 草を食んでいる。・・・静穏な風景のなかで かれらは かえってその姿が忙しそうに見える。・・・その横を いっぽんの太い水無瀬川が やって来て 去って行った。・・・よく見ると おれの牛どもの食べていたのは その草は 砂で出来ていた。
 そんな世界が よぎって行った。
 おれは どれほど膝まづいていたろうか。まだ居残っていた朝の冷気が ふと身体を襲って ふたたび自分に返って 目の前のヴィシュヌと相い対するのだった。
 おれは 快く当惑していたにちがいない。


      *


 前日のことだった。
 おれが 隣りの村から 牛車を牽いてやってきて ソパーラの町に入ったのは 街がまだ しばらく午睡の時間を残しており 人びとが 家々のなかに 通りの木陰に 思いおもいの休みを休んでいたときであった。 
 木陰に 水ぎせるを吸いあって 眠るともなく 話を交わすともなく 憩っている連中は おれの牛の通るのを そのままの恰好で目だけをうっすら開けて 追っている。おれは さらに街のなかに入って 通りを進み 共同井戸のある広場まで来て 休憩をとることにした。山の村を朝に発って 半日ほどの旅程であった。水を含み しばらく 隅の木陰に腰をおろすことにした。暑い夏の昼下がりは まだ あり余っていた。
 時折り吹く風が その気になってみれば ほどなくやって来る雨の季節を告げるかのように 風向きを変えて アラビアの海のほうから 吹いて来ているようだ。その夏の午後の太陽は 海風の吹いて来る矢先から その爽やかさをも たちまち 乾上がらせてしまう。人も木もみな うなだれて 物憂げな時刻の過ぎるのを 待っている。犬は 暑さにやられた犬が一匹 しきりに穴を掘って 冷たい土を求めている。
 その午睡の時間を さらにまだ余していたが おれは やおら立って ひげを剃る男のいる近くの木陰に足を運んだ。ソパーラに来る楽しみの一つは この男にひげを剃ってもらうことであった。あいさつを交わし おれが脇に坐ると 床屋は 物憂さそうに――それはそうだ―― 鉄の剃刀を砥ぎ始めた。かみそりは いくら砥いでも利くなるとは思えなかったが かれが ていねいに刃を砥石にあててくれることに悪い気はしない。
 ――旦那 今年もまた 雨の季節だねえ。
と床屋は 暑さの中で精一杯の愛想を言う。
 おれは 年に数回 ことに今回のように雨季の前には 必ず食糧を求めて 町へやって来ていた。久しぶりのソパーラであった。
 床屋が おれの頬に水を浸して かみそりをあて始めると おれは例によって あとは 目をつむり カリカリという鉄の感触を味わう。あたりには 陽炎が燃えていたかも知れない。時折り 生温かい風に乗って 民家の土塀の脇に積まれた牛糞の匂いが かすかに訪れてくる。馴染みの匂いであった。――
 この乾いた季節が往けば 幾月も雨が降りつづき おれたちには 小舎に閉じこもって暮らす日々が待っていた。おれは このもっとも暑い時期のあとに 雨安居(ヴァッサ)の季節がやって来ることは むしろ いいことだと思っていた。山の村では すでに 牛どもを繋ぐための 杭は打たれ ムンジャ草のあたらしい縄も よく 綯われていた。このソパーラでの食糧調達が済めば 雨安居の準備は すべて 整う手はずである。だから神よ 雨はもういつでも降らすがよいと構えていられた。
 この年は この雨の季節にまもなくまた一人 赤子が誕生する喜びが 待っていた。親たちは 男子の誕生を祈願して バラモンを招いては やっきとなっている。これはこれとして 現在の二人の子供は 健やかで 妻も明るい元気なおんなだ。だから神よ 雨はもういつでも降らせるがよい・・・。
 妻は おれがこうしている間にも あるいは 産気づいているかも知れなかった。この年は ちょうどおれが ソパーラへやって来る時節と かのじょの出産の予定とが重なることになり 親たちもソパーラ行きを遅らせるよう説いていたのだが おれはもう今度は 第三子だから いいだろうと声をかけ 気軽に いつもと同じ 月が欠け始めてから七日目の朝に発つのをたがえることを嫌ったのである。

われは 胚珠を 植物の中に置けり。
われは そを 一切万物の中に置けり。
われは 子孫を 地上に生めり。 
われは 息子を 妻女のため 未来に生まん。( 『リグ・ヴェーダ讃歌』  辻直四郎訳)


と とにかく 神となったあの祭司(バラモン)の告げるこの言葉に祈りを託して 山を降りてきたのだった。
 目をつむって 物思いにふけっていると 徐々にさわやかになった皮膚に風の感触が認められ あたりにはがやがやという人の声や足音が聞かれた。午睡の魔法が解けて バザールがふたたび賑やかになっていくのだ。
 おれはまず 牛車に載せてきたなめし革やバターを売って お金に換えなければならなかった。髭剃りの代金も その金で払いたいことを申し出ると 床屋は 高く売れるといいねえと 愛想よく応えてくれた。この時 傍を町の或る沙門(シュラマナ)の一団が通りかかったのである。
 ――あそこに行くのは あたらしいバラモンのかたたちだね。こうして早速 いく人ものバラモンに会えるとは 縁起がいい。
 おれがこう言うと――実際 道をゆく沙門らは 見なれない者たちらしかったが 挨拶に従って こう述べると―― 床屋は 初め 応えにくそうにしていたが 口を切ってこう言った。
 ――旦那 そうじゃねえ。あいつらは バラモンじゃねえんで。北の森で修行する沙門だか知らねえが けっしてバラモンなんかじゃねえんで。
 ――バラモンじゃない沙門と言うと?
とおれは この議論に入らざるをえないと思った。
 ――そうさ あん中には 一人もバラモンは いねえ。今のバラモンたちを勝手に罵っている気ちがい沙門たちさ。
 ――気ちがい沙門?
 バラモンでなくても 誰でも たとえば人生の学生期に家住期を過ぎれば その後 森に入って修行をすることは 考えられたのだが・・・。
 ――奴らは こう言うんだ。行ない(カルマン)によって バラモンだとかシュードラだとかになるのだから 今のそんな区別はいらねえと。まるで 神たちが ある神はバラモンになったり 別の神はシュードラになったりするようなものさ。
 ――(それは しかし その新しい考えのほうが もっともな話に思えた。)
 その数人の沙門たちは やがて 広場の中にさしかかったとき 帰れ 帰れ 気ちがい沙門! という罵りの声を 隅の木陰のあちこちから浴び始めていた。あちらこちらの中には しだいに石を投げかける者もいた。沙門たちは そのような攻撃を受けることを むしろ初めから知っていながら街に出て来たといった様子であった。
 ――もし と髭剃りの男が つづけて論じた。もし誰でもバラモンになれるのなら みなバラモンになっちまうだろう。シュードラの野郎が床屋になったら おれたちゃ床屋の誇りがなくなっちまうだろう。だから あいつら世の中をひっくり返そうってゆうひでえ奴らだ。
 ――いや しかし親父の商売でなく だれでも好きな仕事ができれば そのほうが いいじゃないか。
とおれは 床屋に訊いてみた。
 ――やってるよ。水汲みだって 花環売りだって みんな好きでやってるよ。
 おれは この男をおこらせてしまったらしい。
 その間に 沙門らの一団は 広場の中央に進み出て なにやら話を始めようとしていた。男の言うことに理屈はなかった。おれ自身 この床屋の側にいる。山にあって代々つづく牛飼いの業をして暮らすことに たいして抵抗のなかった。沙門たちは なにか話を始めていた。だが 石のあられを あまりにもひどく受け 立っていられなくなった。予想以上の反対にあったとばかり 退散を決め 床屋とおれのいるほうの隅から抜けて 広場を出ていこうとした。もっとも 時にバラモンによって 生活のすべてを 十年一日のごとく いや百年一日で 取り仕切られていると思われることには だれも あまり快く思う者などいない。
 それにつけても 今度の妻の出産に際しても 穢れを取り除くための沐浴の水も 赤子の身体に塗って洗い清めるための牛尿も すべて用意されているところへ そこへ 何度も何度も 祭司(バラモン)が招ばれるのは 山の村のつねであった。ヴィシュヌも シヴァも おれたちが 神は 素朴に信じていることに変わりはなかった。
 その時だった。
 その時 沙門たちは 長い寛衣を引きずって 頭を押さえながら 広場を退散していくところであったが とつぜんその中のひとりが おれたちのすぐ前で 大きな石を足に受けて 前のめりに崩れてしまった。
 変わりはなかった。が その神のなかに おれたちがあろうとする節ぶしに バラモンが はすかいから顔を突き出してくる。
 たわけ者!と言って 床屋は 目の前で足をくじいて 崩れた一人の沙門を なおののしった。おれは まだ ことのしだいを よく飲み込めていなかった。沙門は サフラン色の衣に包まれた片足をひきずりながら かまわず立って しりぞこうとした。けれども 打ちどころが悪かったのか ふたたび もろくもその場につんのめってしまった。この男は 年長のほかの沙門たちをかばいながら いちばん後から逃げてきたようだったが まだ若い沙門に見えた。かれは 這うように少しづつ 身体全体を引きずって進みながら いくぶん焦ったように ふたたび止まって 足をかばった。
 おれは この目の前の男に ふと共感を持っていると思っている自分に気づいて 恥ずかしく思った。恥ずかしいというのは そのように簡単に自分の心が動くことに対してであった。けれども 心が動いたのは いま 目の前のひとりの男が陥っている困惑に対してではなく かれがバラモンの出でもないのに あたらしい修行とやらによって 今の節ぶしの祭儀を打ちくずそうとさえしているのかと思われたことについてである。
 男は 中腰になって やや顔をしかめながら 立とうとした。このとき かれがふと おれたちのほうを横に見たとき おれは――その顔を確認したとき――驚かざるをえなかったのである。
 ――ナラシンハ!
とおれは思わず呼びかけていた。