caguirofie

哲学いろいろ

詩歌

ねむりねこ 2015/02/15 15:40

韻ではないですけれど、
伊勢物語にある在原業平のこの歌、


 からごろも
 きつつなれにし
 つましあれば
 はるばるきぬる
 たびをしぞおもふ


なんてすごいですよね。
この歌を見ると、業平は不世出の天才歌人だと思ってしまう♪

http://teppou13.fc2web.com/hana/narihira/ise/now/ise_ns9.html


〜〜〜〜〜
むかし、男ありけり。身はいやしながら、母なむ宮なりける。その母、長岡といふ所にすみたまひけり。子は京に宮仕へしければ、まうづとしけれど、しばしばえまうでず。ひとつ子にさへありければ、いとかなしうしたまひけり。さるに、十二月(しはす)ばかりに、とみのこととて御文あり。おどろきて見れば歌あり。
  老いぬれば さらぬ別れの ありといへば
   いよいよ見まく ほしき君かな
かの子、いたううち泣きてよめる。
  世の中に さらぬ別れの なくもがな
   千代もといのる 人の子のため

http://ise.kaisetsuvoice.com/084.html
〜〜〜〜〜
これなどは、涙なくして、僕は読めない(涙)


伊勢物語は、間違いなく日本文学の最高傑作。そして、ここには日本人のすべてが描かれている。
日本人は、伊勢物語、この一冊があれば、生きてゆける。


源氏物語なんざ〜、文弱の徒の、王朝趣味が描かれているだけ。
あそこに描かれているのは、極ごく一部の、しかも特殊な人間。
ルサンチマンの塊であり、怨嗟の声が満ち満ちていて、
オレなんざ〜、読んでいて吐き気がする。反吐が出る!!


源氏物語は、何しろ道綱の母の『蜻蛉日記』の系統ですからね〜。
全編、歪んだ心性に基づいて描かれている。


谷崎、与謝野晶子瀬戸内寂聴etc.、変人ばかりじゃないか。折口信夫も…。
類は友を呼ぶんです。


源氏物語を頂点とする国文学の男性研究者は、みんな、なよなよとしていて、気持ち悪いし…。
「エンガチョ」です、そばによって来て欲しくない(^^ゞ


源氏物語を読むと、男は、去勢されるにちがいない。

ねむりねこ 2015/02/15 21:10

オロチの名前が、古事記日本書紀では違うんですよ。
古事記では「古志(越)のヤマタノオロチ」ですけれど、
日本書紀では「ヤマタノオロチ」で「古志」がない。
これは一体、どういうことだ?


古志が出雲よりも早くヤマト王朝に組み込まれたためか?


調べれば、このあたりも結構面白いのでしょうね。
継体天皇、古志出身の人ですし…。


オロチと古志は、強い関係があるらしいんですよね。
出雲風土記には、
古志から来た技術者(一族)が出雲の治水をしたんだ、
という記述があるらしいので。


http://homepage2.nifty.com/LUCKY-DRAGON/kodai-2-1.htm


スサノヲは古志出身?
古志の人間がスサノヲになった??


記録がないから、好き勝手なことが言える(^^ゞ


東日本の日本海沿岸地域以外の人は、
毛の生えた野蛮人・毛人、蝦夷だから、日本の古代史を語ることはできない。
古代史を語る資格を有するのは、ヤマト、イズモ、コシの三ヶ国の末裔だけです(笑)。
少なくとも、群馬・栃木の両県民は、古代日本について語ってはいけない。
こうず《毛》、しもつ《毛》で、毛人の地ですので(^^ゞ

bragelone

 ◇ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 出雲風土記には、
 古志から来た技術者(一族)が出雲の治水をしたんだ、
 という記述があるらしい
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 ☆ ただし イザナミの時代だと言うんですから どう解釈するか。
 ▲ (出雲国風土記) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 古志(こし)の郷(さと)   ーー 略 ーー イザナミ命の時、日淵川(ひぶちかわ)を以(も)ちて池を築造(つく)りき。
 その時、古志の国人等(くにひとら)、到来(き)たりて堤(つつみ)を為(つく)りき。
 即(すなは)ち、宿(やど)り居(ゐ)し所なり。ーー 略 ーー 。
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 ☆ これは 交流があったという素朴な内容を想定しておくのが無難ではないでしょうか。

 《こし》は 《越し》だと思うんです。何を越すか? 関所だと思います。

 ▲ (ヰキペ:関所) 〜〜〜〜〜〜〜〜
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%89%80
 § 1 日本
 § 1.1 古代
  東海道鈴鹿関、
  東山道(⇒中山道)の不破関(≒関ヶ原)、
  北陸道の愛発(あらち)関(≒敦賀あたり)

 が畿内を防御するために特に重視され、これを三関という。
  鈴鹿関から東は東国または関東と呼ばれた。
  平安時代中期以後は、愛発関に代わり、逢坂関が三関になった。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ☆ 不破の関は 美濃の国の中にあるわけですが 鈴鹿以東のたとえば尾張の国も ふるくは《関東》に属しており 《鳥の鳴く〔ような発音のクセがある〕あづま(東)》と言われたわけです。

 で 関所を《越す》というとき 鈴鹿の関や不破の関を越えたところには必ずしも用いず もっぱら北陸道の《愛発の関所を越した向こう側の土地》について用いられたのではないか。
 愛発(≒敦賀あたり)を越えた北陸道の地を 《こし(古志・高志・越)の国》と呼んだ。越前・越中・越後の三つに分かれ さらに越前から加賀と能登が分かれて出来た。

 アマテラスやスサノヲよりふるい時代に このコシの国とイヅモとは交流があったということとして ひとまづ捉えます。




 ◇ 古事記では「古志(越)のヤマタノオロチ」ですけれど、 / 日本書紀では「ヤマタノオロチ」で「古志」がない。
 ☆ 関所という国の制度としてでなくても この土地を越えると他所の国だという場所があったはずです。そしてそのように《関を越したところ》と言えば 一般には《他所・他国・外国》を意味することもなくはない。しかもそのことを漠然と言っている。のではないかと思います。

 つまり 先ほどの治水事業に当たった土木関係の職人も このヲロチも 漠然と遠くの土地の人びとというふうに言っているかとも考えます。


 ヲロチは ヲネ(尾根)のヲ‐ロ(属格の《の》)‐チ(霊力)で 大蛇であるようです。
 一般にも解釈されているように このヤマタノヲロチには ふたつの内容を当てるのがふつうだと思います。川のことであり ヲロチ退治は 治水のことだという見方とそして じっさいに他所から 時には戦いのためにやって来る人びとという見方と。

 出雲の斐伊川などは いつも氾濫して支流が幾筋をも成している。《八俣》である。また その上流では タタラによって砂鉄から鉄を作っていて 鉄分によって川は赤くなっていた。つまり水は 赤かがち(赤いほほづき)のようだったと言います。――この川を治めた。
 
 もうひとつの見方は 単純によそから戦いを仕掛けて来た者をやっつけたというものです。

 スサノヲは よそからやって来た――記事に従えばタカマノハラから来た――わけですが コシの八俣のヲロチを退治したというのですから コシの人間であったかどうかは 微妙ですね。

 



 ◇ 継体天皇、古志出身の人ですし…。
 ☆ これについては 半ば愛嬌として推測による見方をしてみます。

 つまり 例の神武カムヤマトイハレビコは ヒムカ(日向)の地からヤマトへと上って来ます。その物語にちなんで あらたな統一第一ヒコとして立った継体ヲホドは 南の九州とはぎゃくに北のコシの国からやって来るというかたちを採ったのではないか。というものです。




 ○ 蝦夷
 ☆ については 次のように《アイヌ》という言葉から来ていると考えたことがあります。
 【Q:恵比寿はもとは蔑称の夷?】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4702647.html
 ( noname#80116 は わたくし=ぶらじゅろんぬです)。


 ◇ 群馬・栃木 / こうず《毛》、しもつ《毛》
 ☆ けの・けぬ の国:
   かみ(上)‐つ‐け⇒ こうづけ
   しも(下)‐つ‐け
   (ツは 属格の《の》)

 ちなみに
  むさ(身狭)の国:
   むさ‐かみ(上)⇒さがみ(相模)
   むさ‐しも(下)⇒むさし(武蔵)