caguirofie

哲学いろいろ

信仰

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie
ご回答をありがとうございます。

 だから かみ合わないようなのです。

 《信じる》とは、
 ★ 物事を自分にとって肯定的に判じたい場合で、それ以上の真偽の追求が難しい場合、あるいはあえてしない場合に使うのです。

 《考える》とは、
 ★ 物事をはかり、思量することを言います。

 ☆ この定義によれば 《信じる》と《考える》とは いったいどう違うのでしょう? めちゃくちゃです。同じ内容ではないですか。

 ★ 物事を自分にとって肯定的に判じたい場合
 ☆ 《肯定的に》というのは すでに志向性や願望をふくみます。ですから ただ《考える》だけではありませんが そのような意志のあらわれも けっきょくは大きくは《思考の緑野》における経験的なものごとにかんするものです。つまり このような《場合》というのは 《信じる》とは何の関係もありません。
 少なくとも 《信じる》という言葉を わざわざ《考える・のぞむ・問い求める等々》の行為を表わす《考える》を退けて用いる謂われはありません。つまり 《のぞみや願い》をふくむ場合にも
 ★ 物事をはかり、思量すること
 ☆ そのことをおこなっています。さて どう違うのでしょう?

 ★ それ(* =《物事を自分にとって肯定的に判じたい》こと)以上の真偽の追求が難しい場合
 ☆ いいですか? 《真偽とその追究》は 経験合理性にもとづき人間が《考える》のです。
 
 その《追究》が《難しい場合》というのは 《考える》に行き詰ってひとまづ打ち遣ることにしようと《考え そう判断する》のです。――いったいどこに《信じる》がありますか。

 ★ あるいはあえて〔* 真偽の追究を〕しない場合
 ☆ これは ほとんど同じです。《追究》が行き詰まるほどにはまだむつかしいとも思われないけれども 途中で中断するといった意味合いのことです。つまり そう《考える》ことをおこなっているのです。――どこが《信じる》ですか?


 中断したり追究を諦めたりしたから あとは初めの望みや願いにもとづき物事について肯定的にあれかしと《信じる》と言いたいのでしょうか?

 これは 文学的なアヤの表現でなければ そういう《推測》のことを言います。つまり《考える》ことに属します。

 そして 根拠がないのに 経験的な世界において だいたい自分にとってものごとがうまく行くであろうと《推測し 思う》のは 《考える》ことの中途半端であることを示しています。ですが これも《負の 考える》です。




 《根拠がないのに》ということで 《信じる》という言葉の定義に触れるならば――その場合は《無根拠》においてナゾの何ものかを受け容れることを言うのですが―― 《根拠がない》とは じつは人間には分からないのです。

 考えるを途中でやめるのは 《根拠があるかも知れない》場合です。《無いかも知れない》のですが もし考えるにとって《根拠がない》という場合には その無根拠であることが考えて分かったばあいに言うのです。


 こうです。

 ○ 《非知》とは何か 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  経験的なものごと
    可知 
     既知
     未知
    不可知(知り得ないと知った)
  非経験の場
    非知(知り得るか知り得ないかが知り得ない)
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ですから 不可知のばあいの無根拠と 非経験の場にかんする《無根拠》とは はっきりと別です。

 非経験の場――つまり そのナゾの何ものかというのは 神のことです――についてのみ 《信じる》という言葉を用います。なぜなら すでにそこでは《考える》とはいっさい関係しないからです。



 不可知のばあいは まだ《考える》ことをおこなっています。ひょっとすると さらになお考えて分かるようになるかも知れないと考えたりもします。
 
 そのものごとが《知り得ないと知り得た》なら 《不可知》という分類になります。


 《知り得ないとも 知り得るとも 知り得ない》場合は――むしろそう人間が想定するのですが―― 《非知》としての無根拠であり これにかんしては・つまり《非経験の場》と《われ》との関係としては 《信じる》という言葉で表わすことになるのです。信じた結果 わが心に《非思考の庭》が成る。こういう寸法です。

 非思考の庭は 《考える》とは何の関係もありません。


 ○ 《信じる》と《考える》との区別 〜〜〜〜〜〜〜

   非思考の庭(クレド=しんじる。心の明け。ヒラメキ)
   ____________________
   思考の緑野(コギト=かんがえる。⇒田園および都市)
   感性の原野(センスス・コムニス。直感かつ直観)
   ____________________

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 ★ 自分の思想を認めてもらい、討議ができて、何か不服があるのでしょうか?
 ☆ むろん利己的な自己満足をともないますが それでも〔気持ちとしては〕ひとえに 復興のためです。ルネサンスが目的です。

 定義がしっかりしていなければ その理論の構築は 建築基準法違反になります。復興はかなわなくなるぢゃないですか。