caguirofie

哲学いろいろ

カザリ=シガラミ

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

 (え) つまりこのような対立軸を想定するなら たとえば次のような《学問と現実》との二分法もあまり大きな問題にはならないのではないか?
 ★ とかく日本人が好んで使う「どちらが正しいのか」などといった、一見「成り立っているかのように見える問い」が僕は一番あやしいと思うのですが、如何でしょうか。
 ☆ (う)のように情況を把握しているなら この《どちらが正しいか》といった観点からの意見の相違はあまり大きな問題にはならない。こう考えるのです。《真理ないしその探究またその姿勢》が 《ただしい》と言っているのではないからです。

 現実世界は 肩書きをつけている人は そのカザリをカザリまくっているでしょうし しかもそのカザリというのは むしろ過去の歴史からの社会的なシガラミとそのシガラミの上に君臨する既成勢力に添い寝するかたちの利活用行動の結果得られたものである場合がしばしばです。

 (お) つまり早い話が いまの問題は 《現実のカザリ≒シガラミ》 vs. 《真理の探究とその姿勢》といった構図になるかと考えられます。後者が ゼロに近い《思想》を持つ場合もあり得ます。ですが この対立の構図としてみます。